作画が良すぎるクラスメイトと、毎日BL漫画を読むことになりました

 終わった。俺の高校生活、これにて完全終了。

 心の中でそう遺言を遺しながら、俺は絶望の淵に立たされていた。
 場所は、学校から電車で三駅離れた大型書店のレジカウンター。
 目の前には、バーコードリーダーを手にした背の高い男子高校生。
 整いすぎた目元、少し不機嫌そうに結ばれた薄い唇、そして胸元に輝く『研修中』のネームプレート。

(なんで……なんでお前がここにいるんだよ、黒木……!)

 黒木流星。
 俺のクラスメイトであり、女子からの人気も高い一匹狼を貫く、我が校きってのイケメンである。
 学校での俺と黒木の関係性は「名前と顔を知っている程度のただのクラスメイト」。会話なんて、今年に入って一度もしたことがない。

 今日の昼休みだってそうだった。
 俺は一軍グループの男子たちと机を突き合わせ、流行りのゲームの話や、女子バレー部の誰が可愛いだのという会話に「まじで?」「それな〜!」と愛想笑いを浮かべながら完璧に合わせいていたのだ。
 冷や汗をかきながら「普通の陽キャ男子」のポジションを死守する俺の視界の端で、黒木は一人、窓際の席でヘッドホンをしてスマホを眺めていた。関わることなんて、一生ないと思っていたのだ。

 そんな彼が、なぜかエプロンを着て俺の目の前に立っている。それだけなら「おー、バイト頑張れよ」なんて声をかけるだけで済んだかもしれない。しかし、問題は──彼が掴んでいる『商品』だった。
 俺が今日、命がけで買いに来た大人気BL漫画シリーズ──『影と光のジレンマ』の最終巻(限定アクリルスタンド&特製SS小冊子付き)。

「……千八百九十円になります」

 黒木の低く落ち着いた声が、レジに響く。
 彼の視線は、手元の本──表紙で二人の男が互いの胸元を密着させ、濃厚な美しさで絡み合っている美しいイラスト──にちらりと注がれて、それからゆっくりと俺の顔に向けられた。

(見られた! 完全にタイトルもジャンルも、なんなら表紙の『執着ドSスパダリ×不器用健気受け』の特大イラストもしっかり見られた!!)

「っ……!」

 声が出ない。血の気が引いて、指先まで冷たくなっていく。
 もし、俺が筋金入りの腐男子で、放課後にわざわざ隣町の書店まで来てBL漫画の限定版を爆買いしていることがバレたら?

 一軍グループでの居場所は、きっと崩壊するに違いない。「浅香ってあっち系なんだ」「やば」というヒソヒソ声が、勝手に頭の中で響く。
 俺の平穏で必死な高校生活が、音を立てて崩れ去る未来しか見えない。

「……あの、お会計」
「あ、はい!」

 パニックになりすぎて、声がひっくり返る。財布から二千円をむしり取るように差し出すと、黒木は至って平然とした顔でそれを受け取り、レジにお札を収めた。
 黒木は手際よく本を茶色の紙袋に入れると、特典の小冊子をそっと挟み込んだ。

 そして──紙袋を差し出す時、黒木の体が少しだけレジ越しに前のめりになった。
 ふわりと、彼がまとっている石鹸のような清潔な香りが漂ってくる。
 顔が近すぎる。

「百十円のお返しです。……あと、これ」

 息が止まった俺の手に、黒木は紙袋と一緒に、小さな紙の切れ端を握らせてきた。

「え?」

 お釣りと謎の紙切れを掴まされたまま固まる俺に、黒木はいつもの無表情のまま、どこか楽しそうに片方の眉を少しだけ上げた。

「……裏の駐輪場。バイト終わるまで待ってろ。言いふらされたくなかったら」

 耳元に届いたのは、クラスの女子たちが聞いたら悲鳴を上げそうな極上の低音ボイス。
 しかし、今の俺にとっては地獄からの呼び出し以外の何物でもなかった。

「ありがとうございましたー」

 事務的な声に見送られ、俺は生まれたての小鹿のように膝を震わせながら、フラフラと店を出た。

(待って、嘘だろ!? これって脅迫!? 絶体絶命のピンチじゃん!!)

 手に握りしめた紙袋は、今の俺には爆弾より重く感じられた。
 脳内では『影と光のジレンマ』の第2巻、ピンチに陥った受けが攻めに追い詰められるあの名シーンが、無情にも再生され始めていた──。