作画が良すぎるクラスメイトと、毎日BL漫画を読むことになりました

「……頼む! 誰にも言わないでくれ!! 今日のことは見なかったことにしてくれ!!」

 大型書店の裏手にある薄暗い駐輪場で、俺は黒木に向かって勢いよく頭を下げていた。角度にして、完全な九十度。もはや、土下座一歩手前の姿である。

 エプロンから私服の黒いパーカーに着替えて現れた黒木は、自転車の鍵をポケットから取り出しながら、呆れたように俺を見下ろしていた。

「……大げさだな、浅香。頭上げろよ」

「無理! 黒木が『絶対に誰にも言わない』って約束してくれるまで、絶対上げない!」

 必死すぎる俺の叫びが、夜の駐輪場に虚しく響き渡る。黒木の小さなため息が耳に入ってきた。

「っ!?」

 黒木の高い体温と手のひらのずっしりとした重みが、頭の上に伝わる。
 拒否する間もなく、無理やりぐいっと頭を起こされると、至近距離で黒木の整いすぎた顔と直視することになった。暗がりの中でも、彼の切れ長な瞳が鋭く光っている。作画が良い。夜の駐輪場という冴えないロケーションなのに、無駄に作画が良すぎる。

「声が大きい。……別に、言いふらす気なんて最初からねぇよ」 

「え……? ほんと……!?」

「当たり前だろ。人の趣味を、学校で言いふらして喜ぶほど暇じゃない」 

 黒木の口から出た予想外の言葉に、俺の全身から一気に力が抜けた。
 膝がガクガクと震える。よかった……! 俺の高校生活は終わっていなかった! 陽キャの仮面は奇跡的に守られたんだ!

「……よかったぁぁぁ!! お前、実はめちゃくちゃ良い奴だな!? ありがとう! 一生感謝する!」

 胸を撫でおろし、心底安心した笑顔を向けると、黒木はなぜか俺の顔をじっと見つめてきた。その視線がなんだか熱くて、俺は思わず口を閉ざす。 

「……浅香、お前」

「ん、なに……?」

「学校にいる時と、全然顔が違うな」 

 ドクン、と心臓が嫌な跳ね方をした。

「え、あ……何が?」

「いつもクラスの奴らと話してる時、お前、ずっと嘘っぽい笑顔浮かべてるじゃん。……今の顔の方が、ずっとマシ」

 黒木は低く呟くと、俺の手元にある茶色の紙袋――さっき買ったBL漫画――に視線を落とした。 

「そんなに焦って隠すほど、それ、面白い?」

「……え?」

「男同士の、そういう本なんだろ? 何がそこまでお前を熱中させてんのか、ちょっと気になった」 

 黒木の問いかけに、俺の脳内のオタクスイッチがカチリと音を立てて入ってしまった。

(待って? 黒木が……この一匹狼のクールイケメンが、『影と光のジレンマ』に興味を……!?)

 普段なら絶対に人には話せない、俺の秘められた情熱。だが、一度バレてしまった相手、しかも「絶対に言いふらさない」と保障してくれた信頼できる(そして顔が良い)クラスメイト相手である。 

「お、面白いなんてもんじゃないよ!!」

 気がつけば、俺は黒木のパーカーの袖をキュッと掴んで熱弁を振るい始めていた。 

「この『影と光のジレンマ』はね、単なる男同士の恋愛を超えた、魂の救済の物語なんだよ!  攻めの『影山』は一見完璧なスパダリに見えて、実は受けの『光希』にしか心を開けない重度の執着型なんだ。でも光希は不器用で、自分が影山の足を引っ張るんじゃないかって一人で抱え込んじゃうタイプでさ! 今回の最終巻は、その光希が無理して笑うのを、影山がブチ切れて抱きしめて『俺の前で強がるな』って言うシーンが絶対に描かれるはずで――!」 

「……浅香」

「 作画も神だし、心理描写が繊細で、読むたびに『尊い……』って語彙力が消滅するレベルで――」

 あ。やばい。
 興奮のあまり、顔を真っ赤にして早口で捲し立ててしまった。
 ふと正気に戻り、「やばい、絶対に引かれた……オタク特有の早口出ちゃった……」と恐る恐る黒木の顔を見上げる。

 黒木は口元を手で覆っていた。
 その耳の先端が、心なしか少し赤くなっている気がする。

「……黒木?」

「……お前、すごい顔して喋るんだな」

「うっ……キモかったよね、ごめんなさい……」 

 シュンと首をすくめて萎縮する俺の頭に、再び黒木の大きな手がぽんと置かれた。今度は乱暴に、だけどどこか愛おしそうに髪を撫で回される。

「キモくねぇよ。……むしろ、お前がそんなに熱弁するなら、読んでみたくなった」

「えっ!? 黒木がBLを!?」

「本屋の店員だから。話題作はチェックしとかないと」

 黒木はフッと、いつも学校で見せる冷めた表情とは違う、小さく柔らかい笑みを浮かべた。その破壊力に、俺の脳内の腐男子フィルターが(影山並みのスパダリの笑み……!)と過剰反応を起こして心臓が跳ね上がる。

「……じゃあ、口止め料」

「えっ、やっぱり取られるの!?」

「金じゃねぇよ」

 黒木は俺の顔の前に、スマホの画面を突きつけてきた。LINEのQRコードが表示されている。

「その漫画の感想、俺にも教えること。……あと、明日から放課後、俺と一緒にそれ読め」

 耳を疑った。

「……毎日!? 黒木と俺で、BLを!?」

「嫌なら、クラスの奴らに『浅香は放課後、隣町の裏路地で怪しい取引をしてた』って言いふらす」

「悪質なデマ! 分かった、分かったから……」

 完全に弱みを握られた俺は、半ば自暴自棄になりながら自分のスマホを取り出した。画面の夜の駐輪場に眩しく広がる。LINEアプリを立ち上げ、スキャン画面を黒木のスマホに向けた。

 カシャッ、と小さく電子音が鳴り、画面に通知ポップアップが浮かび上がる。

『友だちを追加しますか?』

 そこに表示されたアカウント名とアイコンを見て、俺は思わず目を見張った。

 表示名は、シンプルに『流星』のみ。
 そしてアイコン画像は――人型のシルエットが浮かぶ、まさかのデフォルトアイコンだった。

 タイムラインの投稿はもちろんゼロ。ステータスメッセージも未設定。SNSや自己表現に対する徹底した無頓着さと、無駄な装飾を一切嫌う一匹狼ぶりがこれ以上ないほど凝縮されたアカウント画面だった。

 俺の『悠人』という名前と、実家の愛犬の写真をアイコンにした生活感溢れるアカウントとは、あまりにも対極的だ。

「……追加したよ」

 俺が友だち追加ボタンを押すと、黒木は自分の画面を確認し、短く頷いてスマホをポケットに仕舞った。
 
「ありがと」

 大混乱する俺を置いて、黒木はスマートに自転車に跨がった。

「じゃあな、浅香」 

 流れるような動作で暗闇の中へ走り去っていく黒木の後ろ姿を、俺は口を開けて見送るしかなかった。
 手元に残されたのは、交換してしまった黒木の連絡先と、ずっしりと重いBL漫画の紙袋。

「嘘だろ……? 俺が、作画が良すぎるクラスメイトと、毎日BL漫画を読むことになった……!?」

 夜風が吹き抜ける駐輪場で、俺の叫びだけが寂しく響き渡っていた。