石垣の牛肉・島料理の店 ティダヌファ

 普段は、外でお酒を飲むことはほとんどないアラサー女子のくせに、私にはお気に入りの居酒屋がある。「石垣の牛肉・島料理の店・ティダヌファ」だ。とは言え、めったに行けない。その店は、自宅のある東京から約2000キロも離れた沖縄県石垣島にあるからだ。行けるのは年に四回程の出張の時だけだ。
 
 初めてその店に行ったのは、今から7年前の2015年10月。大学を出てから、まだそれほど経っていない、初めての出張の時だ。私が勤めているのはマリンスポーツの用具を扱う会社だ。ダイビング、シュノーケリング、サップにシーカヤック。そういったマリンスポーツのツアーを主催するショップが、石垣島には星の数ほどもある。島中に点在する取引先回りと、新規の取引先を探すのが二泊三日の出張の内容だった。私は、愛妻家で有名な四十代半ばの上司に、新人として紹介され、頭を下げて回った。
 
 一日目の仕事が済んだ後、上司は「玉木さんの入社後初めての出張だから特別だ」と言って、民謡ライブ酒場に連れて行ってくれた。初めて聴く生の三線の音と、歌者の歌が織りなす世界は新鮮だった。島言葉のため意味が分からない歌も、石垣島出身の有名なバンドの歌も、どれも素晴らしかった。しみじみとした歌もあったが、威勢の良い歌も多く、最後はカチャーシーと呼ばれる沖縄の踊りを、お客も一緒に踊ってライブは幕切れとなった。
「連れてきてくれて、ありがとうございました」
 上司に言ったその言葉に誓って嘘はなかった。しかし、同時に、私は、できれば翌日は一人で夕食を取りたいと思った。
 出張が決まってから、ネットで知識を漁った私は、沖縄の料理やお酒に強く心を魅かれていた。出張中は会社から食費も支給されるし、せっかく沖縄に行くのだから、たまには少し贅沢をして沖縄の料理と酒を味わいたかった。だが、一人になりたかったのは、上司と食事をするのが嫌だったからではない。時には、一人でのんびりと食事とお酒を楽しみたいと思うのは、元からの私の性分なのだ。
 まるで私の心を見透かしたかのように、翌日、上司は、私に、夕食は一人で取るようにと告げた。そして、一人でのんびりできる良い店があるからと、私に封筒を差し出した。中には、お金と「ティダヌファ」の名刺が入っていた。
 上司は、自分は美崎町というスナックが多く集まる歓楽街に出かけるからと言っていたが、きっと、それは嘘だ。そもそも、石垣島出張の同行者に私を指名したこと自体が、妙な頑張り方をして、いつも眉間に皺を寄せていた私を、日常とは少し違う世界に連れ出してやろうとしたのだと今は思っている。
 上司からもらった名刺を手に、私は、市役所通りと呼ばれる石垣島の目抜き通りを歩き、紹介してくれたお店を探した。観光客で賑わう通りに立ち並ぶ近代的なテナントビルには、大抵、明るく派手な商売をしている店が入っていた。お土産屋や、洒落たスイーツの店、民謡ライブ居酒屋などだ。
 しかし、「ティダヌファ」は、市役所通りにありながら、他の店とは一線を画していた。店の建物は、まがい物ではない昔ながらの赤瓦の一軒家だった。普通の家と大して変わらないドアのガラス越しに店内が覗けた。
 左手にレジと小さめな厨房があり、厨房とホールを隔てるカウンター席が五つ。右手のホールにはテーブル席が三つという、こぢんまりとした店だった。沖縄料理の店だが、沖縄系の音楽も流れてはいなかった。ここならば、一人でのんびりと食事が楽しめそうだと思いドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
 店に入ると、店主らしき女性に声を掛けられた。年の頃は五十代半ばだろうか?胸元に店の名前が入った黒いオープンシャツが似合っていた。彼女は、髪を後ろでお団子状に束ねていて、化粧も控えめだったが奇麗な人だった。若い頃は、相当モテたはずだと確信した。それがママとの出会いだった。
 私はカウンターの一番奥の席に陣取り、メニューを開いた。そこには、ゴーヤチャンプルーなどの定番の沖縄料理の他にも色々な料理が並んでいた。イラブチャ―など聞いたことも無い名前の魚の料理、オオタニワタリなど耳慣れぬ野菜の料理、そして名産である石垣産の牛肉の料理などだ。飲み物の所には、地元のいくつかの酒造の泡盛が名を連ね、沖縄のビール会社であるオライオンビールの瓶や生も、当然の如くそこにあった。
 10月とは言え、暑い日でもあったので、初めのお酒の注文は生ビールが良いだろうと思った。料理の方は、とりあえず、サラダから入るのが妥当だと思い、海鮮サラダを頼んだ。
 厨房に立つママは、私のほぼ目の前のサーバーから生ビールを注ぎ始めた。慣れた手つきで注がれる黄金色の液体の山頂に、雪の如くに白い泡が積もってゆく様を、私は、まるで美しい風景に見惚れているかのように眺めていた。
「はい、どうぞ」
 カウンター越しに渡されたジョッキから、一気に三分の一程を飲み干した。その日一日、いや就職してからその日までの疲れが一気に吹き飛んだような気がした。大げさかもしれないが、私は、それほど美味しいビールを今まで飲んだことが無いように思えた。
 そんな私の様子を見て、ママは微かな笑みを浮かべた。
「お客様は、ご旅行ですか?」
「いえ、出張です」
「そうですか、お疲れ様でした」
 そう言った後、ママは海鮮サラダの調理に移り、その後は言葉を掛けてくることはなかった。しかし、ママの何気ない気遣いの言葉が妙に私の心を和ませた。
 
 しばらくすると、ママが厨房を抜けて海鮮サラダを運んできた。
「お待ちどう様でした」
 私の前に置かれた海鮮サラダはとても美味しそうだった。まず、てっぺんに盛り付けられた海ブドウに心を奪われた。海ブドウは細身の海藻で、少し塩気の有る液を含む球体がいくつもついている。沖縄を代表する海藻で、結構、高価な食材だ。その他には、レタスなどの野菜に混じって、マグロの赤身や、茹でたイカ、ワカメなどの海産物が散見された。箸を着けてみると、オレンジ色の見慣れないドレッシングが具材の力をうまく引き出していた。生ビールとの相性もとても良かった。ドレッシングがママの手作りだと知ったのは、ずっと後のことだ。

 二番目の注文はどうしようかと、メニューに改めて目を通しながら、ふと思った。前日のライブ酒場では注文は上司任せだった。上司はゴーヤチャンプル―やラフテー、グルクンの唐揚げなど、定番で癖の無いものを選んでいた。ならば、少し逆をいってみようかと思った。そこで選んだのが豆腐ようだった。
 豆腐ようは代表的な沖縄の珍味だ。形は、一片の長さが3センチのサイコロといったところだ。豆腐を発酵させて作るのだが、味も触感もチーズのようだ。匂いが原因で敬遠する人も多いらしいが私は気に入った。ちょうどジョッキも空いていたし、豆腐ようには泡盛の方が合いそうな気がしたので、仕事で島を回っている間にあちこちで幟を目にした酒造のものをロックで出してもらった。予想通り、豆腐ようと泡盛は良い取り合わせだった。

 その次に選んだのはテビチだ。テビチとは豚足を煮たものだ。女の子なら、食べたいと思っても、可愛い子ぶって避けそうな料理だ。しかし、幸いにも私は一人だった。醤油ベースの甘い汁の中でトロトロに煮込まれた皮付きの肉は、スルスルと骨から剥がれ、箸でも簡単にほぐれた。しみ込んだ汁の甘味が極上の味を醸しだす逸品だった。脂っこい料理だから、私は、再びオライオンの生ビールを注文した。両者が奏でるハーモニーは、正に沖縄の味だった。
 
 続いてはイカ墨汁。正に真っ黒なスープだ。脂っこい料理の後だけに、さっぱりとした味が心地よかった。酒は、先ほどとは違う地元の泡盛を注文した。最初の泡盛は、リンゴのような色と形の琉球ガラスで届けられたが、二杯目は別のグラスに注がれてやってきた。円筒形のグラスは、下の方から濃い青から薄い青、そして薄いエメラルドグリーに彩られていた。まるで、この二日で見てきた石垣の海を思い出させるような色合いだ。ロックの氷を通して流れ込む泡盛はすっきりとした味わいで、イカ墨汁と共に、テビチの後としてはちょうど良かった。

 その後を受けたのが、マンボーのバター焼きだ。マンボーが食用になるとは想像したこともなかった。白身の肉はさっぱり系だったが、バターとの相性は良かった。酒は、再びオライオンビールの出番となった。

 最後に頼んだのが、石垣産牛肉の串焼きだった。柔らかい肉は脂肪部分にも旨味があって、名産と呼ばれるのも頷けた。
 
 私の他にもお客さんはいたが、店内は終始穏やかで、私は望み通り、一人でのんびりと料理とお酒を堪能することができた。生まれて初めて体験したような至福のひと時だった。しかし、残念ながら、それは一夜限りの夢のように思えた。翌日には、私は、また閉塞した東京の現実に戻らなければならなかったからだ。レジでママに代金を払う時に、そんな思いがそのまま口をついた。
「とても美味しかったです。このお店が家の近くにあったらいいんですが」
「ありがとうございます。機会があったら、また、いらしてくださいね」
「はい」
 そう答えたものの、つい苦笑いが浮かんでしまった。その時の私は、石垣島への出張が定期的なものになるのか分かっていなかったからだ。

 しかし、その三か月後には、私は二度目の石垣島出張の機会を得た。仕事が終わった後、上司は、まるで全て心得ていると言いたげな素振りで、一人でどこかへ行ってしまった。私は迷わずに「ティダヌファ」に足を運んだ。
 店に入り、カウンターの一番奥に陣取り、海鮮サラダと生ビールを注文した。すると。
「少し前にも、いらして頂きましたよね」
 ママにそう声を掛けられた。三カ月前に、一度来ただけの私のことを覚えていてくれたことが嬉しかった。

 それ以来、出張の度に足を運ぶようになったという訳だ。その店が気に入ったのは、料理が旨いことはもちろんだが、自分が理想とする、一人でのんびりできる雰囲気の店だったからだ。私は、いつもカウンターの一番奥の席に陣取り、調理をするママの目の前で、一人静かに料理と酒を楽しむのが常だった。
 文庫本を持ち込んだりすることもあったが、実際に読んだことはあまりなかった。日々の暮らしとは距離を置きたかったので、スマホを覗いたことは一度も無かった。ほとんどの場合、私は何も考えず、ただ目の前の料理と酒を楽しむことに集中した。
 そんな私の思いを、ママは良く心得ていた。あまり話し掛けてはこなかったが、愚痴をこぼせば、しっかり聞いてくれた。着かず離れずの心地良い距離を保ってくれていたのだ。たまに、隣に座った地元の常連さんが私に話し掛けたりすると、やんわりと制止してくれたものだった。ママが居たおかげで、私は、いつも安心して一人でのんびりと食事を楽しむことができたのだ。
 二年目の途中から、出張は私一人に任せられるようになり、より気が楽になった。だから余計に、私は石垣島への出張を心待ちにするようになった。
 
 そんなにその店が好きならば、観光で訪れても良いのでは?と思う人もいるだろう。しかし、私には、そうはいかない理由があった。私は、大学入学時に借りた奨学金の返済に追われていたのだ。
 私の家は貧しく、今なお、両親と妹の四人で、小さなアパートで暮らしている。故に、昔から自分の部屋などあったことが無い。両親には、私の学費を全額負担する余裕は無く、私は多額の奨学金を借り入れるしかなかった。無事に大学を卒業し、就職もできたものの、借金を抱えた身では、家を出て独立するどころか、普段は一人で外食する余裕すらなかった。
 私は決して人間嫌いという訳ではなく、両親や妹との関係も悪くなかった。だが、私は一人になりたかった。いや、時には落ち着いて一人になれる時間と場所が欲しかった。だから、出費を省いて、せっせと奨学金の繰り上げ償還に充てた。
 その結果は、当然、私の日常生活に表出した。社内の人間関係も良好で、酒も強いのに会社の飲み会にはめったに参加しない。服やバッグ、アクセサリーなど、お洒落には、まるでお金を掛けていない。薄化粧で、恋人がいる様子もない。それでも仕事は人一倍頑張る私を心配して、上司は石垣出張という風穴を開けてくれたのだが、そんな訳だから、高い旅費を自分で払って石垣島に行けるはずがなかった。
 
 さて、「ティダヌファ」自体のことに話を戻そう。「ティダヌファ」のメニューには魅力的なものが溢れている。そこでしか食べられそうにないものも多く、いつも目移りがする。
 例えば、チャンプルーだけでも、ゴーヤ、麩、豆腐、ソーメンと多彩だ。刺身は、イラブチャ―、タマン、シャコ貝など、沖縄でしか食べられそうにないものが揃っている。焼き物も、マンボーのバター焼き、高瀬貝のバター焼き、ハラゴーのガーリックステーキなどとユニークだ。揚げ物には、白身魚のフライ、竹富島産の車エビのフライ、モズクの天ぷらに、ジーマミ豆腐の揚げ出しなどがある。汁物には、イカ墨汁やアーサ汁が連なる。特産の石垣産牛肉の料理としてはハンバーグ、サイコロステーキ、串焼きなどがあるが、私の注文は、ほぼ、牛のタタキに定着している。
 意外と知られていないが、石垣島ではマグロ漁が盛んだ。ママの親戚にマグロ漁船の船長がいるお陰で、「ティダヌファ」には他では、まず食べられない貴重な部位の料理があるのだ。心臓の刺身、尻尾のマース煮、目玉の煮付けなどだ。さすがに常駐のメニューではないので、メニューにある時は外すことができない品々だ。
 また、「ティダヌファ」のメニューにはいくつか格別な思いのあるものがあるのだが、その一つが腸豆腐だ。しかし、それは私専用のいわば裏メニューで、本来は「島豆腐の塩辛乗せ三種盛り」だった。
 島豆腐とはその名の通り、沖縄風の豆腐だ。本土で目にする木綿豆腐より、やや硬い感じで、味もやや濃い目な印象だ。「島豆腐の塩辛乗せ三種盛り」は、その島豆腐に三種類の塩辛を乗せたものだ。その三種類とは、正統派のイカの塩辛、イカ墨入りの黒いイカの塩辛、そして鰹の腸の塩辛だ。どれも美味しい塩辛で、島豆腐、泡盛とのハーモニーは絶妙のものがあった。しかし、私は、とりわけ、腸の塩辛に心を魅かれた。そんな訳で、ある時、ママに我儘を言ってみた。
「あの、三種盛りじゃなくて、腸の塩辛だけにしてもらえますか?」
「良いわよ」
 ママは快く、私の我儘を聞いてくれた。それ以来、腸豆腐は私の定番になった。
 ところで、鰹の腸の塩辛と聞けば、酒盗だと思う人がほとんどだろう。しかし、石垣島のものは厳密には酒盗とは少し違う。材料に泡盛が使われているからだ。製造していたのは、石垣島にある〇×水産と言う小さな会社だ。三種盛りに乗っていた他の二種類のイカの塩辛もこの会社の製品だ。

 店には、私にとっては幻のメニューもあった。それは「石垣産牛肉のユッケ」だ。ユッケは主に焼肉屋で提供されていた韓国料理だ。生の牛肉の赤身を、甘いタレと卵の黄身と共に食べるものだ。ところが、ある事件をきっかけに、生の牛肉のユッケは一斉に全国の店から姿を消した。
 事件の内容はこうだ。とあるチェーン系の焼肉店が、普通はユッケには使わない劣悪な品質の牛肉を不適切な方法で使ったユッケを提供した結果、百人以上の人が食中毒を起こし、5人の人が亡くなったのだ。それ以降、飲食店は生の牛肉のユッケを出さなくなった。事件が起こったのは、私が大学1年の時だ。
 ある時、マグロのユッケを食べながら思ったことを、ママに訊いたことがあった。
「昔は、石垣産の牛肉のユッケとかメニューにあったんですか?」
「あったわよ。看板メニューの一つだったんだけどね」
 そう答えたママの顔は、えらく寂しげだった。石垣産の牛肉のユッケを、自分も食べてみたかったという強い思いが芽生えたが、所詮それは、もはや叶わぬ夢でしかなかった。

 さて、メニューの次は、ママ以外の「ティダヌファ」の面々についても話しておこう。
 そのうちの一人、ではなく、一匹はシーザーという名のシーズの雄犬だ。シーザーは、通常は二階の住居スペースに隔離されていて、店には出てこなかった。しかし、閉店間際に、客が私一人になると、ママがシーザーを店に連れてくることがあった。シーザーは、半ばジャンプするように上半身を起こし、カウンター席に座る私の足にじゃれつくことが何度かあった。ペット等、飼ったことがない私には、ちょっと目新しい経験だった。
 もう一人は、雄二さんだ。ママは、ずっと一人でお店を切り盛りしていたわけではなく、アルバイトも使っていた。私が通い始めてから、アルバイトの顔が何度か変わった後、ママのアシスタントは雄二さんに定着した。雄二さんが店を手伝うようになったのは、出張が始まってから三年目の半ば頃だった。雄二さんはママの親戚で、私と同い年だった。雄二さんは、東京の大学を出て就職したものの仕事に馴染めず、故郷の石垣に戻り、いつか自分の店を出すことを夢見て、ママの許で修業を始めたのだ。
 たまたま、私が持ち込んでいた文庫本がきっかけで、私と雄二さんは、小説や、映画、ドラマの好みが似ているのが分かったが、ママと同様に、雄二さんとも、言葉を交わすことは少なかった。ただ、雄二さんとの間には、ママの場合とは少しだけ違う他愛の無いエピソードがあった。
 その日、帰ろうとしたところで、私は南の島特有の豪雨に見舞われた。私は折り畳み傘をホテルに置いてきていた。予報では雨が降るとは言っていなかったからだ。私は自分の愚かさを恥じた。石垣では、降ると言っても晴れるし、晴れると言っても降る、それが当たり前だったからだ。レジの前で、どうしたものかと考えていたら、傘立ての中に、数本のビニール傘があるのが目についた。どれも少し古びていて、お客さんが取りに来ない忘れ物をストックしてあるように見えた。
「あの、ここの傘、借りても良いですか?」
 そう尋ねると、ママは意外な反応をした。
「ダメよ。そんな傘は、この雨の中じゃあまり役に立たないわ。ちょっと待ってて」
 そう言い置くと、ママは店の奥の方から立派な傘を二本持って戻ってきた。そして、雄二さんに声を掛けた。
「雄二さん、玉木さんを送ってさしあげて」
「はい」
 雄二さんは快く応じて、厨房からレジの方に向かい始めた。
「ええ、いいですよ、傘を貸してもらえれば、一人で帰れますから」
 さすがに恐縮して、私はママの申し出を断った。
「気にしないで、もう、お客さんもいないし、返しに来るのも面倒でしょう」
 そこまで言われると、固辞するのも気が引けた。
「じゃあ、雄二さん、お願いね」
「はい、じゃあ、行ってきます」
「すみません、じゃあ、また来ます」
 そう言って、私は店の外に出た。
 それから、激しい雨の中を、雄二さんと並んで歩いた。店の外でもあり、私の「のんびり」を尊重しなければならないシチュエーションでもなかったので、雄二さんは普通に話し掛けてきた。大した時間ではなかったが、雄二さんとの会話は楽しかった。道行く人の目には、私たち二人は恋人同士に見えたかもしれなかった。
 ホテルにたどり着き、借りた傘を雄二さんに渡した時、雄二さんの顔が少し、緊張したように見えた。
「あの、玉木さん、今・・・」
 そう言いかけて、不意に雄二さんは言葉を飲み込んだ。
「ああ、いえ。じゃあ、またのご来店をお待ちしています」
 早口でそう言うと、雄二さんは足早に店の方に戻っていった。
  これは、前回の出張の時の話だ。

 初めての石垣出張から約5年間、石垣への出張は、私にとって心の支えだった。石垣島は、私にとって、現実世界と地続きの異世界だった。
 海に入ったことは一度も無かったが、レンタカーで仕事先を回る合間に、少しだけ観光名所に足を止める程度のことはできた。川平湾、玉取崎展望台、平久保崎、何度訪れても決して飽きのこない美しい場所だ。珊瑚礁に囲まれた石垣島の海の色は、本土では決して見られないものだ。その青を見るだけで、日頃の心の汚れが浄化されてゆくような気がした。
 そして、一日の仕事が終われば、「ティダヌファ」での至福の時が待っていたのだ。私は、一人で落ち着いて料理と酒を味わった。一人で飲んでも、それは古い演歌の歌詞に出てくるような悲しい酒ではなかった。私は一人きりだったが、一人ぼっちではなかった。実際には、それほど話をした訳ではなかったが、ママがいたから、私は安心して、一人で料理と酒を楽しむことができたのだ。
 石垣出張は、奨学金の返済を急ぐ閉塞的な東京の暮らしという現実から抜け出せる、夢のような時間だったのだ。石垣出張のことを思うと、辛い日常に耐える力が生まれた。
 しかし、そんな日々は、ある時、思いもよらない形で終わりを迎えた。終わらせたのはコロナウィルスだ。

 今から約2年前、2020年の4月に東京を含む各地に、緊急事態宣言が発令された。それと共に、会社では出張は原則禁止になった。更に間もなくして、在宅勤務が始まった。
 同じく自宅勤務となった妹と、狭いアパートで顔を突き合わせるようにしてパソコンに向かう毎日は息苦しかった。重苦しい空気のせいで、些細なことから妹と言い争いになることもしばしばだった。
 
 そんなある日、一つの訃報が舞い込んだ。共に石垣島に出張をしてきた上司がコロナで亡くなったというのだ。
「定年になったら、石垣島に移住したいな」
 度々そんなことを語っていた上司は、夢を実現するどころか、定年を迎えることもできず、奥様と小学生のお子さんたちを残し、あっけなくこの世を去った。上司の死に、私の心は大きく心が揺れた。私を石垣島に連れ出し、「ティダヌファ」に導いてくれたことに感謝して、お別れを言いたかったが、コロナ禍にあっては、それもままならなかった。

 気が重い日々に、少しでも安らぎを感じる方法は無いかと考えた末に、私は、〇×水産から、腸の塩辛取り寄せることを思いついた。幸いなことに、〇×水産からは、腸の塩辛を送ってもらえるようになった。しかし、島豆腐は手に入れようがなかった。
 そこで、思いついたのが、居酒屋によくある、イカ納豆のように、納豆と和えて食べることだった。試してみると、とんでもなく旨かった。コストパフォーマンスという観点だけから見れば、石垣産の牛肉さえ足元にも及ばなかった。ネット通販では、腸の塩辛と相性の良い泡盛も手に入った。
 ところが、少し前に、〇×水産から、悲しい知らせが届いた。コロナ禍の中でも営業を続けてきたが、経営者の高齢化もあり、廃業したというのだ。ショックだった。コロナ禍が収束した後に石垣に行っても、もう腸豆腐は食べられないからだ。
 コロナウィルスがもたらした不条理な世界で、私は、ただただ、再び石垣島を訪れる日が来るのを待ち続けた。

 そうして、遂に、今日、私は、ようやく石垣の地に戻ってきたのだ。最後の出張から約2年半、世界が混沌に陥っても、石垣の海の青さは何も変わっていなかった。だからと言って、「ティダヌファ」も変わっていないとは限らなかった。昨夜、電話を入れてみたのだが、応答が無かったのだ。店は、まだ休業中かも知れないし、最悪の場合、〇×水産のように廃業してしまったという可能性もゼロではない。行ってみなければ分からなかった。

 仕事が終わった後、私は「ティダヌファ」に向かった。表裏になった期待と不安が一足毎に入れ替わるのを感じならが、市役所通りを歩いた。早くも観光客が戻り始めたのか、人通りも少なくはなかった。
 店が見えてくると、懐かしさで胸が一杯になった。やっと私はここに帰ってくることができたのだ。そう思ったら、目頭が熱くなった。ドアの前に立つと「営業中」の表示が掲げられていた。ガラス越しに覗いた店内に客は一人もいなかった。
 ドアを、開け、店に入った。店内はコロナ前と何一つ変わっていなかった。そして、店の奥からママが姿を現した。
「あら、玉木さん、いらっしゃい。お久しぶりね」
「はい、ご無沙汰しています」
「さあ、どうぞ、お掛けになって」
「はい、失礼します」
 そう言って、私は、いつも通り、カウンターの一番奥の席に腰を降ろした。
「今日いらしたの?」
 おしぼりと水の入ったグラスを私の前に置きながら、ママが尋ねた。
「はい、やっと出張が再開になって、また、ここに来ることができて、泣きそうになりました」
「まあ、大袈裟ね。まずは、オライオンビールの生と海鮮サラダでよろしいかしら?」
 前回来てから、随分と間が開いているのに、私の注文の傾向をきちんと覚えていてくれたのが嬉しかった。
「はい、お願いします」
「じゃあ、少々お待ちくださいね」
 ママはカウンターの反対側の厨房に戻ると、さっそくサーバーからビールを継ぎ始めた。単なる作業に過ぎないのに、私にはその姿がやはり美しく見えた。相変わらず、ママは奇麗だ。
「はい、お待たせ」
 カウンター越しに差し出されてジョッキを受け取ると、私は、一気に三分の一程を煽った。美味しかった。「ティダヌファ」のカウンターで飲むオライオンの生ビールはやはり最高だ。

 海鮮サラダを待つ間に、私は、ようやく、いつもとは少し違うことに気づいた。雄二さんがいないのだ。
「あの、今日は、雄二さんは、どうしたんですか」
「ああ、あの子、今日はお休みなの」
 海鮮サラダを作る手を止めることなくママが答えた。
「でも、玉木さんがいらしたから、後であの子にも来てもらわないとね」
 そうは言ったものの、ママは雄二さんに電話を掛ける訳でもなく、海鮮サラダの調理を続けるだけだった。

 しばらくして、私の前に海鮮サラダが届けられた。いつも通りではない海鮮サラダを見て、私は驚いて声を上げてしまった。
「あれ、どうしたんですか?高価な海ブドウが超山盛りじゃないですか」
「あら、そうかしら。ゆっくり召し上がって」
「ありがとうございます。じゃあ、頂きます」
 私は、大喜びで海鮮サラダに箸を着けた。海ブドウとオライオンの生ビールのコラボ。私は、久々に味わう両者の競演にしばし心を奪われた。いつも通り、ママはそんな時は、私に声を掛けてこなかった。出張先で一人食事を楽しむ時間が、私にとって至福の時であることをママは心得ているのだ。ただ、黙っていてもママがそこにいるお陰で、私は孤独にさいなまれることなく、一人を楽しむことができるのだ。そんなことを改めて感じた。やはり、「ティダヌファ」は私にとって特別な場所だ。

 海鮮サラダを食べ終わったタイミングを見計らって、ママが尋ねてきた。
「今日は、目玉の煮付けがあるけど、どうなさる?」
「ああ、頂きます」
 私は、即座に答えた。せっかくのチャンスを逃す手は無かった。私は、泡盛も注文し、目玉の煮付けが運ばれてくるのを待った。煮付けは程なくして運ばれてきた。
 マグロの目玉の煮付けは中々の珍味だ。眼窩がそっくり取り出されていて、食べるべき所は、主に薄い殻のようなものの中に納まっているのだ。眼球自体は少し硬くなってしまうのだが、その周りはトロトロとしていて、コラーゲンたっぷりという感じで味わいがある。私は、久々に飲む銘柄の泡盛と共に類まれな料理に舌鼓を打った。

 その次に頼んだのは高瀬貝だ。高瀬貝の貝殻は中々奇麗だ。背の低い円錐形で、山のようにも見え、白地にエンジ色の斑点がついている。手の平程の大きさのものが、店内にも飾りとして置かれていた。私は、一人でのんびりと食事を楽しみながら、よく、その貝殻を見つめていたものだった。私の会社のデスクには、小さな子供の貝殻が置かれている。雄二さんが砂浜で拾ってきて、私にくれたものだ。
 高瀬貝はバター焼きで提供される。コリコリとした触感で美味しい。当然、泡盛よりもビールの方が相性が良い。

 高瀬貝のバター焼きを食べ終わったところで、ママに訊かれた。
「カツオの腸の塩辛、好きだったでしょう、お召し上がりになる?」
「ええ、あれ、作っていた会社がなくなったって聞きましたけど」
「ギリギリで手に入ったものが少しだけ残っているの。召し上がる?」
 嬉しくて泣きそうになった。
「ありがとうございます。もちろん、頂きます」
「そう、じゃあ、ちょっと待ってね」
「はい」
 期待に胸を膨らましながら、私はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。

「カツオの腸の塩辛、どうぞ」
 目の前に置かれたそれを見て、私は驚いた。塩辛は、私が家でやるのと同じように納豆和えになっていたからだ。
「島豆腐を切らしているから、納豆和えにしてみたの。納豆和えもお好きでしょう」
 ママの確信めいた発言を不思議だと思った。私が、自宅ではそういう食べ方をしていることをママが知るはずがなかったからだ。
 そんなことを考えて、出された塩辛の納豆和えをのぞきこんでいると、ママに声を掛けられた。
「ジョッキが空いているわね。次は泡盛にする?宮良川のロックが良いかしら?」
 そう訊かれて、ママは、私の飲み方もきちんと覚えているのだと感心した。私は、「ティダヌファ」では、石垣島の酒造の泡盛をあれこれと注文していたが、腸の塩辛を食べる時は、宮良川と決まっていたのだ。宮良川は臭みが強い泡盛だ。石垣の人でも苦手とする人がいる半面、これじゃなきゃダメだと言う人もいる酒だ。
 
 二度と食べられないと思っていたカツオの腸は、やはり旨かった。臭みの強い宮良川との掛け合いも絶妙だ。それを「ティダヌファ」のカウンターで味わっている。おまけに、私は、それを他の客に煩わされることもなく、一人静かに満喫している。なんて幸せなんだろうと思った。その瞬間、やっと気づいた。そうだ、周りに他の客が一人もいないのだ。
 私が店に入った後、他の客が一人も入ってきていないのだ。妙な話だ。店に入る前、市役所通りには結構人がいた。私の後、一人も客が入ってこないのは変だと思った。
「ねえ、ママ、他のお客さんが来ないのは変じゃない?」
「そうでもないわ、商売って不思議なものでね。観光の人がたくさん来ているのに、お店が空っぽの時もあれば、閑散期にお客さんで一杯になることもあるのよ」
 ママが、笑顔でそう言うので、私は再び塩辛と泡盛に向かい合った。美味なる料理と酒は、一瞬で私の疑問を跡形もなく溶かしてしまった。

 そろそろ締めの注文に入る頃合いに、ママがまた提案をしてきた。
「玉木さん、石垣産の牛肉のユッケを召し上がる?」
「え、出してもらえるんですか?」
「表面に少し火を通さなければならないから、昔と全く同じとは言えないんだけど、味はほとんど変わらないわ。どうなさる?」
「もちろん頂きます」
 今では、幻の料理となってしまった石垣産の牛肉のユッケ。それが「ティダヌファ」で食べられるなんて夢みたいだ。料理が出てくるまで、私のドキドキのメーターは数値が上がる一方で、料理が来る前に、針が振り切れそうな気がした。

 石垣産の牛肉のユッケ、その美味しさの前に、もはや、言葉は無力だ。腸の塩辛同様、いまや幻の味だから当然だ。火を通した部分が奇麗に削り取られた肉は、生と見まごう程だった。甘いタレと卵黄が絡まった赤身の肉が、口の中で溶けてゆくその瞬間、私は恍惚の表情を浮かべているに違いなかった。私は、一箸、一箸、噛みしめながら究極の喜びに浸った。

「さて、お料理は、もういいわね」
 ユッケを食べ終わるのを見計らってママが声を掛けてきた。本当は、もっともっと食べたいものもあったのだが、お腹もいっぱいだったし、本来の閉店の時間を過ぎていたから素直に同意した。
「はい。堪能しました」
 そう答えると、ママは嬉しそうな顔をした。
「そう、良かったわ。ああ、玉木さん。まだ少し飲めるわよね?」
「あ、はい」
「じゃあ、私も、少し一緒に飲ませてもらおうかしら」
 その言葉を聞いて、私は少し驚いた。私に限らず、ママはそれまで、どんなお客とも席を共にすることが無かったからだ。
「玉木さん、とっても良い古酒(クース)が手に入ったのよ」
 ママの言う古酒とは3年以上寝かした泡盛のことだ。ママは、厨房の背面の棚に置かれた甕の中から柄杓で古酒をすくうと、それを氷の入った二つのグラスに注いだ。そして、厨房からカウンターの方に進むと、私の隣の席に腰を降ろし、私の前に古酒のグラスを置いた。そして、ママは乾杯の意志を伝えるように自分のグラスを持ち上げてみせた。
「変なタイミングになったけど、再会を祝して、乾杯」
「乾杯」 
 私たちは、グラスを合わせると、一緒に古酒を口に運んだ。
 初めて飲んだその泡盛の古酒は、角が取れたようなまろやかな味で、今まで飲んだどんな泡盛よりも美味しかった。
 私が一旦グラスをカウンターに置いたところで、ママが問いを投げた。
「あの、玉木さん。今、お付き合いしている方はいらっしゃるの?」
「え、ああ、ええと、いませんけど」
 ぎこちない答えになったのは、恥ずかしかったからではない。ママの質問が意外だったからだ。ママは、それまで、私のプライバシーに深く立ち入るような質問を決してしたことが無かったのだ。
「へえ、そうなんだ」
 私の答えに応じたママの顔は、なぜか少し嬉しそうだった。
「ああ、ちょっと失礼するわね」
 そう言い置いて、ママは店の奥にある二階に続く階段の方に向かった。たぶん、私に一人でじっくりと古酒を味わう時間を与えると共に、営業も終了したので、シーザーを連れに行ったのだと思った。しかし、しばらくすると、ママは一人で戻ってきて私の隣に腰を降ろした。
「あれ、シーザーを連れに行ったんじゃなかったんですか?」
「ああ、シーザーは、今、預かってもらっているの」
「そうですか、残念ですね。シーザーにも会いたかったな」
「大丈夫、シーザーには、すぐに、また会えるわよ」
「そうですね」
『すぐに』とは、次に来た時という意味だと私は思った。
「ああ、その古酒を飲み終わるまで、ゆっくりしていってね」
 ママは、そう言うと厨房に戻り片づけを始めた。

 その後、ママの言葉に甘えて、一人ゆっくりと古酒を味わっていたら、既に真夜中近くになっていた。古酒を飲み終わったところで、私は席を立ち、ドアの前に設けられたレジに赴いた。
「ごちそうさまでした。では、お会計をお願いします」
 すると、ママは、厨房から出て、私の横にやってきた。そして、少し寂しそうな顔をして意外なことを言い出した。
「玉木さん、今日は、お代は結構よ」
「ええ、どうしてですか?」
 問い返すと、ママの顔の寂しそうな様子が色を増した。
「玉木さん、このお店は、本当は、もう閉店していたの。だから、もう、お代はいいのよ」
 絶句した。「ティダヌファ」が既に閉店していた。晴天の霹靂だった。動転する私に、ママが優しく語り掛けた。
「玉木さん、今まで、どうもありがとう。他のお客様とは、きちんとお別れができなかったけど、あなたとだけは、きちんとお別れがしたかったの。長くお店を続けてきたけど、あなた程、私の料理を美味しそうに食べてくれた人はいなかったわ。だから、今日、あなたに会えて嬉しかったわ」
 その言葉を聞いて、私は、ようやく、今夜の少々不思議なあれこれの意味を理解した。涙が止めどなく溢れてくるのに、裏腹に溢れるほどの思いは何一つ言葉にならなかった。ドアの前に立ち尽くしていると、ママに声を掛けられた。
「さあ、すぐに店を出なさい」
 初めて聞く、ママの命令口調の言葉だった。「さよなら」の一言さえ口にできぬまま、私はドアを開け、人々が行き交う市役所通りに出た。
 振り向くと、店内に明かりは無く、ドアには閉店のお知らせの張り紙があった。そこには、思った通り、悲し過ぎる閉店の理由が記されていた。
 呆然と立ち尽くしていると、右手から犬の鳴き声が聞こえてきた。声のした方を向くと、シーザーが物凄い勢いで私の方に走って来るのが見えた。シーザーに引っ張られるようにして走ってきたのは雄二さんだった。シーザーは私の許にたどり着くと私の足元にすり寄ってきた。じゃれつくシーザーの声が何かしら悲し気に聞こえた。
「良かったら、これ、使ってください」
 雄二さんがハンカチを差し出した。遠慮せずに受け取って私は涙を拭った。
「ママは、コロナで亡くなったんですね」
「はい、残念です」
 それぞれに、ママへの思いが高まったせいで、二人とも、しばらく沈黙してしまった。ようやく、落ち着きを取り戻したところで、私の方が口を開いた。
「あの、いつも、こんな夜中にシーザーを散歩に連れて行っているのですか?」
「まさか、いつも、散歩は朝ですよ。今日は例外です。実は、僕、眠っていたんですが、突然吠え出したシーザーにたたき起こされたんです。僕を起こした後、シーザーは、家のドアにぶつかったり、引っかいたりし始めたんです。どうしても、外に出たいのだと思って、仕方なく付き合うことにしたんです。そうしたら、シーザーは一目散に店の方に向かったのですが、まさか、ここで玉木さんにお会いすることができるとは思いませんでした。偶然ってあるものなんですね」
 偶然ではないと思った。ママは言っていた。後で雄二さんにも来てもらうと、そして、シーザーにもすぐ会えると。そうだ、たぶん、ママはシーザーに、雄二さんを店まで連れてくるように頼んだのだ。シーザーと雄二さんを、私とひき会わせるために。そう思ったら、また涙が出てきた。私は、借りたままになっていたハンカチを再び使う羽目になった。私の様子を見て、雄二さんが言ってくれた。
「あの、そのハンカチ、持っていてください」
「ああ、済みません。お言葉に甘えさせて頂きます」
 ハンカチは、まだ必要な気がして、そう答えた。
「でも、洗って返してくれると嬉しいな」
 このタイミングで妙なことを言うなと思ったのが顔に出たのか、雄二さんに謝罪をされた。
「ああ、ごめんなさい。遠回しな言い方をして。こんど石垣に来る時に、持って来て欲しいって意味なんです。実は、僕、来月、自分のお店を出すんです。玉木さんには、是非、僕のお店に来て欲しいんです。ママの遺言で、シーザーと共に、僕はママのレシピも受け継いだんです。ママの料理の味を、僕は自分の店で再現するつもりです。もちろん、僕自身の創作料理も作ってゆくつもりです。一人でも気軽に入ることができて、ゆっくりと料理が楽しめる。そんなお店を目指すつもりです。玉木さんにも気に入ってもらえるお店を作ってみせます。いや、作れるように努力します。だから、次に出張で石垣に来た時には、僕のお店に来てください」
 そこまで言って、雄二さんはポケットから財布を出すと、中から名刺を取り出し、それを私に差し出した。
「済みません。奇麗な名刺の持ち合わせがなくて。お店の場所や電話番号などはそこにある通りです」
 渡された名刺には、お店の地図も載っていた。
「あの、お待ちしていますから」
 そう言われても、私は「はい」とは答えられなかった。「ティダヌファ」は、もうないとは言え、そう簡単に頭の中を切り替えることができなかったからだ。
「じゃあ、僕はこれで失礼します」
 雄二さんの声には、少し失望が混じっているような気がした。
「ああ、はい。失礼いたします」
 そっけない言葉を返してしまったことが少し悔やまれたが、後の祭りだった。雄二さんは、大人しくなったシーザーを連れて、元来た道を引き返していった。
 そして、私は改めて、閉店を告げる張り紙に目を向けた。その時、暗い店内からママの声が聞こえたような気がした。
「玉木さん、いつまでも、この店の影を追いかけちゃダメよ」
 まるで自分の子供を諭すような、優しい声だった。
 その声のお陰で、私は、ようやく、「ティダヌファ」の閉店を正面から受け止めることができた。この世に、永遠のものは存在しない。全ての人がいつか死ぬように、どんなお店もいつかは閉店する。しかし、世の中には、昔から受け継がれてきた味が存在するのも事実だ。そして、新しい味もまた生まれてくるのだ。
『次の出張で石垣島に来たら、雄二さんのお店に行ってみよう』
 そう思った私は、手の中のハンカチをポケットにしまい込んだ。とりあえず、ハンカチは、もう必要がないような気がした。
 
                           終
 
 あとがき
 
  本作はファンタジーであり、当然、フィクションです。本作に登場する店名、会社名、酒類等の名称などは全て架空のものです。