勇者のご褒美役はお断りです! ~恋愛フラグを折っていたら、魔王が共犯者になりました~

 夕刻――女子寮、自室。

 私は一人で机に向かい、まだ残る胸のモヤモヤを持て余していた。

 別に怒ってるわけでも、ましてや嫉妬なんて、断じてしていない。ノクスが他の六人とどう接しようと自由だし、彼は私のシステムと戦うための共犯者であって、恋人でもなんでもないのだから。

「そんなことより、今は解析よ!」

 モヤモヤを振り払うように叫び、白紙の中央へ羽根ペンを走らせる。

『どうすれば、システムの修正処理に勝てるか』

 避けるでも、逃げるでもなく、勝つ。図書館で削除領域へ落とされかけた時に思い知った。システムは諦めない。ならば、こちらも次へ進むしかない。

 これまでの対策――運命の出会いをリンゴ箱で潰したのも、スライムを自爆させたのも、初期化の宛先をダミーへすり替えたのも、結局は「回避」や「逸らし」に過ぎなかった。

 だから次にやるべきことは決まっている。

『走っている処理の宛先を、こちらの指定した場所へ書き換える』
 システムが振り下ろしてきた力を、そのままシステム自身へ向けるのだ。

 だが、それには大きな壁がある。他人の作業台に乗ってシステムそのものをいじるには「権限」が足りない。図書館の時も、それで弾かれた。
私は紙へ一息に書きつけた。

『実行環境:終焉の魔王ノクス』
『認証鍵候補: 』

 世界で最も高いシナリオ干渉力を持つ魔王から、権限を借りるしかない。

「やっぱり、実際に術式を組まないと駄目ね」

 羽根ペンの先でノクスの名前を軽く叩く。

「明日は、時間あるのかなあ……」

 六人から解放されていれば、の話だが。
 せっかく忘れていたのに、また胸の奥がむかむかしてきた。

「だから、違うってば」

 誰に対する否定なのか、自分でも分からなかった。

 その時。

 窓の外で、黒い光が瞬いた。

「え?」

 ドゴォォォォォン!!
 ガッシャァァァァァン!!

「きゃああああっ!?」

 部屋の窓ガラスが、内側へ向かって粉砕された。
 漆黒の影が、夜空から一直線に飛び込んでくる。
 無数のガラス片が、月明かりを反射しながら私へ殺到――。

「止まれ」

 低い声が響き、ガラス片が、宙で停止した。
 一枚。
 十枚。
 百枚。
 飛び散るはずだった破片が、見えない手に掴まれたように空中へ静止する。

 その中心へ、男が片膝をついて着地した。
 ゆっくりと立ち上がる。

 乱れた黒髪。
 わずかに解けた詰め襟。
 昼間の竜巻で裂けたままの袖。
 激しい逃走のせいか、普段より少しだけ速い呼吸。そして、なぜか右肩には、焼きたてのパンが詰まった紙袋が引っかかっていた。

「ノクス!?」

 終焉の魔王は、赤い瞳をまっすぐ私へ向けた。

「フェリシア」

 世界の終わりでも告げるような、切迫した声だった。

「俺を(かくま)ってくれ」
「匿う!?」

 私は椅子を蹴って立ち上がった。

「誰に追われているの!? システムの修正処理? 勇者? 討伐軍!?」
「いや」

 ノクスは重々しく首を振った。

「六人だ」
「…………六人?」
「あの六人だ」

 ガクッ、と。
 全身から盛大に力が抜けた。

「リリたち!?」
「ああ」
「何よ! 世界の危機みたいな顔をしないでよ!」
「俺にとっては、世界の危機より深刻だ!」
「そこまで!?」

 ノクスが右肩を払う。
 パンの袋が、ぽすん、と私の机へ落ちた。

「さっき、お前が帰った直後だ。奴らが突如として包囲網を狭めてきた」

 ノクスは真剣な顔で、パラリと落ちた前髪を無造作にかきあげた。

「包囲網って……あの六人が?」

「ああ。俺に寮の部屋がまだないと知るや否や、『公爵家の別邸へ連行する』『いや保健室へ収容する』と、俺の身柄を巡って彼女たちの間で激しい衝突が起きた。あの執念……底が知れん」

 いや、ただの『お泊まり争奪戦』のような。

「目的が分からん。なぜあそこまでして俺を捕獲しようとする?」
「……本気で言ってるの?」
「全員、殺気はないが、異様な熱気がある。新手の精神攻撃か何かか?」

 本気だった。
 この男、自分が猛烈な好意を向けられていることに、一ミリも気づいていないのだ。

 世界を滅ぼせるし、魔力は測定不能。なのに恋愛理解度だけは、地面へめり込むほど低い。

「……それで、ここまで逃げてきたの?」
「戦略的撤退だ」

 ノクスは微塵も揺らがない声で断言した。
 ため息交じりに頭を抱える。そんな何でもない仕草で、また無駄に色気を撒き散らす。
 この無自覚さである。
 そりゃあ、追われる。

「転移を使えば、魔力座標を捕捉される。ゆえに正門から物理的に跳躍し、屋根を三つ越えた」
「正門からここまで跳んできたの!?」
「途中で女子寮の対男性侵入結界へ阻まれた」
「でしょうね!」
「叩き割った」
「割ったの!?」
「その先に窓があるとは思わなかった」
「窓は悪くない! 女子寮の三階に突っ込んできたあなたが百パーセント悪い!」
「その点については、認めよう」
「潔い顔をしても弁償は消えないから!」

 ノクスが指を鳴らした。
 パチンッ。
 空中で停止していたガラス片が、一斉に動き出す。すべての破片が逆再生のように窓枠へ集まり、細かな亀裂まで消え、一枚のガラスへ戻っていく。
 数秒で、窓は、破壊される前と寸分違わぬ姿へ修復されていた。

「壊れたものを元へ戻すだけなら、世界は何も言わん」

 ノクスはさらに扉へ向き直った。
 指先から黒い魔力が迸る。
「《遮音》」
 一枚目。
「《魔力遮断》」
 二枚目。
「《空間封鎖》」
 三枚目。
 黒い術式が扉へ次々と重なり、部屋全体が要塞へ変わっていく。この男にとって、女子寮へ逃げ込むことすら敗走ではなく、陣地構築である。

「改めて言う」

 ノクスが私へ向き直った。
「今夜だけ、この部屋を貸せ」
「どうして私なのよ」
「お前は、俺の共犯者だろう」

 どくんっ。
 胸の奥が、大きく鳴った。
 共犯者。
 その呼び方が、今の私には何よりも嬉しい。
 ヒロインでも、恋人とも違う。世界に抗うための共闘する「相棒」だと認められていることが……。

「ふ、ふん。だったら、仕方ないわね」

 どうしても緩みそうになる口元を引き締める。

「匿ってあげるわ。でも、今夜だけよ」
「ああ」
「それから、勝手に物へ触らない。結界を増やす時は先に言う。窓から出入りしない」
「注文が多いな」
「女子の部屋へ泊まる男に最低限求められる規則よ!」
「分かった」

 ノクスが素直に頷いた。

「でも、匿うって、ここに寝る気? どうやって? 狭いけど」

「問題ない。その辺に寝る」

「その辺ってどの辺よ。床? 椅子?」

「壁にもたれていれば十分だ。野営には慣れている」

「ここは戦場じゃないっ!」

 呆れながらツッコミを入れた瞬間、私はある重大な事実に思い至った。
 ――ちょっと待って。
 これ。
 あの六人が繰り広げていた『お泊まり争奪戦』に、私まで参戦したことにならない?
 いや。

 参戦どころではない。
 六人が正面から壮絶な奪い合いをしている間に、まったくの大穴だった私が、魔王の身柄を自室へ確保してしまった。
 伏兵による、完全な抜け駆け。現在、暫定一位。私、大勝利!

「って、違うでしょっ!」
「急にどうした」
「なんでもない!」

 これは保護である。匿っているだけ。共犯者の安全確保だ。

 自分に激しくそう言い聞かせようとした、その時。

「ノクス様ーっ!」

 窓の外から、聞き覚えのある声が響いた。

「どこですかーっ!」
「パンが冷めてしまいますーっ!」
「もう来た!?」

 私は窓へ駆け寄り、修復されたばかりのガラス越しに中庭を見下ろした。

 三階下。
 魔法の光を松明のように掲げた六人の少女たちが、女子寮前へ集結しつつあった。
 リリ。
 ステラ。
 ミラ。
 ナナ。
 イリス。
 ソフィア。
 全員いる。
 しかも、目が完全に獲物を追う狩人である。

「どうして、ここがバレているのよ!」
「侵入結界を叩き割った時の、魔力残滓を辿ったのだろう」
「あなたの魔力、世界を滅ぼせるくせに隠密性がゼロなのよ!」
「隠す必要がある状況など、今までなかった」
「今日から必要になったわね!」

 ナナが中庭の地面へ巨大な学園図を広げた。
「魔力残滓の角度から、侵入先は女子寮三階と推定します!」

 イリスの周囲へ、数十枚の解析術式が開く。

「修復魔法の波形を照合。三階北端から四番目の窓です」
「ピンポイント!」

 ミラが鼻を鳴らした。

「匂いも、そこ」
「何をどう嗅いだの!?」

 ステラが三階の窓を見上げ、扇を突きつける。

「フェリシア! そこにいらっしゃいますのね!」
「い、いないわ!」

 反射的に答えてしまった。

「今のお声はフェリシアお姉さまですーっ!」
「私はいるけど、ノクスはいないわ!」
「聞かれていない情報を自分から足したな」
「あなたは黙って!」

 ノクスが窓から離れた。
 赤い瞳から、完全に笑いが消えている。

「来るぞ」
「え?」

 ドドドドドドドドドドッ!!
 地響き。
 六人分とは到底思えない足音が、女子寮の階段を猛烈な勢いで駆け上がってくる。

「寮内では走らないでぇぇぇっ!」

 私の悲痛な訴えなど届かない。
 一階。
 二階。
 三階。
 足音が近づく。
 廊下へ突入。
 そして。
 私の部屋の扉の前で、ぴたりと止まった。

「ノクス様ー! パンが冷めてしまいますー!」
「この部屋の窓から、修復されたばかりの魔力反応を確認しました」
「フェリシアお姉さま、開けてください!」
「もう寝たわ!」
「まだ午後八時ですーっ!」
「今日は徹夜明けなの!」
「先ほどまで室内を歩き回っていました」
「どうして分かるのよ!」
「床の振動を測定しています」
「女子寮で使う術式じゃない!」

 ノクスが扉を睨む。
「三重結界がある。人間には破れん」

 ギュイイイイイイィィンッ!!
 扉の向こうで、恐ろしい速度で術式が組み上がり始めた。
 ノクスの眉が、わずかに動く。

「……イリスか」
「何をしてるの?」
「あれは解析ではない」

 黒い術式へ、外側から細い光の針が何百本も差し込まれていく。

「強制解錠だ。俺の結界を構造単位へ分解している」
「破られるの!?」
「良い腕だ」
「感心してる場合!?」

 バキンッ!!
 一枚目の結界が砕けた。

「嘘でしょう!?」
「見事だ」
「魔王として悔しがりなさいよ!」
「優秀な術者を正当に評価しているだけだ」

 ギュギュギュギュンッ!!
 二枚目の結界へ、解析術式が食い込んでいく。

「残り時間は?」
「十五秒」
「短い!」
「十二秒」
「数えている間にも減ってる!」
「九秒」
「ノクス、隠れて!」
「どこへ」
「ベッドの裏!」

 この部屋で、大人の男一人を隠せる場所など、そこしかない。
「承知した」

 ノクスが踏み込んだ。
 速い。
 転移術を使えば魔力反応で即座に発見される。
 だから術式を使わず、純粋な身体能力だけで、一気に部屋を横切ろうとしたのだ。
 その一歩目。

 ぱしゃり。

「――あ」

 彼が窓から飛び込んだ衝撃で、机から落ちていた水差し。
 床には、ほんの小さな水たまりができていた。
 普段なら、何の問題にもならない量。
 だが、魔王の踏み込みは、普段という言葉から最も遠かった。
 床を抉る寸前の力で蹴り出された靴底が、わずかに滑る。

「なっ――」

 ほんの数センチ。
 軸がずれた。
 それだけで、膨大な速度の行き先が変わる。
 ノクスの身体が、私へ向かって傾いた。

「きゃっ!」

 倒れる先に、私がいた。
 ノクスは体勢を立て直さなかった。代わりに、私の腕を掴み、強く引いた。

 自分の身体が私を押し潰す。
 そう判断した瞬間、落下の軌道を強引に変えたのだ。
 私の身体が浮く。ノクスの腕へ抱き込まれる。

 そのまま、もつれ合ったまま、すぐ後ろにあったベッドへ倒れ込んだ。

 ドサァッ!!

「んっ……!」

 背中が、柔らかなマットレスへ沈む。
 衝撃は、ほとんどなかった。
 私の後頭部とベッドの間へ、ノクスの手が差し込まれていたからだ。
 守られた。
 そう理解した時には。
 ノクスが、私の真上にいた。

「…………」
「…………」
 完全に、覆いかぶさられていた。
 さらに最悪なことに。
 倒れ込んだ勢いで、ノクスの足が掛け布団の端を引っかけた。

 バサァッ!

 分厚い布団が宙へ舞う。
 そして、私たち二人の頭上へ、テントのように覆いかぶさった。

 視界が塞がれる。
 暗い。
 布団の中は、ほとんど何も見えなかった。
 窓から差し込む月明かり。
 布越しに透ける、青白い光。
 その一筋だけが、目の前にあるノクスの顔を照らしている。

 近い。
 近すぎる。
 息が、触れる距離だった。

 私の顔の両側へ、ノクスが両手をついている。
 太い前腕が、シーツへ深く沈んでいた。
 束ねきれなかった黒髪が肩からこぼれ、私の頬へ触れる。

 くすぐったい。けれど、動けない。

 ノクスの赤い瞳が、すぐそこにあった。驚きに見開かれ、その中心に私の顔が映っていた。

「フェリシア――」

 ノクスが口を開いた。
 低い声が、布団の中の空気を震わせる。
 私は反射的に、その唇へ人差し指を押し当てた。

「……しっ」

 我ながら、情けないほど掠れた声だった。

 ノクスが、動きを止めた。

 赤い瞳が、私の指先へ落ちる。
 それから、ゆっくりと、私の目へ戻ってきた。

 布団の中の空気が、一段、熱を上げた。

 まずい。これは、まずいですよ。

 私の脳内で、警報が鳴っていた。
 システムのものではない。もっと原始的で、もっと言い訳のきかない類いの警報だ。

 落ち着け。
 これは事故だ。水たまりだ。物理法則だ。この距離も、この体温も、全部ただの慣性の結果であって、私の心拍数とはなんの関係も――。

 布団の中に、ふざけたピンク色の光が灯った。

【SYSTEM】『該当処理を検索中……』
【SYSTEM】『検索結果:0件』
【SYSTEM】『主要キャラクターの予定外の接触を検出』
【SYSTEM】『該当するイベント定義がありません』
【SYSTEM】『暫定的に記録します』

「記録するなあああ!」

 私が小声で叫んだ、その時!

 バキィィィィン!!

 その声と完全に同時に、部屋の扉ごと、最後の結界が砕け散った。