大学に入学したばかりの俺は、曜日ごとに変わる学食の限定メニューを楽しみにしていた。
中でも一番は、水曜日のラーメン。普段は醤油と味噌の二択だけど、水曜日だけはスープも具も週替わりの限定仕様になる。ラーメン好きとしては見逃せない。
ようやく食べに来られたその日――
まず味玉。これは外せない。
先にトッピングの食券を買って、さて肝心の限定ラーメンを――とボタンに手を伸ばす。そこで俺は、財布の中を見て固まった。
「げっ、百円玉! ない!」
小銭入れをひっくり返す。十円玉が数枚。慌てて札入れも開いたが、そっちは空だった。そうだ。昨日、本屋で『東京ラーメン完全ガイド』を買って――
席にいる友達に借りに行くか? でも、限定ラーメンのボタンには『残り1』の表示。俺の後ろには長い列ができている。並び直したら、きっとなくなる。
――どうする。味玉だけ食べるのか、俺。
いや、それは昼飯じゃない。
仕方ない。限定は諦めて、友達に金を借りて別のものを食べよう。
そう決めて列を抜けようとした、その時だった。
後ろから、黒いシャツの腕が伸びてきて、長い指が硬貨投入口に百円玉を入れた。
「えっ」
かしゃん、と硬貨が落ちる。
驚いて振り向くと、俺より少し高いところから、涼しげな目がこっちを見ていた。
「早く買えよ」
「え?」
「限定ラーメンだろ」
「はっ、はい!」
促されるままにボタンを押すと、『限定ラーメン』の横に『売切』の赤い文字が点灯した。「あ、ラスいちだったのか」と、平坦な声でその人は言った。
「あの、もしかしてこれ買うつもりだったんじゃ」
俺は慌てて、出てきたばかりの食券を差し出した。
「俺、別のにするんで! これどうぞ!」
「いいよ別に」
そう言って、その人は財布から出した千円札を券売機に入れる。そして、こちらを見ることもなく『唐揚げ定食』のボタンを押した。
「え、でも」
「また水曜に来ればいいし。食いたかったんだろ」
「は、はい……」
俺は小さな食券を握り締めたまま、その背中が定食のカウンターの列に紛れるまで動けなかった。
席に戻って、さっそく味玉を割る。半熟の黄身を一口かじって、スープをすすった。
うまい。評判どおりだ。
「昴晴、そんなにうまいの、そのラーメン」
向かいに座った友人が、パンをかじりながら言った。
「え?」
「さっきからずっとにやけてる」
俺は慌てて口元を押さえた。
もちろん、ラーメンはうまい。でも、たぶんそれだけじゃない。
さっきの人が、俺たちのテーブルから少し離れた窓際の席にいるのが見える。
黒いシャツの袖を少しだけまくって、黙々と箸を動かしている。
隣に座っていた男子学生が、肘で小突くようにして、
「庄崎ー、さっきの発表マジでよかったな。四年が真顔で拍手してたぞ」
「うるせえな。静かに飯食わせろ」
――庄崎。庄崎先輩。
心の中で、そっと繰り返す。名前を知っただけなのに、今すぐどこかへ走り出したいみたいに、体の中が落ち着かない。心臓がやたらとうるさい。
それから俺は、毎週水曜日になると学食へ行くようになった。
**
中でも一番は、水曜日のラーメン。普段は醤油と味噌の二択だけど、水曜日だけはスープも具も週替わりの限定仕様になる。ラーメン好きとしては見逃せない。
ようやく食べに来られたその日――
まず味玉。これは外せない。
先にトッピングの食券を買って、さて肝心の限定ラーメンを――とボタンに手を伸ばす。そこで俺は、財布の中を見て固まった。
「げっ、百円玉! ない!」
小銭入れをひっくり返す。十円玉が数枚。慌てて札入れも開いたが、そっちは空だった。そうだ。昨日、本屋で『東京ラーメン完全ガイド』を買って――
席にいる友達に借りに行くか? でも、限定ラーメンのボタンには『残り1』の表示。俺の後ろには長い列ができている。並び直したら、きっとなくなる。
――どうする。味玉だけ食べるのか、俺。
いや、それは昼飯じゃない。
仕方ない。限定は諦めて、友達に金を借りて別のものを食べよう。
そう決めて列を抜けようとした、その時だった。
後ろから、黒いシャツの腕が伸びてきて、長い指が硬貨投入口に百円玉を入れた。
「えっ」
かしゃん、と硬貨が落ちる。
驚いて振り向くと、俺より少し高いところから、涼しげな目がこっちを見ていた。
「早く買えよ」
「え?」
「限定ラーメンだろ」
「はっ、はい!」
促されるままにボタンを押すと、『限定ラーメン』の横に『売切』の赤い文字が点灯した。「あ、ラスいちだったのか」と、平坦な声でその人は言った。
「あの、もしかしてこれ買うつもりだったんじゃ」
俺は慌てて、出てきたばかりの食券を差し出した。
「俺、別のにするんで! これどうぞ!」
「いいよ別に」
そう言って、その人は財布から出した千円札を券売機に入れる。そして、こちらを見ることもなく『唐揚げ定食』のボタンを押した。
「え、でも」
「また水曜に来ればいいし。食いたかったんだろ」
「は、はい……」
俺は小さな食券を握り締めたまま、その背中が定食のカウンターの列に紛れるまで動けなかった。
席に戻って、さっそく味玉を割る。半熟の黄身を一口かじって、スープをすすった。
うまい。評判どおりだ。
「昴晴、そんなにうまいの、そのラーメン」
向かいに座った友人が、パンをかじりながら言った。
「え?」
「さっきからずっとにやけてる」
俺は慌てて口元を押さえた。
もちろん、ラーメンはうまい。でも、たぶんそれだけじゃない。
さっきの人が、俺たちのテーブルから少し離れた窓際の席にいるのが見える。
黒いシャツの袖を少しだけまくって、黙々と箸を動かしている。
隣に座っていた男子学生が、肘で小突くようにして、
「庄崎ー、さっきの発表マジでよかったな。四年が真顔で拍手してたぞ」
「うるせえな。静かに飯食わせろ」
――庄崎。庄崎先輩。
心の中で、そっと繰り返す。名前を知っただけなのに、今すぐどこかへ走り出したいみたいに、体の中が落ち着かない。心臓がやたらとうるさい。
それから俺は、毎週水曜日になると学食へ行くようになった。
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