Soft-drink

 とある日の朝、僕は目覚ましと蝉のけたたましい騒音で目を覚ました。いや、目を覚ますこと自体は何も特別なことではない。朝を迎えた人間ならば起こす当たり前の行動だ。
 だがその日の朝は何かが違った。やけに世界が静けさに包まれていた。
 いつもならば聞こえてくる小鳥たちの合唱も、町の喧騒も、そして母の起床を急かす怒鳴り声も、ありとあらゆる「日常」の音が聞こえなくなっていた。
 不気味で気持ちが悪いほどの静寂がこの家を、いや町全体を包みこんでいた。
 「もしかすると耳が聞こえなくなっているのでは」と思い、自分の喉を震わせてみる。だが普通に聞こえるのだ。ほかにも手を叩いてみたり、いろいろ音を鳴らしてみたりしたが、問題なくすべての音が聞こえる。どうやら聴覚の心配は無用らしい。
 ならば一体何なのだろうか、この静寂の正体とは。
 とりあえず布団から体を起こし自分の部屋の外へ出ると、そこはもう夏の蒸し暑さで空気が充満されていた。自分の部屋がエアコンで冷やされていた分、外との気温差で倒れてしまいそうだ。
 隣には妹の部屋、廊下を伝った奥の部屋には両親の寝室がある。まさかいないわけがないだろうと、廊下を伝って慎重に寝室の扉を開く。だがそこに両親の姿はなかった。エアコンのスイッチは入っているみたいで、冷たい空気だけがそこに取り残されていた。
 体が少しずつ震え出す。これが寒さによるものなのか、それとも恐怖によるものなのかは全くわからない。だが、明らかに僕は落ち着きを失いつつあった。
 変に冷えた、気持ちの悪い汗が額を濡らしている。家族の行方は一体どこなのか、考えたくもないことばかり思いついてしまう。
 妹の部屋も確認してみる。扉を開くとやはりそこには誰もいない。エアコンのウィーンという低いモーター音だけが響いていた。
 まるで神隠しだ。誰かがいたという痕跡はしっかり残っているのに、まるで元から誰もいなかったかのように、その姿を見つけることができない。
 試しに妹の名を大声で呼んでみる。いつもであれば「なに!?」とキレ気味ですぐ返してくるはずなのに、その声がどこからも聞こえてこない。父と母のことも呼んでみる。結果は、同じであった。
 もしやなにかドッキリに仕掛けられているのでは?と疑い始めた。でも一体誰が、何のために?僕の家族にはそんな企画をする、サプライズ精神の塊のような人は誰一人いない。全員根が硬くてまじめで几帳面な人間だ。
 それなら、ドッキリGPか人間モニタリングのようなテレビ番組が収録でも行っているのか?いや、そんな馬鹿な話があるわけがない。芸能人でも何でもない一般人にドッキリを仕掛ける絵面なんか、一体誰が見たいと言うのだ。菊池風磨にドッキリを仕掛けている方がよっぽど面白いだろう。
 だがそれ以外に、家族がいなくなった原因が思い浮かばない。強いて言えば僕を置いて出かけているか、夜逃げしたかだ。しかし、もし出かけているのならば、わざわざそれを僕に言わない理由がない。そうなると夜逃げが一番可能性としてはあり得るのだが、この家だけが決して静かなのではない。町全体が気持ちの悪いほどに静かなのだ。もしかしたら近所の人もいなくなってしまっているのかもしれない。
 ひとまずこれ以上考えても、更に頭が混乱してしまうだけだ。腹も空いているので、一階に降りてみることにした。
階段を一段ずつ、慎重に歩いていく。裸足が階段の面に触れた瞬間に、ひんやりとした感触が伝わってくる。冬だとかなりきついが、夏だと少しだけ涼しさを感じることができるのでかなり助かっている。
普段よりは時間をかけてだが、無事に一階へたどり着くことができた。
毎日眺めている光景、鬱陶しいほどに見慣れた景色。だが、明らかに何かが違う。
 いつもならアイスコーヒーを飲みながらぼけーっとニュース番組を眺める父、睡魔と必死に闘いながら朝食を少しずつ食べる妹、「冷めるから早く食べろ」と恐ろしい剣幕で怒鳴ってくる母が、そこにはいるはずだった。
 だがそこには父も、母も、妹の姿もない。まるで、最初から誰もいなかったかのように。
 よく映画や漫画だとこの場合「大変だ‼家族がいなくなった‼いったいどこに行ってしまったのだ‼」と焦りながら叫び散らかすシーンなのかもしれないが、この時の僕は自分でも驚くほどに冷静であった。
 いや、冷静というよりも必死に平静を保とうとしているだけだったのかも知れない。現実なのかどうなのか理解できていないような、「まだ夢の中にいるだけなのかも」と現実逃避をしているような、そんな今までに感じたことのない不思議な感覚に襲われていた。
 パッと目の前にあった自分のスマホに手を伸ばす。「もしかしたら家族は出かけているだけなのかも」と淡い期待を寄せてLINEで電話をかけてみる。すると目の前にある父親と母親と妹のスマホが同時に震えだす。
ああ、そりゃそうだよな。やっぱり冷静ではないみたいだ。自分のスマホの存在には気が付くのに、家族のスマホには気付けないのだ。
「もしかしたらニュースでこの事態が報道されているかもしれない」と僅かな期待を胸にリモコンを手に取り、テレビの電源を付けた。しかし画面に映るのは砂嵐だけで、どこのチャンネルに切り替えてもそれが変わることはなかった。
スマホでも調べてみようと思ったのだが、残念ながら出てくる情報は昨日までのもので、今日になってからのニュースは一切流れてこなかった。