先輩、卒業までに俺とラーメン屋50軒制覇してください!

「あー、あのときの……味玉だけ買って金足りなくなってたやつ」
「う……はい」
 改めて言われると恥ずかしい。
「とにかく、そのお礼と言ってはなんですが、ラーメン屋50軒を一緒に制覇したいんです!」
「礼か? それ」
 どういう理屈だ、とでも言いたげに先輩が目を細める。
「50って、なんか理由あんの?」
「一年って、だいたい五十二週じゃないですか。毎週一軒行けば50軒いけます! 二回も休めます!」
「毎週行く前提なのかよ」
「はい!」
 先輩が呆れたように俺を見た。
「そもそも、なんで俺なんだよ」
「え」
「ラーメン好きなやつなら他にもいるだろ」
「それは……先輩が、毎週ラーメン食べるくらいのラーメン狂だからです!」
「俺を狂人にするな」
「あと、前に百円出してくれましたし!」
「百円で一年拘束されんの?」
「拘束じゃないです! 一緒に制覇です!」
 先輩の眉間のしわが深くなった……ような気がするけど、俺は構わず続ける。
「店ももう選んであります!」
 そう言って、脇に抱えていたグルメ情報誌を差し出した。カラフルな表紙に大きな文字で『ラーメン』。ページの端から付箋がいくつも飛び出している。
「最新の『東京ラーメン完全ガイド』、この中から、行きたい店を50軒選びました!」
「選んだって、どういう基準で?」
「あっさりからこってりまで、なるべく偏らないように。あと、大学からの距離と営業時間と定休日も調べました!」
「……本気だな」
 先輩がようやく手を出して、雑誌を受け取った。ぱらぱらとページをめくる。
 俺はなんだか、試験の答案を返されるのを待っているときみたいに、そわそわした。
「なんで一年なんだよ」
 不意に向けられた当たり前の疑問に、俺は小さく息を飲む。
「あ、えっと……」
 さっきまでぽんぽん出てきていた言葉が、そこで初めて止まってしまった。
 卒業までの一年。理由はひとつだ。一言で言える。
 でも、口に出した途端、本当に期限が決まってしまうような気がして、すぐには言葉が出なかった。
 先輩は何も言わず、俺の返事を待っている。
「……先輩、卒業したら海外に行っちゃうんですよね」
 庄崎先輩は来年、大学を卒業する。卒業後は、海外で研究を続けるらしい。春休み明けに、学食で研究室の人と話しているのがたまたま耳に入った。
「庄崎、向こう行ったら日本のラーメン恋しくなるんじゃね?」
「知らねえよ」
「ドイツ三年だろ? 絶対禁断症状出るって」
「向こうにもラーメン屋くらいあるだろ」
 なんて、他愛のない日常会話みたいに交わされていたのを聞いてしまったとき。
 俺は、箸で持ち上げていた味玉を、ぽちゃんとスープに落とした。
 どのみち卒業すれば、学食では会えなくなる。
 そんなの分かっていた。でも。
 ――ドイツ。三年。
 そんな具体的な言葉に、来年の水曜日にここへ来ても、もう先輩はいないんだということが、急に現実になった。
 先輩が日本にいるのはあと一年。
 恋人になれるなんて思ってない。好きだと伝えるつもりもない。
 でも、一年ある。週に一回でだいたい50。
 50回、一緒に大好きなラーメンを食べたい。
「だから、それまでに50軒、です」
 先輩は口をつぐんだまま、俺の顔と、『東京ラーメン完全ガイド』を交互に見た。
 付箋だらけのページを二、三枚めくる。
 眉間に少し皺が寄ったその表情は、呆れているようにも、考えているようにも見える。
 やがて先輩が、
「……しょうがねえな」
 と、小さくため息をつきながら、頬杖をついた。
「日本にいるうちに行っときたい店、俺もあるし」
「えっ、じゃあ」
「水曜なら。他の日は無理」
「大丈夫です! 俺、今年のカレンダーの水曜、全部このために空けてあるんで!」
「……怖いな、お前」
「準備がいいって言ってください!」
 呆れられているのに、頬が勝手にゆるむ。立ち上がって、その辺を走り回りたいくらいだった。
 やった。来週も、その次の水曜日も、先輩とラーメンが食べられる。
 
 ――こうして、俺と庄崎先輩のラーメン屋めぐりが始まった。