わかってない

 ふわふわして、何かと楽しい気分の中。火照った体を冷ますような風が心地良い。

 店を出てしばらく歩いていると、向こうからやってくる男がぼんやり視界に入る。やがてクリアになったそいつに眉を寄せた。

「何で佐野(さの)がここにいんの?」
西山(にしやま)から迎えに来いって言われたから来たんだよ。俺だって来たかねぇのよ」

 ぼそっと小声で言われて、はっと鼻で笑った。何だ、俺かよ。自発的に迎えに来たんじゃないのか。

 そうだよな、佐野ってそういうやつだもん。知ってるよ。

 宵闇の中でも一際まぶしく見えるのが憎らしくて、俺は目を閉じる。――あ、閉じたらだめか。

「おい、ここで寝るなら置いてくからな」
「置いてってもいいよーだ。ここで寝ます」

 ぱちっとまぶたを上げると、佐野が「何バカなこと言ってんだ」と俺の肩に手を回した。支えてくれているのがわかっていやだと首を振る。

 俺は佐野といたかったのに。何今さら来てんだ、ほっといてくれ。

「暴れんなって。すぐそこ、タクシーいるから大人しくしてろよ」

 有無を言わさずタクシーに押し込まれて、自分でうまくできずにいるとシートベルトをされた。暗い車内で佐野の横顔がよく見えなかった。

 そこから家に到着するまで、話しかけても面倒そうな様子で返事もしてくれなかった。

「お前は一人で帰ろうとしたくせに何でずっとしゃべってんの?」

 ようやく口を開いたと思えば、佐野は優しくない。

「うるさいな。色々あんだよ」
「あー、そこで休むな。まず洗面所行け。立てねぇほどじゃないだろ、甘えんな」

 俺だってそんなことわかってる。足がうまく動かせなくて、そのまま玄関に座り込んだ。佐野が腕を引っ張ってくれるけど動きたくない。

 会社の飲み会なのに不参加で定時でさくっと帰りやがって。俺が参加したら、女子社員たちからこぞってお前のこと訊かれるんだぞ。普段仲良いから、飲むとどうなるかって。

 教えねーけど。そういうとき、虚しくなる俺の気持ち考えたことあんのか。

「俺ばっか好きなの疲れた。何なんだよ……もういいっ。俺だって佐野のことなんか……好きだけど、好きじゃねーから!」

 言ってやった、とばかりにスッキリして目を閉じる。がっと顎先をつかまれて「んぇ?」と声が漏れた。

 べちっと額を叩かれて、ぱちぱち瞬きを繰り返す。危ない、寝そうだった。

「寝るな、バカ野郎。俺ばっか好きってどっから来たんだよ」
「……だって、何で飲み会、みんなとなのに一緒に来てくれねーの? そりゃ、女子社員ウザイのわかるけどさー、俺だってみんないるときも佐野と飲みたい」

 はー、としゃがみこんだ佐野から長々ため息を吐かれた。

「俺は、お前の前でしか酔うつもりねぇの。てか、お前が言ったんだろ。俺が酔ったら女子社員に惚れられて嫌だから飲むなって」
「えー? そうなの?」
「これだから酔っぱらいは。覚えとけよ」

 うーん、そうなのか。記憶を遡りたくても今はもう頭が働かない。ポカポカしていて熱い。

 手を伸ばして佐野の頬を触るとひんやりしていた。怪訝そうな顔をした佐野は「飲み会参加も嫌がったろ」と、俺の手をつかむ。

「最初に参加したら、俺と話せなかったーっていじけたじゃん。今日は参加してほしかったの?」
「うん……わがままでごめん。今日、俺も不参加にしたかったけどできなくて……せめて、佐野といたかった」
「まあ、西山は押されると弱いもんなぁ。俺の気苦労を知れよ」
「弱くねーし、ちゃんとしてるし」

 立ち上がろうとして、バランスを崩してしまった。前のめりになったのを佐野が受け止めてくれる。

 そのまま首元にしがみついた。佐野から俺がよく使う柔軟剤の香りがする。まじで眠い。でも、まだ寝たらダメだ。ここで寝たくない。

「てか、何で今日いたかったの?」
「明日、佐野の誕生日だから」
「今日から俺といたかったのかよ、お前。ほんとかわいいやつだな」

 ムカつくよ、となぜか微笑みながら言われた。何でムカつくんだよ。祝わせろよ。

 ——って、誕生日過ぎた!?

 ハッとして俺は「やば」と呟く。わたわたとスーツのポケットからスマホを出して確認すれば、0時を回るところだった。

「誕生日おめでとう。愛してるよ」

 それだけ伝えて、満足した。でも、ごめん。声になっているかわからない。

 もう限界だ、と迫りくる睡魔に負けて力が抜けた。

 :

 次に目を開けたときはベッドの上にいて、Tシャツに着替えていた。

 やべ、これは俺がやったんじゃねーだろ。着替えた記憶がない。

 隣を見ればバッチリこちらを見つめる佐野。

「俺がぜんぶ世話したんだからな」と大層不満げな声だった。

「え、ぜんぶって歯磨きとか?」
「そう。寝ぼけてるお前の歯を磨いて、そしたら頭洗うって騒ぐからシャワー浴びさせて髪乾かして寝かしつけた。俺が」
「……ほんとごめん」

 自分の腕を枕にした佐野はふっと頬を緩めて「誕生日の主役にさせることじゃねぇだろ」と言った。ごもっともだ。

「誕生日おめでとう」
「ありがとう……俺も、愛してるよ」

 そっと俺の頬を撫でる佐野が優しく微笑む。差し込む朝日に照らされて、きらきらして見えた。

 佐野から愛してるなんて言葉を聞けると思ってなかったな。ふへへ、とにやけてから、数秒。頭が追いついて、俺は目を見開いた。

「待って愛してるって言った!?」
「何だよ、お前が言ったんだろ」
「へ、俺? いつ?」
「日付変わったとき」

 言おう、って思ったのは覚えてる。社会人生活も共に過ごしてきて、付き合って2年。愛してるくらい、ちゃんと言葉にして伝えたかった。

 けど、面と向かって言おうとすればするほど照れて、どうしたもんか悩んでたのに。酒の力に頼って言えたのか。

 あんまり覚えてないのは、いいのか悪いのか。

「お、俺だって、」
「うん?」
「俺だって、愛してる」
「だから、もう聞いたよ」

 俺が起き上がると、佐野も体を起こす。俺の髪をくしゃくしゃと撫でてきた。いつもより雰囲気が甘く感じるのは気のせいじゃないと思う。

「おはよう」と、遅れて挨拶をする佐野に俺もおはようを返す。こみ上げる愛しさのせいで、浮かんだ言葉がそのまま口をついて出た。

「一生そばにいてほしい」
「プロポーズじゃん」

 佐野の唇が弧を描く。俺はふふん、と謎に得意げになって「そうだよ」と答えた。勢いの言葉でも、ここはごまかしたくない。

「じゃあ、プロポーズを受けたので今日は休む」

 俺のプロポーズを休む口実に使って、横になろうとする佐野を止める。

「そろそろ起きねーと。佐野、今日は朝イチでミーティングだろ?」
「うわー、そうだった。時間内に終わるかな」

 うっかり嫌なことを思い出させてしまったらしく、顔をしかめる佐野。

「帰りはいつものとこでケーキ受け取ろ」と、俺は慌てて話題を変えた。

「ケーキ……何買うか」
「予約した。佐野の好きなチョコのやつ」
「え、まさかホール?」

 きょとんとする佐野に俺は当たり前だろ、と言った。誕生日ならホールのケーキだろ。

「そんな大きくねーから安心して。ほら、起きよ」

 先にベッドから下りて、回り込んでから佐野の手を引っ張る。寝起きはいいくせにベッドから出たがらない佐野を引っ張りだすのが俺の役目。

「ケーキは楽しみだけど、行きたくねぇ」
「仕事も頑張ろ。朝ごはん食べる時間なくなるから立てー」

 今日もその役目は変わらず、俺だけのものだった。