勇者のご褒美役はお断りです! ~恋愛フラグを折っていたら、魔王が共犯者になりました~

【SYSTEM】『致命的なエラーを検出しました』
【SYSTEM】『修正対象:フェリシア・ルミナリア』
【SYSTEM】『修正対象:終焉の魔王ノクス』
【SYSTEM】『修正対象が、二名へ増加しました』

 赤い警告光が、私とノクスを交互に照らしていた。

 つい先ほどまで私を焼き殺そうとしていた終焉の魔王が、砕けたウィンドウの破片を指先でつまみ、そこに残った文字を興味深そうに眺めている。

「……修正対象、か」

「自分から巻き込まれておいて、ずいぶん落ち着いているわね」

「お互い様だ。先に修正対象だったのはそっちだろう」

「あなたが警告ウィンドウを粉砕したせいで、問題の規模が二倍になったのよ」

「お前は礼を言うべきではないのか。あれを壊さなければ、記憶を消されていた」

「……それについては、うん、ありがとう」

「素直だな」

「お礼を言っただけで驚かないで」

 ノクスの指一本で、赤い破片が跡形もなく消えた。

 [SYSTEM]の表示を見なくて分かるほどの、圧倒的な魔力。
 さすが、ラスボス。システムの意図を読み、手順の穴を探して、術式を組んで、そこを突いて壊す私とは全然魔法の使い方が違う。

 言い換えれば、私には術式を書く腕だけがあって、彼にはそれを走らせるマナとエーテルだけがある。もし同じ方向を向けるなら――。

「一つ、聞かせて」
「何だ」
「あなたは、いつから世界の『枠』が見えていたの?」

 ノクスは答えず、半透明の床の下を流れる文字列へ目を向けた。
 遠い記憶を探すような、長い沈黙。

「この世界に生まれた時からだ」
「つまり、最初から?」
「目の前に出てくる文字なら読める。だが、それ以外は不快な糸にしか見えん。人間へ絡みつき、剣を握らせ、憎悪を育て、俺のもとへ向かわせる糸だ」

 ノクスが右手を上げる。
 空中へ、黒いノイズが細い糸のように浮かび上がった。

「国が和平を望めば、別の場所で憎悪が生まれる。兵が武器を捨てれば、家族を殺されてまた拾う。誰かが俺を理解しようとすれば、その者は裏切り者として処刑される」

 黒い糸が、彼の指へ絡みつく。

「俺が何を選ぼうと、最後には必ず勇者が現れる。そして世界は、『魔王が勇者に倒される物語』へ戻っていく」

 赤い瞳が、闇の奥を見つめた。
 そこには、私には見えない何度もの結末が映っているようだった。

「最初は、迎え撃った」

 黒炎の向こうへ、燃え落ちる城の幻が浮かぶ。

「勇者を退け、人間の軍を撤退させた。翌朝には時間が巻き戻り、すべてが戦いの前へ戻っていた」
「……巻き戻った?」
「次は和平を選んだ。条件を整え、互いの国の民へ被害を出さぬ条約を結んだ。だが、使者は帰路で何者かに殺され、和平文書は宣戦布告へ書き換わった」

 幻の条約書が、赤い炎へ包まれる。

「軍を解散したこともある。魔力を封じ、王位を捨て、一人で世界の果てまで逃げたこともある」
「それなら、勇者と戦う理由はなくなるはず……ということ?」
「そうだ。しかし、その結果、世界の果てが折れ曲がった」
「折れ……曲がる?」
「どれだけ北へ進んでも、最後にはこの玉座へ戻された。目を開ければ軍は復活し、私が命じてもいない侵攻が始まっていた」

 ノクスは、絡みついた黒い糸を握り潰した。

「戦っても、退いても、和平を結んでも、消えても同じだ。方法だけが変わり、結末は変わらん」

 低い声に、激しい怒りはなかった。
 怒り尽くし、抗い尽くし、それでも終われなかった者の深い疲労だけがあった。

「魔王は世界を脅かす。勇者は人々の希望を背負って立ち上がる。最後には正義が勝つ」
「……仕様ね」
「俺が死ぬところまで含めてな」
「最低の仕様だわ」

 ノクスが、初めて私を見た。

「お前はなぜ、枠へ逆らった?」

 私は一度、深く息を吸った。

「私も、勇者の物語を完成させるためだけに、存在しているから」

 ノクスの眉が、わずかに動く。

「私は、この世界へ来る前の記憶を持っている。ここが『聖剣のラヴァーズ』という物語の世界で、自分が王道系メインヒロインだということも知っているのよ」

「来る前の世界? メインヒロイン?」

「私は勇者アレクに助けられ、励まし、支え、最後には結婚する女なのよ」

【SYSTEM】『システムが推奨するルートです』

「大事な話をしているんだから、割り混んでくるな!」

 横から割り込んだウィンドウを裏拳で叩き飛ばす。

 くるくる回りながら、暗闇の彼方へ消えていった。

「勇者は七人の女の子と出会い、好意を集め、その力であなたを倒す。そして私は、長い冒険を終えた勇者へ最後のご褒美として与えられる」

「なるほど。褒美か」

「そう。出会う前から結婚相手まで決定済み。好きになることも、抱かれることも、幸せだと思うことも、全部あらかじめ入力されている」

「それで、拒んだのか」

「ええ。運命の出会いをリンゴ三箱へ突っ込ませ、救出イベントのスライムは自分で爆破し、入学式は大結界を不正突破してすっぽかした」

「なるほど、同じだな。俺も世界の果てを不正突破しようとした」

 思わず、二人で小さく笑った。
 攻略される女。
 攻略され、倒される魔王。
 正反対の場所へ置かれながら、私たちは同じものへ抗っている。二人とも誰かの物語を完成させるために、人生の結末まで決められた者同士だ。

「私がフラグを折ったことで、ほかのヒロインたちも、自分に割り当てられたルートを拒み始めたわ」

「お前が反逆を教えたのか」

「いいえ。私はやり方の相談に乗っただけ。選んだのは、あの子たち自身よ」

【SYSTEM】『反抗的自我の感染性のバグ』

 赤い警告が、私の頭上へ表示される。

「自由意思をバグ扱いするな!」

 私は即座にウィンドウを蹴り砕いた。

「人間が自分の意思で行動しただけで壊れる世界なら、設計した側に問題があるわ!」

 光の破片が飛び散る。

「バグは私じゃない。あなたでもない」

 ノクスの赤い瞳を、真っ直ぐに見返す。

「役割どおりにしか生きられない、この世界の方よ!」

 ノクスが俯いた。
 黒い魔力が肩を震わせる。

「……クッ」
「何よ」
「ククッ……ハハハハハハハ!」

 笑っていた。終焉の魔王が、声を上げて笑っている。
 暗闇が震え、半透明の床の下を流れる文字列が波打った。

「これほど痛快な答えを聞いたのは初めてだ。世界は俺を悪と定め、お前を異常と定めた。だが、お前は世界そのものを不具合と言い切るか!」

「ええ。相当な重障害よ。担当部署を呼び出して、三日三晩は説教したいレベル」
「ならば、どうする?」
「決まっているでしょう」

 私は笑った。

「このクソみたいなシステムを、根底から全部書き換える」

 ノクスの赤い瞳へ、強い光が灯った。

「あなたも、予定調和にはうんざりしているんでしょう?」

「無論だ」

「私には、前世の知識から術式と強制処理を読む目がある。でも、マナは十二。エーテルは九。複雑な術式は一行も走らせられない」

 右手で、彼の胸元を指した。

「あなたには、測定器が桁あふれを起こすマナとエーテルがある」

 右手を差し出す。

「私は世界の命令を先読みする。弱点を見つけ、書き換える方法を作る」

 ノクスを見上げる。

「あなたが、それを実行する」

「つまり……、魔王である俺へ命令する気か?」

「役割分担よ」
「物は言いようだな」
「手伝う?」
「俺を誰だと思っている」
「終焉の魔王。最終ボス。マナ・エーテルともに測定不能。そして、警告ウィンドウを素手で壊した規約違反者」
「……は悪くない肩書だ」

 ノクスが、不敵に笑った。
 そして、私の右手を力強く握り返す。

「いいだろう。俺の絶望を、お前のその目で暴いてみせろ」
「ええ。あなたは、その馬鹿みたいなマナとエーテルで、私の解析結果を実装するのよ」
「やはり命令しているではないか」
「共同作業よ」
 
 メインヒロインと、最終ボス。
 本来なら、物語の両端に置かれ、決して並ばない二人……。
 世界の命令を読む者と、世界の命令を打ち砕く者。
 その手が、今、つながった。

【SYSTEM】『関係性を更新します』
【SYSTEM】『フェリシア・ルミナリア/終焉の魔王ノクス』
【SYSTEM】『敵対関係:解除』
【SYSTEM】『共犯関係:成立』

「今度は正しく判定したわね」
「共犯とは、正式な関係なのか?」
「私たちが第一号よ」

 ふと、差し出されたノクスの大きな手に自分の指先を重ねた。
 触れた瞬間、息を呑んだ。
 世界を滅ぼす魔王だから冷たいと思っていたが、触ってみると人間のそれと同じ温もりが伝わってきた。

 鼓動が、うるさいほどに跳ねる。
 幾千万の運命を狂わせ、絶対のシナリオに牙をむく者同士の体温が、皮膚を伝って互いの底へと流れ込んでいく。

 それは冷たい世界に墜ちた者同士が交わした、世界で最初にして唯一の、静かなる宣戦布告だった。
 その確かな感触に、凍りついていた胸の奥が不規則に騒ぎ出す。

 ――最高に劇的な、共犯成立の瞬間だった。


 * * *


「それで、これからどうする? ずっとここにいるわけにもいかないだろう?」

 ノクスが問う。

「ええ、何をするにもまずは戻って作戦を立てたい。……ただ、ここへ落ちる前、私は消去される寸前だったのよ」

 私は足元でうねる緑色の文字列を指し示した。

「落ちた拍子に、処理が私を見失ったから今こうして止まっているけれど……」

「……元いた場所へ戻れば、また見つかるということか」

「ええ。学園はシステムに登録済みの正規座標。戻った瞬間、あの強制初期化の続きから再開される」

「ならばどうする? 再び逃げ回るか?」

「ううん、逃げてもキリがないわ」

 私は小さく息を吐き、きっぱりと首を横に振った。

「正面から無効化する術式を叩き込む。そのための術式なら、もう組んでる」

 ノクスの眉が、ふっと面白そうに上がった。

「どうする気だ?」

「システムは私の『座標』を追跡しているわ。だから逃げるんじゃなくて、私を掴みに来る『宛先(参照アドレス)』を空っぽのダミーにすり替えるの」

 私は空中で指先を走らせ、青白い光の図形を描いた。

「システムの目を騙して、虚空を空振りさせる。つまり、向こうから『掴めなくする』のよ」

「……そんな芸当が、本当にできるのか」

「理屈の上ではね。ただ――」

 私は自分の肩を軽くすくめてみせた。

「これを実行するためのマナとエーテルが、私には六桁足りない。だから一度も撃てなかったの」

 説明を聞き終えたノクスの赤い瞳が、静かに、しかし熱を帯びて細くなった。

「つまり俺と一緒なら、できるということだな」

「あなたがいれば、この世界を更地にしようとする修正システムだって、きっとデバッグできるわ」

 ノクスがわずかに口の端を持ち上げ、右手を勢いよく掲げた。
 その瞬間、二人の足元を囲むように、巨大で重厚な黒い魔法陣が幾重にも展開されていく。

「ふっ、いいだろう。最初の共同作業とやらはそれでいくか。戻った瞬間に迎撃を仕掛けるぞ」

「えっ、もう? いいけど、ちょっと心の準備が――」

「不要だ。いくぞ」

「――って、ちょっと待ってえええええ!」

 抗議を言い終える前に、視界が反転した。