Soft-drink

 僕は目覚ましと蝉のけたたましい騒音で目を覚ました。
 エアコンの低くうなるモーター音、そして窓越しに小鳥の歌声が聞こえてくる。まだ寝起きで頭が全く回っていないのだが少しずつ目の焦点が合ってくると、ここが自分の部屋であることが確認できた。
 だが一体どういうことだ。僕は確か部屋の窓から飛び降り自殺を図ったはずだ。しかしどこも怪我なんてしていないし、自分の布団で眠りについた記憶もない。
 まさかここは死後の世界「天国」なのか。いや、僕みたいな人間は地獄行だろうな。天国など行けるはずがない。
 ならばここは一体どこなのだ。自分の部屋ではあるのは理解できるのだが、あんなことがあった以上疑わざるを得ない状況なのだ。
 ゆっくりと体を起こし、あたりを慎重に警戒しながら観察する。相も変わらず見慣れた景色だ。昨日の夜中と見た目は何も変わっていない。
 もう一度、昨日みたいに一階に降りて家族がいないか確認するか。もしかしたらだけど僕はタイムループしていて、昨日の朝に戻っている可能性だってある。非科学的だと思われるかもしれないが、人間がいなくなった時点でもう既に十分非科学的なのだからあり得ない話ではない。
 「もう朝だよー!早く起きて!」
 一階から聞き慣れた怒声が飛んでくる。僕の身体はすぐに反応した。ずっと探し求めていた人物が、一階にいるのだ。
 思わず体が動きを止めてしまった。数秒間、数分間、数十分間いやもしかしたらもっと長い時間が経っていたのかもしれない。体を制止させていた後、「ふう・・・」と大きな溜め息を吐いて、その場に座り込んでしまった。
 混乱しつつも頭の中で現状況を整理していく。
 結論から考えれば僕は無事、僕の世界に戻ってくることができたのだ。どうやらあれはただの長い悪夢だったらしい。よかった、安心した。
 思わず目頭が熱くなるのを感じた。泣いているのだろうか、僕は。まあ無理もないだろう。まさかここまで孤独というものが辛いものだとは思わなかったのだから。
 だがここで一つの疑問が生じた。あれは本当に夢だったのだろうか。夢の割には随分と記憶が鮮明な気がするのだが。
 まあもはやそんなことはもうどうでもよい。これでいつもの日常が戻ってきたのだ。相も変わらず今日も暑い中自転車を走らせるのだろう。そしてクラスのやつらからまたいじめられて、死にたくなるけど結局勇気がなくてなにもできない。そしてまた夜中になれば世界中の人間の死を願う。そんなクソみたいな一日を今日も明日も明後日も、代り映えのない一日をこれからもたくさん過ごしてゆくのだろう。
 だがこれが僕の今まで過ごしてきた日常だ。あんな悪夢を過ごしたからと言って、結局誰かを恨み続けるのだろう。まあ結局人間なんてそんなものだろう。同じ過ちを永遠に繰り返す生き物だ。
 でも多分何かを学ぶこともできた気がする。もしも僕だけの世界なら誰かを恨むことなんて知らずに済んでいたけど、それは同時に誰かを愛することも知ることができない、ということだ。「愛する」というのは恋愛とかそういう制限のある話ではなく、誰かを思うことのできる気持ちのことだ。
 あれだけ恨んでいたのに、結局僕は必死になって人間を探していた。それは今までは気付けなかったけど、人間に対して思う気持ちつまり、愛があったからだ。
 「いつまで寝ているの!遅刻するよ!」
 一階からは相変わらず母の怒鳴り声が繰り返し聞こえてくる。もううんざりするほど聞いたその声も、今日はなんだか聞けて嬉しく思う。
 一階に降りればきっと妹も父もそこにいるのだろう。父は相変わらずアイスコーヒーを飲んでいるだろうし、妹ものんびり朝食を食べているのだろう。だがまだ絶対いる保証はないのだ。それなら自分の目で確かめに行かなければ。
 「もう起きているよ・・・」
 そう呟きながら僕はベッドに備えられている階段をゆっくり降り、エアコンのリモコンを手に取って電源を消す。すると先ほどまで部屋に響いていたモーター音がパタッと聞こえなくなった。
 床を見てみれば昨夜と同じく、暴言が大きな文字で記された教科書が散乱していた。それを横目に僕はまっすぐ部屋の扉へと向かう。
 毎日散々な生活を過ごしてきた。それがこれから変わる可能性も低いだろう。相も変わらず誰かを恨み続けるのだろう。
 だけどもしかしたら、可能性は低いのかもしれないけど、期待するべきではないのかもしれないけど、結局何も変わってないじゃん、と自分自身に裏切られてしまうのかもしれないけど。
 だけどもしかしたら、今日は何か変わった一日になるのかもしれない。そんな僅かな期待を胸に、僕は母の怒声に応えるようにドアノブを捻った。
 蝉の鳴き声が広大な青空のもとで、いつまでも鳴き続けている。
 部屋の窓からは熱気を含んだ風が吹いており、それらがまだカーテンたちを優雅に靡かせていた。




終わり