あの夜から、数日が経とうとしていた。
半壊した女子寮は、学園が誇る高位魔法使いたちの修復魔法によって、何事もなかったかのように元通りになっている。
崩れた壁や吹き飛んだ窓も、アレクの身体によって人型に陥没した廊下も、全部、きれいさっぱり修復済みだ。
「……よし」
私は自室のクローゼットの前で息を吐きだす。
目の前には、虚空へ展開した漆黒の魔法陣。幾重にも重なった術式の輪が、ゆっくりと回転している。
「本当にそこから繋げる気か?」
背後から、いぶかしげな声が飛んできた。
振り返ると、ノクスが気だるげな顔でこちらを眺めていた。ベッドフレームに肩肘をつき、まるでそこを自身の玉座であるかのように優雅に座っている。
夜の闇を切り取ったような漆黒の髪。退屈そうに細められた紅の瞳。そして、無造作に組まれた、無駄に長い脚。
まるで、乙女ゲームの限定グッズ用に描き下ろされた美麗な一枚絵。タイトルをつけるなら、『【SSR】玉座でご満悦な俺様王子(※添い寝シーツ付き)』といったところか。背景に幻覚の薔薇すら見えそうだ。
「本気だけど? もうパッチも組み終わってる」
私たちは、あの夜の戦いを機に、開発拠点をノクスの居城――魔王城へ移すことに決めた。
ところがここにきて、言い出しっぺのノクスの方に不満があるらしいのだ。
「まだ俺は納得がいっていない。……魔王城を反抗の拠点とするなら、なぜ、わざわざ学園へ通い続ける必要があるのだ?」
「それは、何度も話し合ったでしょう?」
私は腰へ手を当て、美形魔王の顔を見た。
「学園にはアレクも、元攻略対象のヒロインたちもいる。この世界のメインストーリーに関わる重要人物が、ほとんど全員集まっているの。ここが本筋の一番地なのよ。当然、システムの干渉も多いんだから。システムの動きを監視するなら、これ以上の観測拠点はないの」
「その考えは分かるが……、そのために毎日魔王城から学校へ通うのは非効率の極みではないか?」
ノクスが流れるような所作で髪をかきあげ、「ふう」とアンニュイな息をこぼす。ただのため息のくせに、いちいち隠しスチルのような完成度を叩き出してくる。
「学校に通うのがそんなに不満? ヒロインズにモテて、いいじゃない」
「何を言っているか意味が分からない。そして、そんなこととは関係なく、俺は学園にいるのが好きではないんだ」
なんとなくその理由は分かる。
ここがメインストーリーの舞台だということもあって、魔王に関わるイベントも多い。悪役を押し付けられた魔王にとっては、納得のいかない展開も多いに違いない。
「ノクスの気持ちは分かってるつもり……。でも、どうしてもこれは続けておきたいのよ」
私は彼をそっと見つめた。
「でも、大丈夫だから。今回は私もいる。これ以上、システムの言いなりにはさせない」
私はコクリと頷く。
システムがノクスに理不尽な悪役シナリオを押しつけてきたら、片っ端からやっつける。
今まで私がフラグを折りまくったように。
「ああ。……ならば信じよう」
ノクスは紅い瞳をわずかに細めて笑った。
「――お前は、俺の共犯者だからな」
「うっ」
反射的に私は視線を背ける。
完全な不意打ち。反則級にかっこいい笑顔を真正面から叩き込まれた。
この男、笑顔にまで攻撃判定があるらしく、危うく乙女心が一発KOされるところだった。
「じゃ、じゃあ、始めるわよ! クローゼットと魔王城をつなげるんだから!」
熱くなった頬を誤魔化すように、私はわざとらしく声を張り上げた。
拠点は魔王城、日中は学園。この二重生活を成立させるための合理的な解決策は――女子寮のクローゼットを、魔王城と直結させることだ。
「もともと、このクローゼットには無限に私物を収納できる空間収納の術式が組み込まれている。その術式を流用して、収納空間の参照座標を魔王城へ書き換えるパッチを組んだのよ。ただしそれには課題が一つ――」
私は回転する魔法陣を指さした。
「それは維持に必要な魔力。今は扉を開けた学生のマナから、ごく微量の魔力を引き落とす従量課金システムになってる。でもそれは、人間丸ごと転送することには使えない。データ量が桁違いだし、ルートを常に開きっぱなしにしたいから。だから――術式の課金先の実行ホストを、あなたに変更する」
私は右手を差し出した。
「リソース、貸してくれる?」
「無論だ。前にも言った通り、俺の魔力はお前の好きに使っていい」
ノクスは立ち上がり、手をこちらに差し出した。
それを私は、強く握る。
「オッケ。じゃあ、始めるね」
クローゼットと魔王城をつなぐトンネルの常駐プロセスを、ノクスの実行環境へ直接配備する。
要は、ノクスという莫大なリソースの中に、二十四時間稼働のサーバーを勝手に構築するのだ。
スライムを爆破したときのような単発の処理をぶつけるだけなら、離れていてもできる。だが、他人の魔力領域にプロセスを常駐させるには、こうして直接触れて「書き込み権限」を得る必要がある。一度認証さえ通してしまえば、あとはバックグラウンドで勝手に回り続けるはずだ。
「接続。認証。同期――」
術式を実行した瞬間、私の頭の中で、思考の速度が加速した。
「はっや……!」
千、万、十万という膨大な術式が、目の前を光となって駆け抜けた。
普段なら息を止めて数秒かかる複雑な魔法の実行が、思い浮かべた瞬間に完了している。
これが終焉の魔王のスペック。ソロバンでチマチマ計算していたところへ、突然世界最速のスーパーコンピューターを叩きつけられたような感じだ。
「座標固定。参照先を魔王城へ上書き。結界認証をノクスの管理者権限で通過――実行!」
最後のコードを叩きこむ。
――ピィィィィィッ! ガガガガガガッ!!
「うおっ!?」
クローゼットの扉が激しく震え、部屋中の家具がガタガタと跳ねる。内部の暗闇へ白い亀裂が走り、次の瞬間、真っ黒な光が爆発した。
何の変哲もなかったクローゼットの奥が、ノイズ混じりにぐにゃりと歪み――中にかけられた制服の隣に魔王城が”生えた”。
板張りだったはずの奥の壁が消えて、向こう側に黒曜石の柱がぬっと立ち上がっていた。柱は上へ向かって、暗がりの中へ吸い込まれるように消えている。
「よし、できた! この部屋のクローゼットと魔王城の直通ルートができた」
「もうできたのか。さすがだな」
ノクスが呆れたように言う。
「今から、常駐プロセスは回りっぱなしになるけど、そっちの負担は平気?」
「問題はなさそうだ。俺の魔力が底をつくことなど永遠にないだろうからな。この程度の処理を常駐させたところで、痛くも痒くもない」
「分かった。じゃあ、早速、行きましょうか。あなたの根城へ!」
半壊した女子寮は、学園が誇る高位魔法使いたちの修復魔法によって、何事もなかったかのように元通りになっている。
崩れた壁や吹き飛んだ窓も、アレクの身体によって人型に陥没した廊下も、全部、きれいさっぱり修復済みだ。
「……よし」
私は自室のクローゼットの前で息を吐きだす。
目の前には、虚空へ展開した漆黒の魔法陣。幾重にも重なった術式の輪が、ゆっくりと回転している。
「本当にそこから繋げる気か?」
背後から、いぶかしげな声が飛んできた。
振り返ると、ノクスが気だるげな顔でこちらを眺めていた。ベッドフレームに肩肘をつき、まるでそこを自身の玉座であるかのように優雅に座っている。
夜の闇を切り取ったような漆黒の髪。退屈そうに細められた紅の瞳。そして、無造作に組まれた、無駄に長い脚。
まるで、乙女ゲームの限定グッズ用に描き下ろされた美麗な一枚絵。タイトルをつけるなら、『【SSR】玉座でご満悦な俺様王子(※添い寝シーツ付き)』といったところか。背景に幻覚の薔薇すら見えそうだ。
「本気だけど? もうパッチも組み終わってる」
私たちは、あの夜の戦いを機に、開発拠点をノクスの居城――魔王城へ移すことに決めた。
ところがここにきて、言い出しっぺのノクスの方に不満があるらしいのだ。
「まだ俺は納得がいっていない。……魔王城を反抗の拠点とするなら、なぜ、わざわざ学園へ通い続ける必要があるのだ?」
「それは、何度も話し合ったでしょう?」
私は腰へ手を当て、美形魔王の顔を見た。
「学園にはアレクも、元攻略対象のヒロインたちもいる。この世界のメインストーリーに関わる重要人物が、ほとんど全員集まっているの。ここが本筋の一番地なのよ。当然、システムの干渉も多いんだから。システムの動きを監視するなら、これ以上の観測拠点はないの」
「その考えは分かるが……、そのために毎日魔王城から学校へ通うのは非効率の極みではないか?」
ノクスが流れるような所作で髪をかきあげ、「ふう」とアンニュイな息をこぼす。ただのため息のくせに、いちいち隠しスチルのような完成度を叩き出してくる。
「学校に通うのがそんなに不満? ヒロインズにモテて、いいじゃない」
「何を言っているか意味が分からない。そして、そんなこととは関係なく、俺は学園にいるのが好きではないんだ」
なんとなくその理由は分かる。
ここがメインストーリーの舞台だということもあって、魔王に関わるイベントも多い。悪役を押し付けられた魔王にとっては、納得のいかない展開も多いに違いない。
「ノクスの気持ちは分かってるつもり……。でも、どうしてもこれは続けておきたいのよ」
私は彼をそっと見つめた。
「でも、大丈夫だから。今回は私もいる。これ以上、システムの言いなりにはさせない」
私はコクリと頷く。
システムがノクスに理不尽な悪役シナリオを押しつけてきたら、片っ端からやっつける。
今まで私がフラグを折りまくったように。
「ああ。……ならば信じよう」
ノクスは紅い瞳をわずかに細めて笑った。
「――お前は、俺の共犯者だからな」
「うっ」
反射的に私は視線を背ける。
完全な不意打ち。反則級にかっこいい笑顔を真正面から叩き込まれた。
この男、笑顔にまで攻撃判定があるらしく、危うく乙女心が一発KOされるところだった。
「じゃ、じゃあ、始めるわよ! クローゼットと魔王城をつなげるんだから!」
熱くなった頬を誤魔化すように、私はわざとらしく声を張り上げた。
拠点は魔王城、日中は学園。この二重生活を成立させるための合理的な解決策は――女子寮のクローゼットを、魔王城と直結させることだ。
「もともと、このクローゼットには無限に私物を収納できる空間収納の術式が組み込まれている。その術式を流用して、収納空間の参照座標を魔王城へ書き換えるパッチを組んだのよ。ただしそれには課題が一つ――」
私は回転する魔法陣を指さした。
「それは維持に必要な魔力。今は扉を開けた学生のマナから、ごく微量の魔力を引き落とす従量課金システムになってる。でもそれは、人間丸ごと転送することには使えない。データ量が桁違いだし、ルートを常に開きっぱなしにしたいから。だから――術式の課金先の実行ホストを、あなたに変更する」
私は右手を差し出した。
「リソース、貸してくれる?」
「無論だ。前にも言った通り、俺の魔力はお前の好きに使っていい」
ノクスは立ち上がり、手をこちらに差し出した。
それを私は、強く握る。
「オッケ。じゃあ、始めるね」
クローゼットと魔王城をつなぐトンネルの常駐プロセスを、ノクスの実行環境へ直接配備する。
要は、ノクスという莫大なリソースの中に、二十四時間稼働のサーバーを勝手に構築するのだ。
スライムを爆破したときのような単発の処理をぶつけるだけなら、離れていてもできる。だが、他人の魔力領域にプロセスを常駐させるには、こうして直接触れて「書き込み権限」を得る必要がある。一度認証さえ通してしまえば、あとはバックグラウンドで勝手に回り続けるはずだ。
「接続。認証。同期――」
術式を実行した瞬間、私の頭の中で、思考の速度が加速した。
「はっや……!」
千、万、十万という膨大な術式が、目の前を光となって駆け抜けた。
普段なら息を止めて数秒かかる複雑な魔法の実行が、思い浮かべた瞬間に完了している。
これが終焉の魔王のスペック。ソロバンでチマチマ計算していたところへ、突然世界最速のスーパーコンピューターを叩きつけられたような感じだ。
「座標固定。参照先を魔王城へ上書き。結界認証をノクスの管理者権限で通過――実行!」
最後のコードを叩きこむ。
――ピィィィィィッ! ガガガガガガッ!!
「うおっ!?」
クローゼットの扉が激しく震え、部屋中の家具がガタガタと跳ねる。内部の暗闇へ白い亀裂が走り、次の瞬間、真っ黒な光が爆発した。
何の変哲もなかったクローゼットの奥が、ノイズ混じりにぐにゃりと歪み――中にかけられた制服の隣に魔王城が”生えた”。
板張りだったはずの奥の壁が消えて、向こう側に黒曜石の柱がぬっと立ち上がっていた。柱は上へ向かって、暗がりの中へ吸い込まれるように消えている。
「よし、できた! この部屋のクローゼットと魔王城の直通ルートができた」
「もうできたのか。さすがだな」
ノクスが呆れたように言う。
「今から、常駐プロセスは回りっぱなしになるけど、そっちの負担は平気?」
「問題はなさそうだ。俺の魔力が底をつくことなど永遠にないだろうからな。この程度の処理を常駐させたところで、痛くも痒くもない」
「分かった。じゃあ、早速、行きましょうか。あなたの根城へ!」

