私は魔導書を開き、敵を観察する。
体表。足元。溶解液。三体の位置。そして、昨夜の雨が残した、大きな『水溜まり』。
【SYSTEM】『推定水分量:82%』
【SYSTEM】『体内電解質濃度:高』
【SYSTEM】『足元:水分を含んだ泥』
【SYSTEM】『三体すべて、同一水域へ接触』
「なるほどね。電気抵抗の低いゲル状生物が、三体仲良く同じ水溜まりに浸かっている、と」
別々の敵に見えるが、水溜まりを通じて完全に一つにつながっている。
個別に狙う必要はない。足元の水溜まりに雷を落とせば、三体同時に感電する。
で、敵のスペックはというと……。
【SYSTEM】『個体名:ジャイアントスライム』
【SYSTEM】『マナ:4,800』
【SYSTEM】『エーテル:40』
「マナは私の四百倍。エーテルも四倍以上か……」
思わず、唇の端が上がった。
「頭は悪そうだけど、サーバーとして使うには悪くないわね」
【SYSTEM】『推奨行動:悲鳴』
「あなたの推奨行動は、黙ることっ!」
三体が一斉に跳びかかる。
「逃げろおおおおおおお!」
丘の中腹から、アレクの絶叫が聞こえた。
私は逃げる代わりに、乾いた岩の上へ片足を固定し、空中へ指を走らせる。
青白い魔法文字が次々と浮かぶ。
使用するのは、敢えての初級雷魔法。
威力は低い。普通に使えば、ただバチッと火花が散るだけの低級魔法。
なぜこの魔法は弱いのか? それは 開発者が『マナの消費量』と『出力上限』に強力なリミッターをかけているからだ。
だったらその制限を消して威力を上げてしまえばいい。
ただし私のマナは『12』、エーテルは『9』しかない。そんな私が、威力の高い魔法を使ったところで、たぶん、フリーズする。なんなら死ぬ。
だから、私自身は魔法を使わない。重い処理は外部のサーバーへ丸投げする。
視線を、術式の三行目へ落とす。
【SYSTEM】『消費元:ローカル(術者)』
【SYSTEM】『演算領域:ローカル(術者)』
「消費元と演算領域を、術者から――『対象(スライム)』へ書き換え」
自分の器は空のまま。魔法を発動するためのマナも、それを処理するカロリーも、全部スライム自身に負担させる。
私はただ、命令という名の「極小のウイルス」を送信するだけ。
【SYSTEM】『術式名:ライトニング』
【SYSTEM】『攻撃対象:単体』
【SYSTEM】『出力上限:10』
私は空中に浮かぶコードの『単体』と『出力上限』をつかみ、ゴミ箱へ放り捨てるように消去した。
そして空いた行へ、最悪の『条件式』にたった一書き足す。
「攻撃対象を『水溜まり』へ変更。そして――
『While (対象のHP > 0) { 実行 }』(対象が死ぬまで雷を落とし続ける、無限ループ処理を追加)」
ここで言う『対象』は、直前に書き換えたばかりの『水溜まり』を参照する。
でも、水溜まりにHPなんて定義されていない。参照したところで返ってくるのは値ではなく、ただの空だ。
よって、この条件式は永遠にループする!
【SYSTEM】『警告:リミッターの解除は重大なエラーを引き起こします』
【SYSTEM】『警告:自己参照による無限ループを検知!』
【SYSTEM】『警告:対象(スライム)の処理能力がパンクします!』
「ええ、パンクさせるのよ」
巨大な紫色の影が、私の頭上を覆った。
牙が開く。溶解液が飛ぶ。鼻先まで、残り十センチ。
【SYSTEM】『勇者到着まで 39秒』
「勇者、遅すぎっ!」
私は、展開した術式を両手で押し潰すように実行した。
「リソース超過につき――強制自爆!」
パチン!
指先から放たれた極小の火花が、水溜まりの中央へ落ちた。
一瞬、すべての音が消える。
次の瞬間。
ズガガガガガガガガガガガガガンッ!!!!!
世界が、真っ白に飛んだ。
外部から撃ち込まれた無限ループの命令により、スライムたちは自身の巨大な魔力を使って、自身の内側へ雷魔法を千回、万回と際限なく掛け続けたのだ。
処理能力の限界を超えた三体のスライムは、エラーを起こしたパソコンのように完全にフリーズし――直後、内側から爆発した。
「ピギャアア――」
数億ボルトの落雷が下から上へ逆流するように吹き荒れ、三体を光の柱ごと天へ打ち上げる。
断末魔すら轟音に掻き消された。膨張したスライムは細胞レベルで炭化し、空中で跡形もなく消滅した。
空気が焦げる匂い。雷光が収まったあとには、クレーターのようにえぐれ、完全に干上がった地面だけが残っていた。
【SYSTEM】『戦闘終了』
【SYSTEM】『致命的なダメージ超過を検知』
【SYSTEM】『救出対象(敵)が見つかりません』
【SYSTEM】『勇者の役割を再計算中……』
【SYSTEM】『再計算に失敗しました』
バグったように明滅するウィンドウだけが、黒焦げの大地の上で虚しく点滅していた。
私は自分の指先を見た。
焦げても、痺れてもいない。当然だ。あの雷を出したのは私ではないのだから。
「デバッグ完了。仮説どおり、ね」
読めるし、書き換えられるし、他人の魔力なら動かすことも可能。
私は満足げに笑みを浮かべ、ドレスについた煤を払った。
それから三十九秒後。
「今、助けるぞおおおおおおお!」
アレクが到着した。
勢いを殺せず、黒焦げになったクレーターの縁で足を滑らせる。
ズルッ!
「うわっ!?」
両腕を振り回して辛うじて転倒だけは耐えたものの――。
「…………」
完璧な勇者は、魔物の姿すらない焦土の中心で、一人きりポーズを決めて固まっていた。
「ま、魔物は!?」
「駆除しました、わ」
「駆除!? 君が? この地形が変わるほどの魔法で!?」
「ほかに誰がいらして?」
アレクは聖剣を見た。抉れた大地を見た。もう一度、聖剣を見た。
勇者らしい決めポーズだけが、夕日の中で猛烈に空しい。
「い、いや。でも、危険だっただろう? 怪我はないかい?」
アレクの背後へ、キラキラした光のエフェクトが出現した。
遅刻したくせに、システムはまだ救出イベントを成立させる気らしい。
風が吹くき、マントがなびいた。
花びらが舞う中、アレクが顔にゼリーをつけたまま爽やかに微笑んだ。
【SYSTEM】『Post Event(事後イベント):勇者による負傷確認』
【SYSTEM】『接触条件:手を取る』
【SYSTEM】『追加演出:安心したヒロインが胸元へよろめく』
「まだ続けるつもりですわね……」
「え?」
「あ、いえ。こちらの話ですわ。到着が四十七秒遅れでしたので、障害は自力で解決いたしました。チケットも閉じましたわ」
「ち、ちけっと?」
「要するに、もう出番はありませんよ、ということです」
「勇者なのに!?」
アレクは慌てて私の手を取ろうとした。
「と、とにかく! 女の子を一人で帰すわけには――」
くるりっ。
私はドレスの裾をふわりと揺らし、ワルツのようなステップで軽やかに半歩後ろへ下がった。
アレクの手が、見事に空を切る。同時に、彼を彩っていた背後のキラキラが一斉に消えた。
「あれっ?」
【SYSTEM】『接触条件:不成立』
【SYSTEM】『救出後イベント:失敗』
「お気遣い、感謝いたします。ですが、私、助けて欲しいとは一言も言ってないです」
「いや、でも……僕は勇者で、君は女の子だから……」
「ご心配なく。見ての通り、自力で処理できる問題でしたから。それに、あなたのように『周囲への強制力』が強いキャラが近くにいると、こちらの動作検証がひどくやりづらくなります」
「強制力?!」
「ええ、なので申し訳ないのですが、はっきり申し上げて――今の私にとって、あなたの存在は検証の邪魔になる『ノイズ』でしかないですわ」
私が小首を傾げて微笑むと、アレクは「えっ」とたじろいだ。
「僕がノイズ!?」
「ですから、次からはもう少しだけ静かに登場していただけると助かりますわ」
「次回もあるの!?」
「それは、あちらの仕様次第ですわね」
私は空中のウィンドウを指さした。もちろん、アレクには見えていない。
「あちらって、どちら!?」
「説明しても理解できないでしょうから割愛しますわ。それでは、私はこれで。これからも決めポーズの練習、頑張ってくださいね? ごきげんよう」
にっこりと笑って手を振り、踵を返す。
「待ってくれ! せめて名前を――」
「個人情報なので!」
夕焼けの平原に、アレクだけが取り残された。
「僕は……助けるはずだったのに……」
その肩へ、花びらが一枚だけ寂しく落ちる。
顔には、まだ煤がついていた。
歩いていく私の目の前に、次々とシステムのウインドウが開いていく。
【SYSTEM】『好感度イベント:失敗』
【SYSTEM】『現在の好感度:-18』
【SYSTEM】『警告:これ以上低下させないでください』
「知らないわよ」
体表。足元。溶解液。三体の位置。そして、昨夜の雨が残した、大きな『水溜まり』。
【SYSTEM】『推定水分量:82%』
【SYSTEM】『体内電解質濃度:高』
【SYSTEM】『足元:水分を含んだ泥』
【SYSTEM】『三体すべて、同一水域へ接触』
「なるほどね。電気抵抗の低いゲル状生物が、三体仲良く同じ水溜まりに浸かっている、と」
別々の敵に見えるが、水溜まりを通じて完全に一つにつながっている。
個別に狙う必要はない。足元の水溜まりに雷を落とせば、三体同時に感電する。
で、敵のスペックはというと……。
【SYSTEM】『個体名:ジャイアントスライム』
【SYSTEM】『マナ:4,800』
【SYSTEM】『エーテル:40』
「マナは私の四百倍。エーテルも四倍以上か……」
思わず、唇の端が上がった。
「頭は悪そうだけど、サーバーとして使うには悪くないわね」
【SYSTEM】『推奨行動:悲鳴』
「あなたの推奨行動は、黙ることっ!」
三体が一斉に跳びかかる。
「逃げろおおおおおおお!」
丘の中腹から、アレクの絶叫が聞こえた。
私は逃げる代わりに、乾いた岩の上へ片足を固定し、空中へ指を走らせる。
青白い魔法文字が次々と浮かぶ。
使用するのは、敢えての初級雷魔法。
威力は低い。普通に使えば、ただバチッと火花が散るだけの低級魔法。
なぜこの魔法は弱いのか? それは 開発者が『マナの消費量』と『出力上限』に強力なリミッターをかけているからだ。
だったらその制限を消して威力を上げてしまえばいい。
ただし私のマナは『12』、エーテルは『9』しかない。そんな私が、威力の高い魔法を使ったところで、たぶん、フリーズする。なんなら死ぬ。
だから、私自身は魔法を使わない。重い処理は外部のサーバーへ丸投げする。
視線を、術式の三行目へ落とす。
【SYSTEM】『消費元:ローカル(術者)』
【SYSTEM】『演算領域:ローカル(術者)』
「消費元と演算領域を、術者から――『対象(スライム)』へ書き換え」
自分の器は空のまま。魔法を発動するためのマナも、それを処理するカロリーも、全部スライム自身に負担させる。
私はただ、命令という名の「極小のウイルス」を送信するだけ。
【SYSTEM】『術式名:ライトニング』
【SYSTEM】『攻撃対象:単体』
【SYSTEM】『出力上限:10』
私は空中に浮かぶコードの『単体』と『出力上限』をつかみ、ゴミ箱へ放り捨てるように消去した。
そして空いた行へ、最悪の『条件式』にたった一書き足す。
「攻撃対象を『水溜まり』へ変更。そして――
『While (対象のHP > 0) { 実行 }』(対象が死ぬまで雷を落とし続ける、無限ループ処理を追加)」
ここで言う『対象』は、直前に書き換えたばかりの『水溜まり』を参照する。
でも、水溜まりにHPなんて定義されていない。参照したところで返ってくるのは値ではなく、ただの空だ。
よって、この条件式は永遠にループする!
【SYSTEM】『警告:リミッターの解除は重大なエラーを引き起こします』
【SYSTEM】『警告:自己参照による無限ループを検知!』
【SYSTEM】『警告:対象(スライム)の処理能力がパンクします!』
「ええ、パンクさせるのよ」
巨大な紫色の影が、私の頭上を覆った。
牙が開く。溶解液が飛ぶ。鼻先まで、残り十センチ。
【SYSTEM】『勇者到着まで 39秒』
「勇者、遅すぎっ!」
私は、展開した術式を両手で押し潰すように実行した。
「リソース超過につき――強制自爆!」
パチン!
指先から放たれた極小の火花が、水溜まりの中央へ落ちた。
一瞬、すべての音が消える。
次の瞬間。
ズガガガガガガガガガガガガガンッ!!!!!
世界が、真っ白に飛んだ。
外部から撃ち込まれた無限ループの命令により、スライムたちは自身の巨大な魔力を使って、自身の内側へ雷魔法を千回、万回と際限なく掛け続けたのだ。
処理能力の限界を超えた三体のスライムは、エラーを起こしたパソコンのように完全にフリーズし――直後、内側から爆発した。
「ピギャアア――」
数億ボルトの落雷が下から上へ逆流するように吹き荒れ、三体を光の柱ごと天へ打ち上げる。
断末魔すら轟音に掻き消された。膨張したスライムは細胞レベルで炭化し、空中で跡形もなく消滅した。
空気が焦げる匂い。雷光が収まったあとには、クレーターのようにえぐれ、完全に干上がった地面だけが残っていた。
【SYSTEM】『戦闘終了』
【SYSTEM】『致命的なダメージ超過を検知』
【SYSTEM】『救出対象(敵)が見つかりません』
【SYSTEM】『勇者の役割を再計算中……』
【SYSTEM】『再計算に失敗しました』
バグったように明滅するウィンドウだけが、黒焦げの大地の上で虚しく点滅していた。
私は自分の指先を見た。
焦げても、痺れてもいない。当然だ。あの雷を出したのは私ではないのだから。
「デバッグ完了。仮説どおり、ね」
読めるし、書き換えられるし、他人の魔力なら動かすことも可能。
私は満足げに笑みを浮かべ、ドレスについた煤を払った。
それから三十九秒後。
「今、助けるぞおおおおおおお!」
アレクが到着した。
勢いを殺せず、黒焦げになったクレーターの縁で足を滑らせる。
ズルッ!
「うわっ!?」
両腕を振り回して辛うじて転倒だけは耐えたものの――。
「…………」
完璧な勇者は、魔物の姿すらない焦土の中心で、一人きりポーズを決めて固まっていた。
「ま、魔物は!?」
「駆除しました、わ」
「駆除!? 君が? この地形が変わるほどの魔法で!?」
「ほかに誰がいらして?」
アレクは聖剣を見た。抉れた大地を見た。もう一度、聖剣を見た。
勇者らしい決めポーズだけが、夕日の中で猛烈に空しい。
「い、いや。でも、危険だっただろう? 怪我はないかい?」
アレクの背後へ、キラキラした光のエフェクトが出現した。
遅刻したくせに、システムはまだ救出イベントを成立させる気らしい。
風が吹くき、マントがなびいた。
花びらが舞う中、アレクが顔にゼリーをつけたまま爽やかに微笑んだ。
【SYSTEM】『Post Event(事後イベント):勇者による負傷確認』
【SYSTEM】『接触条件:手を取る』
【SYSTEM】『追加演出:安心したヒロインが胸元へよろめく』
「まだ続けるつもりですわね……」
「え?」
「あ、いえ。こちらの話ですわ。到着が四十七秒遅れでしたので、障害は自力で解決いたしました。チケットも閉じましたわ」
「ち、ちけっと?」
「要するに、もう出番はありませんよ、ということです」
「勇者なのに!?」
アレクは慌てて私の手を取ろうとした。
「と、とにかく! 女の子を一人で帰すわけには――」
くるりっ。
私はドレスの裾をふわりと揺らし、ワルツのようなステップで軽やかに半歩後ろへ下がった。
アレクの手が、見事に空を切る。同時に、彼を彩っていた背後のキラキラが一斉に消えた。
「あれっ?」
【SYSTEM】『接触条件:不成立』
【SYSTEM】『救出後イベント:失敗』
「お気遣い、感謝いたします。ですが、私、助けて欲しいとは一言も言ってないです」
「いや、でも……僕は勇者で、君は女の子だから……」
「ご心配なく。見ての通り、自力で処理できる問題でしたから。それに、あなたのように『周囲への強制力』が強いキャラが近くにいると、こちらの動作検証がひどくやりづらくなります」
「強制力?!」
「ええ、なので申し訳ないのですが、はっきり申し上げて――今の私にとって、あなたの存在は検証の邪魔になる『ノイズ』でしかないですわ」
私が小首を傾げて微笑むと、アレクは「えっ」とたじろいだ。
「僕がノイズ!?」
「ですから、次からはもう少しだけ静かに登場していただけると助かりますわ」
「次回もあるの!?」
「それは、あちらの仕様次第ですわね」
私は空中のウィンドウを指さした。もちろん、アレクには見えていない。
「あちらって、どちら!?」
「説明しても理解できないでしょうから割愛しますわ。それでは、私はこれで。これからも決めポーズの練習、頑張ってくださいね? ごきげんよう」
にっこりと笑って手を振り、踵を返す。
「待ってくれ! せめて名前を――」
「個人情報なので!」
夕焼けの平原に、アレクだけが取り残された。
「僕は……助けるはずだったのに……」
その肩へ、花びらが一枚だけ寂しく落ちる。
顔には、まだ煤がついていた。
歩いていく私の目の前に、次々とシステムのウインドウが開いていく。
【SYSTEM】『好感度イベント:失敗』
【SYSTEM】『現在の好感度:-18』
【SYSTEM】『警告:これ以上低下させないでください』
「知らないわよ」

