先輩、卒業までに俺とラーメン屋50軒制覇してください!


 三日ぶりに大学へ行き、学食で焼き魚定食をつついていると、後ろからつん、と肩をつつかれた。
「お疲れ~。前座っていい?」
 濱本先輩だった。
 そういえば、顔を合わせるのは久しぶりだ。十二月に入ってからラーメンには一度も来ていない。卒論が大変そうだったし、たぶんそのせいだろう。
「シオも聞いたの、基の話」
「……はい」
「そっか」
 濱本先輩はそれ以上を追及することもなく、手にしたジュースを一口飲んだ。
「で、基とは? ラーメン、ラストスパートかけてんだろ? あいつ最近、水曜以外もやたら早く帰るし」
「……あ、えーと……ちょっと、今、顔合わせづらくて」
「え、なんで?」
 箸の先で、定食のご飯をつつく。
「その、勢いで……いろいろ言っちゃいまして」
「……ふーん」
 濱本先輩は「いろいろ、か」とだけ言って、紙コップの中の氷を軽く揺らした。
「じゃあさ。残り、俺と行く?」
「え?」
「50軒。基と行けないなら、俺とじゃダメ?」
 いつもの軽い調子より、少しだけ静かな声だった。
「えっと……」
 とっさに答えが出てこないまま、俺は濱本先輩を正面から見つめた。
 残りの店を回るだけなら、それでもいいはずだ。
 濱本先輩だってラーメンは好きだし、一緒にいて楽しい。でも。
「庄崎先輩とじゃないとダメなんです」
 そう、口から勝手に出た。
 ――そうだ。そんなこと、最初から決まっていた。
 顔を上げると、濱本先輩が笑っていた。
 なんだか満足そうな、いつもの賑やかなのとは違う笑顔だった。
「だよなー」
 そう言って、濱本先輩は椅子の背にもたれて、天井を見上げた。
「いいなあ。俺さ、この性格だからか、そういう風に『お前じゃなきゃダメ』って言われたことねえんだよな。だから、お前たちのそーゆーとこ、羨ましい」
「お前たち……って、俺が、勝手に」
 濱本先輩はふっと笑ってから、意味ありげに目を細めた。
「水曜日の研究室でのあいつの顔、シオにも見せてやりたかったわ」
「……え?」
 聞き返したけれど、濱本先輩はそれ以上何も言わなかった。
 紙コップに残っていたジュースを飲み干して、立ち上がる。
「ま、俺が言うことじゃねえし」
「えっと、あの、濱本先輩」
「続きは本人とやって」
 ぽん、と軽く肩を叩いて、濱本先輩はそのまま出口のほうへ向かっていった。
 昼休みの終わった学食には、もうほとんど人がいなかった。次は空きコマだ。
 ――水曜日の研究室での、先輩の顔。
 俺の知らないところで、先輩はどんな顔をしていたんだろう。
 鞄の中に、ノートがある。
 熱を出したあの日、先輩が勝手にめくっていたノート。先輩は、これを読んで何を思ったんだろう。
 俺はそっとノートを開く。 
  
 ――この店よりこっち行きてえかも。
 ――先輩、ここ知ってるんですか?
 ――研究室のやつがうまいって言ってた。
 ――じゃあ入れ替えましょう!
 ――……なんでそんな嬉しそうなんだよ。
 ――だって先輩から候補出してくれたんですよ!?
 
 最初は俺が勝手に選んだ50軒だった。でも途中から、先輩が行きたい店も増えた。
 俺が食べたいと言ったものを覚えていて、次の店を選んでくれたこともあった。
 いつの間にか、俺一人のリストじゃなくなっていた。
 
 行列が嫌い。
 甘いものが好き。
 研究室では眼鏡。
 難しそうな研究をしてる。
 激辛ラーメンで汗をかく俺の鼻を拭って笑ってた。
 そんなことばっかり書いてある。
「……はは、なんだこれ、全然ラーメンのこと書いてないじゃん」
 先輩が食べたもの。先輩が言った言葉。書いたものも、書いていないものも、全部覚えてる。先輩の――
 ノートにぽたりと涙が落ちる。
 本当にさよならできると思ってたのか? 俺。
 ……思ってた。最初は、本当に。
 50軒あれば十分だと思ってた。一年間一緒にいられたら、それでいいと思ってた。
 でも――
 こんなに楽しくて。こんなに好きになって、50軒で足りるわけがなかった。
 
 俺は、50軒のあとも、まだまだずっと先輩と一緒にいたい。
 
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