作画が良すぎるクラスメイトと、毎日BL漫画を読むことになりました

 二次元の紙の上だからこそ、尊いと思っていた。
 現実の男同士の恋なんて、隠れオタクとして擬態しながら生きている自分には絶対に関係のない世界だと思って、ずっと安全な場所へ逃げていた。
 だけど──。

『あなたを優しく見守ってくれる人を、これからも大事にしてくださいね』

 サイン会であまの宵先生がかけてくれた温かい言葉と、いま目の前で俺の手を壊れものを扱うみたいに優しく、でも絶対に離さないという確信をもって握りしめている黒木の体温。
 そのすべてが、俺が必死に作り上げていた「オタクとしての逃げ道」を優しく、そして完全に塞いでしまっていた。

「ずるくねぇよ。……で、お前の返事は?」

 頭の上から降ってくる、どこか意地悪で、けれど隠しきれない愛おしさに満ちた黒木の声。

 俺は腹を括った。
 擬態陽キャの仮面も、腐男子としての妙なプライドも、自分を守るための言い訳も、全部かなぐり捨てる。俺は黒木の胸元から勢いよく顔を上げた。真っ赤になった目で、琥珀色の瞳をまっすぐに見つめ返す。

「……俺だって……っ!!」

「ん?」

「俺だって、黒木と一緒にいる時の自分が……一番好きだよ……っ!!」

 叫ぶように吐き出した言葉に、黒木の目が大きく見開かれた。

「最初は……バレたら学校での立場が終わるって焦ってただけだった。で、でも、放課後図書室で一緒に漫画読んでくれて……俺のくだらないオタクの熱弁を引かずに真面目に聞いてくれて……俺がサイン会に落ちて落ち込んでる時に、あまの宵先生のチケット取ってきてくれて……! そんなの、好きにならないわけないだろ、バカ!!」

 勢い余って「バカ」とまで言い放ってしまった俺は、はっと息を飲んで自分の口を手で押さえた。
 やってしまった。学校一のイケメンであり、命の恩人であり、いま告白してくれた相手に向かってなんて口のきき方だ。

 だが、黒木は呆然とした後、片手で顔を覆って「くっ……」と低く肩を揺らし始めた。

「く、黒木……? 怒った……?」

「……怒ってねぇよ。嬉しすぎて、顔がニヤけるのを抑えてるだけだ」

 指の隙間から覗く黒木の耳は、俺に負けないくらい真っ赤に染まっていた。
 黒木は顔を覆っていた手をゆっくりと外すと、今まで見たこともないくらい柔らかく、愛おしさに満ちた笑みを浮かべた。

「……浅香。いや、悠人」

「っ……!」

「これから、よろしくな」

 そう言って、黒木は繋いだ手の指をもう一度、しっかりと強く絡め直した。
 涼しい風が吹き抜ける夕暮れの公園で、俺たちの「リアルな恋」が静かに、けれど確かに走り出したのだった。



 それから数日後。
 放課後の図書室、一番日当たりの悪い奥の閲覧席で、俺と黒木は今日も並んで座っていた。
 机の上には、あまの宵先生の直筆サインと可愛いイラストが入った『影と光のジレンマ』完結巻が大切に置かれている。

「……なぁ、黒木。ずっと気になってたんだけど、この単行本のあとがきに出てくる『取材協力してくれた本屋の店員』って、もしかして黒木のこと……?」

 単行本の巻末ページを指差しながら尋ねると、黒木は読んでいた文庫本から視線を外し、淡々と頷いた。

「あぁ。先生がお店に来た時、担当編集の人と一緒に新刊コーナーのポップ描かせてくれって頼まれてな。その時に『うちの学校の友達が先生の大ファンで、毎日楽しそうに漫画の魅力を語ってくれるんです』って話をした」

「え……!? お前、そんな前から俺のこと先生に話してたの!?」

「当たり前だろ。お前を喜ばせるためなら何でもする」

「うっ……!」

 さらりと恐ろしい威力のスパダリ発言をかます黒木に、俺は顔を真っ赤にして絶句した。
 三次元の彼氏がかっこよすぎて、毎回オタクの心臓と脳内キャパシティが持たない。

「……あ、そういえばさ。武田たちから『今度の日曜、みんなでカラオケ行こうぜ』って誘われてるんだけど……どうしよう」

 俺がちらっと窺うように尋ねると、黒木は読んでいた本を静かに閉じ、テーブルの下で俺の手首を掴んできた。

「だめだ。日曜は俺とデートだろ」

「デ、デート……っ!?」

「お前が『愛想笑いを浮かべる陽キャの浅香くん』をやる時間は、これから俺が減らしてやる。俺の前では、ずっとオタクの悠人でいればいい」

「……黒木様、地味に束縛が激しくないですか?」

「誰のせいでこうなったと思ってんだよ」

 黒木は意地悪く口角を上げると、周りに人がいないことを確認してから、俺の頬に軽く自分の額をこつんと重ねてきた。
 ふわりと漂う、あの清潔な香水の匂い。美しい顔に、息が止まりそうになる。

「図書室もいいけど、今日はそろそろ行くぞ」

「え? どこに?」

「俺のバイト先。新刊入荷の日だろ」



 学校を出て電車に乗り、俺たちはあの大型書店へと向かった。

 少し薄暗くなった夕方の店内。雰囲気は、あの日と何一つ変わっていない。
 しかし、あの時と決定的に違うのは──俺の気持ちだった。
 コミックフロアで手に取った新刊のBLコミックを抱えて、俺は迷いのない足取りでレジカウンターへと向かう。

 レジの向こうには、バイトエプロンを着た背の高い男子高校生。
 胸元には、前よりも少し馴染んだ『研修中』のネームプレート。

(……やっぱり相変わらず無駄に作画がいいな、俺の彼氏)

 俺がレジ台に商品を差し出すと、黒木はバーコードリーダーを手に取り、いつもの不機嫌そうな、しかしどこか優しい目で俺を見つめてきた。

「……千八百九十円になります」

「はい、ちょうどあります!」

 一銭も狂わずに小銭を差し出す俺に、黒木は手際よくコミックスを茶色の紙袋に入れていく。
 あの日はこの紙袋が爆弾より重く感じられて、生きた心地がしなかったっけ。ここで黒木に秘密を見つけられたからこそ、今の俺たちがあるのだと思うと、なんだか不思議な縁を感じてしまう。

「……お会計、千八百九十円。ちょうどお預かりします」

 手際よく会計を済ませ、紙袋を差し出す時、黒木はレジ越しに少しだけ体を前に傾けてきた。

「なぁ、悠人」

 耳元に届く、低くて甘い囁き声。

「バイト、あと十分で終わる。……裏の駐輪場で待ってろ」

 あの日と同じ言い方だ。だけど、今は違う。

「今日は口止め料じゃない。……彼氏として、お前とデートするために待たせるんだ」

「っ……! レジでそういうこと言うな、バカ!!」

 顔を真っ赤にして叫びそうになり、俺は慌てて両手で口を押さえた。
 黒木は満足そうに口角を上げると、「お買い上げ、ありがとうございましたー」と事務的な声で俺を送り出す。

 店を出て、駐輪場へと向かう足取りは、驚くほど軽かった。
 手の中の紙袋には、大好きな二次元の物語。
 そして、このあと俺を追いかけてくるのは、二次元以上に愛おしくて、眩しすぎる三次元の恋人だ。

 隠れ腐男子の高校生活終了のお知らせ、撤回。
 今日から最高に甘くて騒がしい、俺の新しい日常が始まる。

 手首に残る黒木の体温を思い出しながら、俺は大好きな人を待つために駐輪場へと駆け出していった。