立ち上がろうとするアレクの前へ、赤い文字が並んだ。
【SYSTEM-O】『対象は、勇者の失敗をすべて目撃しています』
【SYSTEM-O】『申し出が受諾される確率:0.01%』
【SYSTEM-O】『中止を推奨します』
「――推奨するなっ!」
危うく叫びかけて、私は口を噤んだ。
ここまでが、私たちの仕事よ。SYSTEMの邪魔は排除した。残り十歩を進むのは、アレク自身がすること。
だから「頑張れ」も「大丈夫」も無しだわ。私たちの言葉を、勇者補正にしたくはない。ノクスも黙って腕を組んでいる。カイルもヤギを抱えたまま奥歯を噛みしめている。
三人で道を空けた。
瓦礫と小麦粉と蹄の跡にまみれた廊下で、アレクが立ち上がった。
赤いウィンドウを手で払いのけ一歩を踏み出す。一歩、二歩と。
補正も、強制イベントにも頼らずに、勇者アレクが初めて、自分で選んだ相手へ自分の足だけで歩いていく。
「……エマ」
彼女の前に立ち、ぐしゃぐしゃになった券を差し出した。
手は震えている。それでも、目はエマから逸らしていなかった。
「明日、僕と一緒に文化祭を回ってください」
エマが目を丸くする。
視線が、潰れた券と、傷だらけのアレクを往復した。
「私を……誘ってくださるんですか?」
「君を誘いに来たんだ」
アレクは、はっきりと言った。
「僕は、君と一緒に回りたい」
風が、渡り廊下を抜けていく。
エマの頬が、ゆっくり赤くなった。
そして彼女は、両手で券を受け取った。
「……はい。よろこんで」
【SYSTEM-O】『同行者登録:成立』
【SYSTEM-O】『該当する処理がありません』
【SYSTEM-O】『対策処理――保留』
「……保留?」
赤い文字は、それ以上何も告げずに消えた。
あのいつもの、煩すぎる警告もなかった。
その静けさが、妙に不気味だった。
* * *
「よっしゃあああああっ!」
カイルが吠えた。抱えられたヤギも「メエエッ!」と勝ちどきを上げる。
「見たか! アレクが自分で決めて、自分で誘ったぞ!」
私も壁へ背を預け、ずるずると座り込んだ。
辺りを見渡すと、廊下は瓦礫と小麦粉とヤギだらけ。窓も床は砕けて、天井には大穴が空いている。勇者が女の子一人へ券を渡すために、校舎が一棟半壊した。
「……割に合わなくない?」
「そうか?」
ノクスは焼けた腕を振り灰を落とした。
――その向こうで、消えかけた文字列がちらついた。
「ん? 何か残ってる!」
私は跳ね起き、閉じていくログへ指を突っ込んだ。
【PROCESS】『上位権限の貸与を申請』
【L0_KERNEL】『承認者:大賢者オルディス(ROOT)』
【SYSTEM-O】『有効範囲:当該区画/有効時間:3.0秒』
【SYSTEM-O】『接続終了』
経路が閉じられる。掴めたのは、たった三行。名前。権限。貸与時間……。
「大賢者、オルディス……?」
ゲームにも、学園生活にも、一度も出てこなかった名前だ。
「この『承認者』って――」
「そのオルディスとやらが、SYSTEM-Oへ世界改変の権限を貸したということだな」
ログを覗き込んだノクスの目が、鋭く細められた。
「修正プログラムの背後に、意思を持つ何者かがいる?」
ぞくりと背筋が冷えた気がした。
SYSTEMは、無人で回り続ける壊れた機械かもしれないが、その向こうに、世界の最高権限を握る誰かがいる……。
「……今回はなんとか、あの三秒を全力で耐えたが……」
ノクスが低く言った。
私たちは校舎を半壊させ、魔力を使い切って、ようやく勝ったわけだが、大ボスがしたのは、たった三秒の貸出手続きらしい。
そのとき、消えたはずの黒い画面が一度だけ点滅した。
【SYSTEM-O】『文化祭最終日、強制イベントは予定通り実行されます』
「今日のことがあっても、文化祭はそのまま開催か。あちらさんは随分と余裕みたいだな」
ノクスが笑った。
「私たちにとってはむしろ都合がいい。どんなに敵が強かろうと、やることは同じだ。邪魔をするなら、また壊す」
「簡単に言うわね共犯者」
「ノクスも同じ顔をしているけどね」
と、私は笑い飛ばした。
* * *
その日の放課後。
「ノクス様! 明日の文化祭、私と回ってください!」
「お待ちなさい、リリ。先にお誘いしたのは、わたくしですわ!」
「二人とも抜け駆け禁止! ノクス様、私の展示から見に来てください!」
教室の隅で、六人の元ヒロインたちがノクスを取り囲んでいた。
目的は全員同じ。明日の文化祭へ誘うことだ。
「申し訳ない。それはできない」
ノクスは六人を前に頭を下げた。
「私は明日、どうしてもやらないといけないことがあるんだ」
みんなの視線が、一斉にこっちへ突き刺さったが、私は知らないふりをした。
六人が不満そうに教室を出ていき、残ったのは、私とノクスだけになった。
窓の外は夕焼け。オレンジ色の光が机の列を斜めに切り、静かな教室に埃が舞っている。
私は制服の胸ポケットの上から、中の物を押さえた。
「ねえ、ノクス」
「なんだ」
「明日のことなんだけど」
「ああ。地下へ入るのは夜だ。それまでに侵入経路の下見をしておこうか」
「一緒に文化祭、行かない?」
胸ポケットの中身を抜き、ノクスの前へ滑らせた。
文化祭ペア入場券。アレクがお礼の代わりにくれた、残りの一枚だ。
ノクスは券を摘まみ、表と裏を確かめ、夕日に透かし、最後になぜか匂いを嗅いだ。
「なるほど。正規の来場者を装うための偽装だな?」
「違うわ」
「だったら敵を欺くための陽動か」
「もっと違う」
「じゃあ、なんだ?」
「……ノクスと一緒に文化祭を回りたいの」
ノクスの手が止まる。指先で、券がぴきりと鳴った。
「ノクスと一緒に屋台で食べて、展示を見て、くだらないもので笑いたい」
一息で言い切った。静かな教室に、時計の音だけが響く。
彼は赤い瞳を瞬かせながら、私を見返していた。
「もしかしてそれは……デート、というものか?」
「もし気が乗らな……」
「行く」
言い終わる前に返事が返ってきた。魔王の反応速度だった。
反射的だったらしい。ノクスも自分の言葉に驚いたように目を見開いて、遅れて耳の先を赤らめていた。
それからノクスは私から目を逸らし、券の隅を意味もなく撫でた。
「……その」
券へ伸ばした指が、一度、何もないところを摘まんだ。
二度目で、ようやく端を捉える。
「私は、今まで何十、何百回とこの文化祭に参加しているが」
声が、少しだけ小さくなる。
「誰かと回ったことが、ない」
「知ってる。いつも地下で待ってるんでしょ。だから今回は、私と一緒に行こうよ」
ノクスは券と私の顔を何度か見比べ――。
やがて、宝物でも扱うように両手でそっと券を包み込んだ。
「……うん。行く」
こくん、と小さく頷く。
夕焼けより赤い顔で、券を胸元にぎゅっと押し当てて、ふわりと笑った。
「……楽しみだ」
夕陽の中ではにかむその笑顔は、世界が決めたどの設定よりも、確かにそこにあった。
明日は、文化祭。
勇者と、名もなき少女のささやかな初デート。
魔王と、ただの共犯者の、少し不器用な初デート。
そして、たぶん――。
学園の最深部にて、世界を統べる神との全面戦争が幕を開けることになる。
【SYSTEM-O】『対象は、勇者の失敗をすべて目撃しています』
【SYSTEM-O】『申し出が受諾される確率:0.01%』
【SYSTEM-O】『中止を推奨します』
「――推奨するなっ!」
危うく叫びかけて、私は口を噤んだ。
ここまでが、私たちの仕事よ。SYSTEMの邪魔は排除した。残り十歩を進むのは、アレク自身がすること。
だから「頑張れ」も「大丈夫」も無しだわ。私たちの言葉を、勇者補正にしたくはない。ノクスも黙って腕を組んでいる。カイルもヤギを抱えたまま奥歯を噛みしめている。
三人で道を空けた。
瓦礫と小麦粉と蹄の跡にまみれた廊下で、アレクが立ち上がった。
赤いウィンドウを手で払いのけ一歩を踏み出す。一歩、二歩と。
補正も、強制イベントにも頼らずに、勇者アレクが初めて、自分で選んだ相手へ自分の足だけで歩いていく。
「……エマ」
彼女の前に立ち、ぐしゃぐしゃになった券を差し出した。
手は震えている。それでも、目はエマから逸らしていなかった。
「明日、僕と一緒に文化祭を回ってください」
エマが目を丸くする。
視線が、潰れた券と、傷だらけのアレクを往復した。
「私を……誘ってくださるんですか?」
「君を誘いに来たんだ」
アレクは、はっきりと言った。
「僕は、君と一緒に回りたい」
風が、渡り廊下を抜けていく。
エマの頬が、ゆっくり赤くなった。
そして彼女は、両手で券を受け取った。
「……はい。よろこんで」
【SYSTEM-O】『同行者登録:成立』
【SYSTEM-O】『該当する処理がありません』
【SYSTEM-O】『対策処理――保留』
「……保留?」
赤い文字は、それ以上何も告げずに消えた。
あのいつもの、煩すぎる警告もなかった。
その静けさが、妙に不気味だった。
* * *
「よっしゃあああああっ!」
カイルが吠えた。抱えられたヤギも「メエエッ!」と勝ちどきを上げる。
「見たか! アレクが自分で決めて、自分で誘ったぞ!」
私も壁へ背を預け、ずるずると座り込んだ。
辺りを見渡すと、廊下は瓦礫と小麦粉とヤギだらけ。窓も床は砕けて、天井には大穴が空いている。勇者が女の子一人へ券を渡すために、校舎が一棟半壊した。
「……割に合わなくない?」
「そうか?」
ノクスは焼けた腕を振り灰を落とした。
――その向こうで、消えかけた文字列がちらついた。
「ん? 何か残ってる!」
私は跳ね起き、閉じていくログへ指を突っ込んだ。
【PROCESS】『上位権限の貸与を申請』
【L0_KERNEL】『承認者:大賢者オルディス(ROOT)』
【SYSTEM-O】『有効範囲:当該区画/有効時間:3.0秒』
【SYSTEM-O】『接続終了』
経路が閉じられる。掴めたのは、たった三行。名前。権限。貸与時間……。
「大賢者、オルディス……?」
ゲームにも、学園生活にも、一度も出てこなかった名前だ。
「この『承認者』って――」
「そのオルディスとやらが、SYSTEM-Oへ世界改変の権限を貸したということだな」
ログを覗き込んだノクスの目が、鋭く細められた。
「修正プログラムの背後に、意思を持つ何者かがいる?」
ぞくりと背筋が冷えた気がした。
SYSTEMは、無人で回り続ける壊れた機械かもしれないが、その向こうに、世界の最高権限を握る誰かがいる……。
「……今回はなんとか、あの三秒を全力で耐えたが……」
ノクスが低く言った。
私たちは校舎を半壊させ、魔力を使い切って、ようやく勝ったわけだが、大ボスがしたのは、たった三秒の貸出手続きらしい。
そのとき、消えたはずの黒い画面が一度だけ点滅した。
【SYSTEM-O】『文化祭最終日、強制イベントは予定通り実行されます』
「今日のことがあっても、文化祭はそのまま開催か。あちらさんは随分と余裕みたいだな」
ノクスが笑った。
「私たちにとってはむしろ都合がいい。どんなに敵が強かろうと、やることは同じだ。邪魔をするなら、また壊す」
「簡単に言うわね共犯者」
「ノクスも同じ顔をしているけどね」
と、私は笑い飛ばした。
* * *
その日の放課後。
「ノクス様! 明日の文化祭、私と回ってください!」
「お待ちなさい、リリ。先にお誘いしたのは、わたくしですわ!」
「二人とも抜け駆け禁止! ノクス様、私の展示から見に来てください!」
教室の隅で、六人の元ヒロインたちがノクスを取り囲んでいた。
目的は全員同じ。明日の文化祭へ誘うことだ。
「申し訳ない。それはできない」
ノクスは六人を前に頭を下げた。
「私は明日、どうしてもやらないといけないことがあるんだ」
みんなの視線が、一斉にこっちへ突き刺さったが、私は知らないふりをした。
六人が不満そうに教室を出ていき、残ったのは、私とノクスだけになった。
窓の外は夕焼け。オレンジ色の光が机の列を斜めに切り、静かな教室に埃が舞っている。
私は制服の胸ポケットの上から、中の物を押さえた。
「ねえ、ノクス」
「なんだ」
「明日のことなんだけど」
「ああ。地下へ入るのは夜だ。それまでに侵入経路の下見をしておこうか」
「一緒に文化祭、行かない?」
胸ポケットの中身を抜き、ノクスの前へ滑らせた。
文化祭ペア入場券。アレクがお礼の代わりにくれた、残りの一枚だ。
ノクスは券を摘まみ、表と裏を確かめ、夕日に透かし、最後になぜか匂いを嗅いだ。
「なるほど。正規の来場者を装うための偽装だな?」
「違うわ」
「だったら敵を欺くための陽動か」
「もっと違う」
「じゃあ、なんだ?」
「……ノクスと一緒に文化祭を回りたいの」
ノクスの手が止まる。指先で、券がぴきりと鳴った。
「ノクスと一緒に屋台で食べて、展示を見て、くだらないもので笑いたい」
一息で言い切った。静かな教室に、時計の音だけが響く。
彼は赤い瞳を瞬かせながら、私を見返していた。
「もしかしてそれは……デート、というものか?」
「もし気が乗らな……」
「行く」
言い終わる前に返事が返ってきた。魔王の反応速度だった。
反射的だったらしい。ノクスも自分の言葉に驚いたように目を見開いて、遅れて耳の先を赤らめていた。
それからノクスは私から目を逸らし、券の隅を意味もなく撫でた。
「……その」
券へ伸ばした指が、一度、何もないところを摘まんだ。
二度目で、ようやく端を捉える。
「私は、今まで何十、何百回とこの文化祭に参加しているが」
声が、少しだけ小さくなる。
「誰かと回ったことが、ない」
「知ってる。いつも地下で待ってるんでしょ。だから今回は、私と一緒に行こうよ」
ノクスは券と私の顔を何度か見比べ――。
やがて、宝物でも扱うように両手でそっと券を包み込んだ。
「……うん。行く」
こくん、と小さく頷く。
夕焼けより赤い顔で、券を胸元にぎゅっと押し当てて、ふわりと笑った。
「……楽しみだ」
夕陽の中ではにかむその笑顔は、世界が決めたどの設定よりも、確かにそこにあった。
明日は、文化祭。
勇者と、名もなき少女のささやかな初デート。
魔王と、ただの共犯者の、少し不器用な初デート。
そして、たぶん――。
学園の最深部にて、世界を統べる神との全面戦争が幕を開けることになる。

