先輩、卒業までに俺とラーメン屋50軒制覇してください!


 夏休みに入っても、俺と庄崎先輩の水曜日は変わらない。むしろ授業がないぶん、少し遠い店にも足を延ばせるようになった。
 今までは授業の帰りに待ち合わせていたけれど、夏休みは違う。先輩とラーメンを食べるために出かける。それだけのことが、妙に嬉しかった。
 
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「か、から……っ! 辛いです!」
「だから無理すんなって言っただろ」
「せ、先輩が辛さ五倍とか頼むから……っ、でも、大丈夫です、まだいけます」
 鼻を押さえる俺に、先輩が呆れたような表情で卓上の調味料を指した。
「酢、少し入れろ。多少食いやすくなる」
「ほ、ほんとですか?」
 素直に手を伸ばす。と、同じタイミングで、先輩も瓶を取ろうと身を乗り出した。
 ごつ。
「いった」
「す、すみません!」
 顔を上げると、先輩の額がすぐ目の前にあった。ぶつかったおでこを押さえている。
「……お前顔真っ赤だけど」
「ラーメンが辛いからです!」
「いや、さっきから食ってるだろ」
「時間差で来たんです!」
「汗もやばくないか?」
「これは、うまさによる発汗です!!」


【15軒目 8月某日 晴れ】
 先輩:味噌(辛さ5倍)・メンマ
 俺:味噌(辛さ増し)・味玉
 
 夏休み!
 先輩、普段は塩派だけど味噌のときは辛さ増しにする。
 無理してマネするのはよくない。
 
 +

「今日の店のスープ、絶対先輩好みだと思います!」
「なんでお前がドヤ顔なんだよ」
「もうわかりますもん、それくらい」
「そういや、塩谷も前に塩のほうが――……塩、塩谷……」
「はい?」
「……ややこしいな」
 何がですか、と聞き返す前に、先輩が言った。
「昴晴でいいか」
「――!」
 心臓が大きく跳ねて、俺はとっさに返事をすることができなかった。
 親にも友達にも、もう何億回も呼ばれてる名前なのに。
「……な、何ですか」
 そんな短い言葉を返すだけなのに、信じられないくらい顔が熱くなっている。
 不自然な沈黙のあと、先輩はふっと視線を逸らした。
 そして、店の前の行列に気づいた途端、見慣れた眉間の皺が戻ってきた。
「――おい、店、結構並んでるけど」
「あっ、帰らないでください!」
 俺は慌てて先輩のシャツの袖を掴む。先輩は顔を逸らしたままだったけれど、結局、列の最後尾に並んだ。それが照れ隠しみたいに見えたのは、俺の都合のいい勘違いだろうか。
(『昴晴』)
 まだドキドキと音が聞こえてしまいそうな胸をそっと押さえる。
 その余韻は、行列に並んでいるあいだもずっと消えなかった。
 

【18軒目 8月某日 くもり】
 先輩:塩・メンマ
 俺:塩・味玉
 
 塩好きの先輩に一押しの店! 先輩の評価:悪くなかった=つまり高評価!
 待ち15分 ※先輩的にはこれが限界
 
 +

「先輩、今日ここどうですか? 全部乗せがすごいんですよ!」
「そこ、前に行ったことあるな」
「え、どうでした?」
「一緒に行ったやつが重いって言うから、あっさりしたのにしたな、確か」
「……もしかして女の子、ですか」
「まあ、昔の」
「……」
 学食で、先輩が女の子と一緒にいるのを何度か見かけたことがある。
 知ってたのに。
 先輩が、こうやって誰かと一緒に並んでラーメンを食べてたことがある。そんな当たり前のことなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「お前、全部乗せ食えんの?」
「もちろんです!」
「先週、普通盛りで腹いっぱいって言ってただろ」
「今日はコンディションが違います!」
「……無理すんなよ」


【21軒目 9月某日 くもり】
 先輩:味噌(辛さ増し)・全部乗せ
 俺:醤油・全部乗せ
 
 食べきれなかった、不覚……
 
 +

「先週は北海道の味噌、今週は熊本の豚骨、ご当地ラーメンってなんかいいですよね。一緒に日本全国旅行してるみたいで!」
「……ふーん」
「そうだ、ノートに日本地図も書こうかな。食べた場所、色塗っていったら楽しそうじゃないですか?」
「てか、そのノート、終わったらどうすんの」
「もちろん大事に取っておきます!」
「……そう」


【25軒目 10月某日 ちょっと雨】
 先輩:豚骨、チャーシュー
 俺:豚骨、メンマ
 
 来週の店は先輩が決めてくれた。和歌山!
 日本地図、本当に書こうかな。
 
 +
 
 十一月に入ると、夕方の風はすっかり冷たくなった。
 湯気の立つ丼を想像するだけで温まるような気がするのは、この季節ならではだ。
「ラーメンが恋しくなる季節だなーっと。お前らには関係なさそうだけど」
 夏の間は「暑い日にラーメンとか無理」と姿を見せなかった濱本先輩が、久しぶりに乱入してきた。三人でカウンターに並ぶ。庄崎先輩は、コートを綺麗に折りたたんで、足元の荷物かごに入れた。
 ラーメンを待つ間、ふと思い出したように、庄崎先輩がこちらを向いた。
「来週の水曜、セミナーが入って行けなくなった」
「えっ」
 来週は、予約必須の人気店だった。一か月前から予約を取って、楽しみにしていたけど――セミナーなら仕方ない。
「わかりました。じゃあまた次――」
「お前、確か予約してたよな」
「あ、はい、でも」
 まだキャンセル間に合うんで、と言いかけたところで、濱本先輩が身を乗り出した。
「じゃー俺と行こうか、シオ」
「駄目だ」
 俺が反応するよりも早く、庄崎先輩が短く言った。俺も、濱本先輩も、一時停止みたいに動きが止まる。
「なんで?」
「……予約、俺が取り直す」
 濱本先輩が、ゆっくり庄崎先輩を見る。その口元はいつもより楽しそうに笑っているけど、何も言わない。
 ……なんだろう、この間。
 俺が予約したのを気にしてくれてるんだろうか。それとも、キャンセル料がもったいないとか? 先輩は律儀だから、そういうこと、かも。
「なるほどねー」
「……」
 庄崎先輩は何も答えず、頬杖をついて厨房のほうへ視線を逸らした。
 

【29軒目 11月某日 くもり】
 先輩:塩、チャーシュー
 俺:醤油、のり
 ハマモト先輩:醤油(大盛)
 
 久しぶりの濱本先輩乱入。ちょっと研究室の話してた。
 先輩の研究:触媒化学系(?)ドイツの研究チームと一緒に何かやってるらしい。すごい。
 ※「何がすごいかわかってんの?」と言われた。わからん。
 
 来週は延期! 先輩が予約取り直してくれた。