勇者のご褒美役はお断りです! ~恋愛フラグを折っていたら、魔王が共犯者になりました~

「んんーっ……よく寝た!」

 私は重厚な天蓋付きベッドの上で、大きく伸びをした。

 ここは魔王城の私の私室。
 昨晩、世界の最深部へハッキングを仕掛けるための【PROJECT:文化祭オーバーライド】の作戦会議で、夜更けまで語り明かした後、サルースが(あの回転ベッドのある新婚ルームとは別の)まともな客室を用意してくれた。

 黒を基調とした室内には最高級の家具が並び、シーツは恐ろしく柔らかい。学園の女子寮どころか、フェリシアの実家の屋敷の寝室よりも豪華だった。

 窓の外には、見渡す限りの真っ赤な海。その上を、重い鉛色の空が覆っている。
 朝日も小鳥のさえずりもない。代わりに、遠くで巨大な翼を持つ何かが飛び、海面から触手のようなものが何本も伸びている。爽やかな朝とは対極の光景だった。

「うーん。なかなかの終末日和ね」

 私は顔を洗い、王立魔法学園の制服へ着替えた。
 朝食は魔王城で食べず、学園のカフェテリアで取ることにしている。魔族の食事が人間の私に合うか分からなかったからだ。

「約束の時間だけど……」

 エントランスへ向かったものの、ノクスが来ない。
 五分待っても、十分待っても、終焉の魔王が来ない。

「まったく。引っ越し後、初日から遅刻? 魔王様が聞いて呆れるわ」

 私はノクスの私室まで戻り、扉を叩いた。

「ノクス、起きてる?」

 返事がない。

「入るわよ」

 扉を開けた。

「早くしないと、カフェテリアの焼きたてパンが――」

 言葉が止まった。
 開かれたドアのすぐ目の前にノクスがいた。
 寝起きなのか、いつもは整っている漆黒の髪がわずかに乱れ、白い素肌にかかっている。
 それはいい。問題はその格好だ。

 下半身には黒いスラックスを穿いているが――上半身には、何も羽織っていなかった。
 引き締まった腹筋、厚い胸板、無駄なく鍛え上げられた肩と腕が、私の目に思いっきり飛び込んできた。

「な……なに、やってるのよノクス!」

「なにって、見ての通り着替えているところだが」

「なんで鍵もかけずに堂々と着替えてるのよ!」

「俺の城で俺の部屋だ。誰にはばかる必要がある?」

「年頃の女性と一緒に暮らしているんだから、少しは配慮しなさいよ!」

 バタンッ!

 制服のスカートをふわりと翻し、私は扉を勢いよく閉めると、廊下の壁へ華奢な背中を預けた。大きく息を吐いて呼吸を整える。

「……ふ、ふふーん。大丈夫。これくらい、なんてことはない。いわゆる乙女ゲーのサービスイベントよ。定番、実に定番だわ」

 私は見た目は違っても、中身は大人の女性だ。若い乙女じゃあるまいし、イケメンの半裸程度で胸をキュンキュンさせるなんて――。

「いや、めちゃくちゃ刺激強いわ!」

 いくら中身が大人の女性とはいえ、あんなイケメン魔王の半裸など目に毒すぎる。
 制服越しの柔らかな胸がバクバクとうるさく上下し、顔がカァッと熱くなるのを止められなかった。
 私は火照った頬を両手で強く押さえると、力なく膝を折り、スカートの裾を気にしながら廊下へぺたんと座り込んでしまった。


 * * *


 そんな朝のちょっとしたハプニングはあったものの……。

 私たちはクローゼットゲートを通り、無事に学園の女子寮へ「通学」した。
 まだ静まり返る寮の裏口から二人でこっそり抜け出し、学園のメインストリートへ足を踏み入れる。

 学園を歩く。
 早朝だというのに、文化祭を目前に控えた学園はそわそわとした雰囲気に包まれていた。生乾きのペンキの匂いと、焦げた木材の煙、そして浮かれた生徒たちの異常な熱気がそこら中に溢れている。

 右を見れば、巨大な竜の張りぼてが誤作動で本物の火を噴き、実行委員たちが悲鳴を上げながら水魔法をぶっかけている。左を見れば、『絶品・魔剣チュロス』と書かれた看板が浮遊魔法の暴走で空へ昇り、必死にすがりついた男子生徒三人が「離すな!」「誰か重力魔法かけろ!」と宙吊りのまま叫んでいた。

 大量の角材を担いだ生徒と、山積みの衣装箱で前が見えていない生徒が正面衝突。派手な激突音と共に箱が弾け飛び、銀色の甲冑、透けた妖精の羽、そしてなぜかやけにリアルなタコの着ぐるみが、道端でシュールに絡み合って転がった。

「朝から世紀末ね」

「平和なものだ」

 真顔で答えたノクスは、周囲の騒ぎなど一切目に入っていない様子で、カフェテリアの方角だけを見つめていた。

「今日の朝食はクロワッサンだといいのだが」

 誰の影響なのか、最近、ノクスはパンに拘るようになった気がする。

「イチゴのジャムも欲しい」

「どんどん食べればいいわ」

 見た目だけなら、誰も寄せつけない超イケメン魔王だが、今の頭の中身は完全に朝ご飯のようだった。

 そのとき――。

「どいてくれええええええええっ!」

 絶叫が、並木道の向こうから響き渡った。

 坂の上から、パンを山積みにした巨大な配膳台が突っ込んでくる。
 速度は全力疾走の馬車並み。車輪から火花を散らし、文化祭用の飾りを跳ね飛ばしながら、一直線にこちらへ迫っていた。

 そして、その配膳台の上には――。

「止まらない! なぜか全然止まらないんだ!」

 金髪を爆発させた勇者アレクが、半泣きでしがみついていた。
 さらに後ろでは、配膳台を止めようと投げたロープを腰に巻きつけた副官騎士カイルが、地面を盛大に引きずられている。

「アレク!? カイル!?」

 叫んだ瞬間、視界の端に、見慣れた白い文字がちらついた。

【SYSTEM】『対象:配膳台(学園備品)』
【SYSTEM】『制御権:移譲済み』

「備品の制御権を誰に渡したのよ!?」

「フェリシア嬢! 説明はあとだ! まず助けてくれえええっ!」

 引きずられながら、カイルが叫ぶ。

 配膳台が目の前の石畳へ乗り上げた。
 ガタンッ! と車体が跳ね、山盛りのクロワッサンとアレクが同時に宙を舞う。

「ノクス!」

「任せろ」

 ノクスが片手を上げた。
 黒い魔力が網のように空を走り――まず、クロワッサンを一個残らず受け止めた。

「そっちじゃないでしょ!」

 一拍遅れて、逆さまに落ちてきたアレクの足首にも、黒い魔力が絡みついた。
 勇者は地面すれすれで停止し、そのまま振り子のようにぶらんぶらんと揺れた。

 配膳台も私たちの鼻先で急停止する。
 遅れて飛んできたカイルだけが止まりきれず、植え込みへ頭から突き刺さった。

「危ないところだった」

 ノクスが宙に浮かせたクロワッサンを一つ手元へ引き寄せ、焼き加減を確かめるように眺めた。

「今の、明らかにパンを先に助けたわよね!?」

「人間は多少潰れても治る。クロワッサンの層は一度潰れたら戻らん」

「命と生地の層を同じ秤に載せないで!」

「さすがノクス殿……的確な判断だ……」

 植え込みから足だけ出したカイルが、瀕死の声で同意した。

「あなたも魔王側に寝返ってないで、早く出てきなさい!」

 私はカイルの両足をつかみ、植え込みから引きずり出した。
 ノクスもアレクを地面へ下ろす。

 二人ともひどい有様だった。カイルの制服には葉っぱと小枝が突き刺さり、アレクの顔には小麦粉とイチゴジャム。乱れた金髪には、なぜか一輪の赤い薔薇まで絡まっている。

 勇者というより、パン屋へ求婚して盛大に振られた男だった。

「……何があったの、あなたたち」

「分からない」

 アレクが力なく首を振った。

「分からないことある!? 今、パンと一緒に空を飛んできたのよ!」

「俺にも分からないんだ!」

 代わりにカイルが叫んだ。

「停まっていた配膳台が、アレクがカフェテリアへ近づいた瞬間、突然走り出した! しかも、こんなことは今朝だけで七回目だ!」

「配膳台に轢かれるのが七回目?」

「違う! アレクだけを狙った意味不明な事故が七回だ! 一回目は植木鉢、二回目は噴水、三回目はヤギの群れ!」

「この学園、朝からヤギの群れが出るの?」

「俺たちが聞きたい!」

 カイルが頭を抱える。

 七回。
 嫌な符合だった。私はさりげなく検索術式を走らせ、今朝の記録を洗った。

【SYSTEM】『勇者アレク:本日の突発事象 7件』
【SYSTEM】『すべて偶発的な事故として記録されています』
【SYSTEM】『詳細な発生要因は保護領域に存在します』

「……七回連続で偶然が起きたら、それはもう仕様ね」

 私は口の中だけで毒づき、術式を閉じた。
 その横で、アレクは何も言わなかった。

 いつもなら、どれだけ失敗しても根拠のない自信だけは失わない男だ。「これも勇者へ課された試練だね!」などと笑い、頼んでもいないのにポーズまで決めるような……。

 そのアレクが、唇を噛みしめて俯いていた。
 握りしめた右手の中には、くしゃくしゃになった二枚の文化祭入場券……。

「アレク?」

 呼びかけると、彼はようやく顔を上げた。
 目の下には濃い隈。頬はげっそりとこけ、いつもの能天気な輝きはどこにもない。

 その顔へ重なるように、赤い文字が一瞬だけ浮かんだ。

【SYSTEM】『勇者アレクの残耐久値:11%』
【SYSTEM】『対象への接近を再試行しますか?』

 ――再試行。
 誰が、誰に近づこうとしているのか。文字はそれだけ告げて、すぐに消えた。

「フェリシア。君に頼みがある」

「頼み?」

 アレクが私の前へ進み出る。
 そして次の瞬間――学園中の注目が集まる並木道のど真ん中で、勇者は勢いよく両膝をついた。
 ジャムだらけの顔で、くしゃくしゃになった二枚の入場券を胸へ抱き、必死な目で私を見上げる。

「お願いだ、フェリシア」

 その声は震えていた。

「どうやったら女の子を文化祭に誘えるか、教えてくれ!」