先輩、卒業までに俺とラーメン屋50軒制覇してください!

 今年のカレンダーも、とうとう最後の一枚になった。
 今週はレポートの締切が二つとグループワークの発表が重なって、ここ数日はまともに寝ていない。
 今日は、白い壁に木のテーブルのおしゃれな内装。いつものカウンターに赤い丸椅子が並ぶ感じとは違う。器も洒落た形のターコイズブルーだ。周りを見れば、向かい合って座っている男女がやけに多い。
 ……なんか、ちょっとデートっぽくないか。
 そんなことを考えた途端、急に頬が熱くなって、俺はごまかすように目の前の鶏白湯のスープをレンゲで混ぜた。
「今日、昼休みにキャリアガイダンスがあったんですよ」
「ああ……そういうの、二年でもあったっけ」
「就職とか院とか、そろそろ考えろって」
「ふーん」
 先輩は、大学に入ったときからちゃんと考えていそうな顔をしてるな、と思いながら、俺はスープを飲む。とろみのある白いスープが、寝不足の体に優しく沁みていく。
「卒業したらどうすんの。就職?」
「そのつもりですけど、まだ具体的には……ちゃんと考えなきゃとは思ってますけど」
「……そう」
 しばらく黙って食べていた先輩が、不意に言った。
「院とかは」
「えっ、俺がですか?」
「院じゃなくても……海外とか興味ねえの」
「海外?」
「留学とか、向こうで働くとか」
 なんで急にそんな話――ああ、そっか、先輩は二年のときにはもう海外で研究することを考えてたのかな。
「うーん、俺は考えたことなかったですね」
 先輩はもう自分の卒業後を、きっとその先のことも、ちゃんと決めている。それに比べたら、俺はまだ何も考えてないみたいで、頼りなく映ったのかもしれない。
「真面目に考えなきゃですよね。先輩を見習わないと」
 もしかして、何かアドバイスしてくれたりするのかな、と思ったけれど、先輩はそれっきり口をつぐんで、食事に集中しているようだった。
 
 店を出てリュックを背負い直したところで、大きなあくびが出た。
「眠そうだな」
「昨日レポートやってたら四時になっちゃって」
「はあ? なんでそんなに」
「今日提出だったんですよ!」
「計画的にやれよ。ラーメンの予定はあんなにきっちり組むくせに」
「う……眠い頭に正論が刺さります……」
 そのまま肩を並べて駅に向かう。ちょうど到着した電車の二つ空いた席に、隣り合って座った。
 車内は暖房がよく効いていて、外の冷気で強張っていた肩がゆるむ。ラーメンで腹はいっぱいだし、ここ数日の寝不足もある。
 ……まずい。眠い。
 何度か瞬きをしてみたけれど、まぶたが勝手に落ちてくる。
 電車が揺れるたび、コート越しに隣の先輩の腕が触れた。
「寝んなよ」
「寝ません……」
「……」
 
『次は、――』
 鼻にかかったような独特の車内アナウンスの声に、ふっと意識が浮かんだ。
「……ん」
 ぼんやりとした目が、乗車口の上の電光表示を捉える。
「あっ!?」
 飛び込んできた駅名に、俺はガバッと身体を起こした。
「ふたつも過ぎてる!」
 しかも、起き上がった拍子に頬に残っていたぬくもりで気づいた。
 ……俺、今まで先輩の肩で寝てた?
「す、すみません! 俺、寝過ごして……しかも、もしかして寄りかかってました?」
 先輩は黙っている。
 ……否定しないってことは、そういうことなんだろう。額に汗が浮かぶ。
「重かったですよね、すみません!」
「重かった」
「うっ」
 俺は膝の上のリュックを思わず抱きしめる。
「てか、先輩もそこで乗り換えですよね?」
「そうだけど」
「なんで降りなかったんですか!?」
「よく寝てたから」
「起こしてくださいよ!」
「寝不足なんだろ」
 そう、だけど……――
「降りるぞ」
 なんでもないことのように言って、先輩が立ち上がる。俺は慌ててあとについて電車を降りた。
 階段を上がって、反対方向のホームへ向かうあいだ、いつもなら自然と先輩の隣を歩くのに、今日は半歩後ろからついていく。
 先輩にもたれていたほうの頬だけ、やけに熱かった。
 
 +
 
 二駅戻って、俺は先輩と一緒に電車を降りた。先輩はここで乗り換えだ。
 当然ここで別れるものだと思っていたのに、先輩は俺と同じ方向へ歩いてくる。
 そのまま一緒に改札を出た。
「先輩、何かこっちに用事――」
「送る」
「え!? な、なんでですか!?」
「お前、まだぼーっとした顔してるんだよ。ふらふらしてて危なっかしい」
「いや、大丈夫です!」
「いいから。北口だったな」
 そう言って、さっさと歩き出す。
「……はい」
 先輩のあとを追いながら、俺はどういう顔をすればいいのかわからなくなった。
 嬉しい。ものすごく嬉しい。でも……
 こんなふうに優しくされても、この人はもうすぐいなくなってしまうんだ。
 ――これ以上、好きにさせてどうするんですか、先輩。
 
 駅から歩いて五分、アパートのエントランス前で俺は先輩に大きく頭を下げた。
「先輩、ありがとうございました!」
「今日はちゃんと寝ろよ」
「はい! 速攻で歯磨きして寝ます!」
 そう言ってもう一度頭を下げて、背を向けようとしたときだった。
「昴晴」
 そう呼びかけた先輩は、その先をすぐには続けなかった。何か考えるように、視線を靴の先に落とす。
 不思議に思って、「なんですか?」と促すと、ようやく視線を上げた先輩が口にしたのは意外なことだった。
「来週から行く店の順番、少し変えていいか?」
「もちろん、全然いいですよ! 気になるお店ありました?」
「……まあ、そんな感じ」
 そう言って、先輩はまた目を逸らした。そんな深刻な話じゃないし、何よりこんなふうに言葉に詰まるのは先輩らしくない。
 まだ何か言いたそうに見えて、俺はじっと待った。けれど、先輩はそれ以上は何も言わなかった。
「じゃあ」
 そう言って背を向けると、先輩は足早に歩き出した。
 ――何だったんだろう。
 俺は、その背中が角を曲がって見えなくなるまで、ずっと見つめていた。
 

【34軒目 12月某日 晴れ】
 先輩:鶏白湯
 俺:鶏白湯・味玉
 
 帰りに先輩が何か言いかけたけど、なんだったんだろう