農民の青年は、シュテルンという名だそうだ。ここの隣町で、じゃがいもを育てているらしい。結婚してからまだたった1年らしい。
そんな彼を連れて、リーリエは宿へ戻る。途切れた円の飾りがかかる扉を、彼女は勢いよく開けた。
「おや、おかえりリーリエ」
「アサフさん、ただいま戻りました」
朝食と思われるパンを運んでいた白髪の少年から声をかけられる。彼はリーリエの返事を受けて、彼女の後ろにいるシュルテンへ視線を向けた。
誰、とアサフの目が問いかける。
リーリエはシュルテンの手をギュッと強く握る。そして彼女は口を開いた。
「アサフさん、貴方の知恵をお借りしたいんです。彼は、奥さんを帝国の軍人と思われる人物に連れて行かれたそうです。なにか ご存知ありませんか」
キランと、彼の金色の目に好奇心が光る。
朝食の席を共にしながら、シュルテンの話を詳しく聞くことになった。
◇
食後のコーヒーを、コトンとアサフは机へ戻す。彼はシュルテンの話を総括するように、ゆっくりと首を縦に揺らした。
「ふむ……。突如として軍用車が来たかと思えば、偶然そのそばを通りすがったお主の奥方の腕を帝国の軍人が掴み、仕事だから来い、と……」
「はい……」
肩を窄める青年に、リーリエは寄り添う。詳細を聞いてもなお、彼女にはそれが軍の所業とは思えなかった。
あまりにも乱暴すぎる。守るべき民間人に対してそのような暴挙、許されるはずがない。
彼が言うには、軍用車の中には同じように連行されたと思われる女性の姿が数名見えたらしい。
つまり、彼の奥さんが何か罪を犯したという訳ではなく、無差別で召集されているかもしれないのだ。
すがるようにアサフを見つめる。それしか出来ない自分に不甲斐なさがこみ上げてきた。
けれどそんな思いをふきとばすように、アサフは何食わぬ顔で語りだす。
「ワシの仲間によると、そういった事例はこの辺りに多いようじゃな」
「……!?」
「ヘルトにとって、それだけこの地域を弱らせたいのじゃろう」
聞いているだけで、胸が痛い。
兄殿下のことは、そのボーデン山脈事件の被害者としてしか知らない。その犯人の生まれた地というだけで、あのヘルト王がこれだけ迫害するだなんて。
(兄殿下が殺されたこと……ヘルト陛下は、どれほど心を痛めたのだろう……)
兄の復讐を訴えたヘルトの演説は、今でも有名だ。
(だと、しても……)
リーリエはそっと、奥さんの無事を案じるシュルテンの横顔を伺った。
痩せこけた頬。瞳には涙を浮かべている。
(あくまで犯人はヴィルヘルムであって、シュルテンさんの奥さんは関係ないのに……!)
まさか、推しに対して文句が浮かぶ日が来るなんて。
けれどリーリエはどうしても、納得がいかない。
「……アサフさん。陛下は、何のためにそんなことを?」
つい、彼女は尋ねる。
知獣はふむ、と顎を撫でた。
ゆっくりと彼の口が開かれる。
そして聞こえてきたのは、カランカランと鳴る扉飾りの揺れる音だった。
「ただいまぁ〜。ありゃ? お客さんだった?」
「おぉ、おかえりヴァル」
「……おかえりなさい」
なんという間の悪さだろう。
灰色の髪を揺らして帰ってきたおじさんを、じと……と睨んでも致し方あるまい。
「どこに行ってたんですか? もう朝ごはん食べちゃいましたよ?」
よっこらせ……と言いながらヴァルは椅子に腰掛ける。
リーリエの言及に、彼はへラリと笑いながら答えた。
「ちょっと……大事な人のお墓参り、かな」
指輪を撫でながらの言葉。そんなことを言われては、文句を続けることもできない。
「さてヴァルや。こちらシュルテンと言うが……彼が実に興味深い事実を持ってきてくれたぞ?」
アサフはそう言ってニコニコと笑う。
ヴァルが首を傾げたのを見ると、知獣はもったいぶるようにリーリエの方を向いた。
「シュルテンの奥方を連行させた目的じゃったな」
「ええ……」
妙に確信めいた表情。アサフの口角が弧を描く。
「毒見役……じゃろうな」
「え……!? どういうことですか……!?」
放たれた言葉に、理解が追いつかない。リーリエは思わず声を上げてしまった。
いったい誰が、英雄王を毒殺など考えるだろう。いくら領土の拡大が急だったとはいえ、反乱など今や殆どない。緊張状態な隣国との国境線は、首都からは遠く離れているというのに。
そんな彼女の動揺を知ってか知らずか、アサフはリーリエへ尋ねた。
「ところでリーリエや。お主……知識人召集令を使ってわしをわざわざ首都へ連れて行くのは、ヘルトが病にかかったからではないか?」
「えっ」
彼女の心臓は、大きく跳ねた。
一応、この任務は極秘案件だ。
故に、なぜ今になってアサフが知識人召集令の対象になっているのか、そもそもなぜ「知獣」の居場所も開示されなかったのか、リーリエでさえ知らない。
けれど、どこに居るかも知らない名医に頼らざるを得ない状況に、心当たりはある。
「……私は、その真偽は知りません」
慎重に言葉を選びながら、リーリエは目の前の少年の問いに答えていく。
「けれど……そういった噂があるのは、事実です」
「うむ!」
孫の成長を喜ぶように、アサフは満足げに頷いた。
「病は気から……と言うじゃろ。敵の多いヘルトにとって、毒殺を疑うには充分な状況じゃ。もっとも、仮に病ではなかったとしても、そのパラノイアにヘルトは襲われていたじゃろうがな」
彼は腕を組み、深く椅子に背を預ける。
その様子についていけないのは、リーリエとシュルテンだ。2人は顔を見合わせる。市民の代弁をするように、軍人は再度尋ねる。
「パラノイア……って、必要以上に周囲を疑うことですよね? あのヘルト陛下に限ってそんなこと……」
それを受け、アサフは何故かヴァルを見る。つられてそちらを向けば、彼は優雅に朝食をとっていた。
「ん?うん、パラノイア?」
視線に気づいたおじさんは、ごくんとパンを飲み込んだ。
「そりゃあ、かつて自分が何をやったか覚えていれば、疑ってかかって当然だろうねぇ」
「……帝国建設は、複数の国への領土略奪を含むからですか?」
「いいや?」
何でもないことのように朝食を続けるヴァル。
だが、リーリエは気づいてしまった。
「身近であればあるほど、怖いだろうさ。他国への侵略ではなく、王宮内の話だったんだから」
「ッ……」
穏やかな声音とは裏腹に、ヴァルの目が全く笑っていないということに。
「……ヴァルや。準備は整ったのか?」
そう問いかけるアサフは、相変わらず笑っている。
一方ヴァルは、最後のコーヒーまでようやく飲みきった。
「うん。やりたいことはできたし、首都への連絡も完了したから」
「……え?」
「そうか、それは安心したぞ、ヴァル。では行くとしようか」
「……え??」
今日の昼食でも決めるように、アサフとヴァルだけで話が進んでいく。
彼らを交互に見つめるしかできないリーリエへ、立ち上がったアサフが声をかけた。
「ほれリーリエ。寄り道は終わりじゃ。最短距離で首都へ向かうぞ?」
「ええ!?」
あまりに展開が急すぎる。しかも、挙がった問題は何一つ解決していない。
それを察したのか、ヴァルが目を白黒させるこちらへ微笑んだ。
「えーっと、シュルテンさん、だっけ。奥さんの特徴、紙に書いてリーリエちゃんに預けてくれないかな。」
「妻の特徴を……ですか?」
「うん。毒見役だとしたら居場所の見当はつくから、首都に行ったら探してくるよ」
「……!!あ、ありがとうございます!!」
勢いよく頭を垂れるシュルテン。彼はすぐさま、宿主に紙と筆記用具を強請りに駆けていった。
それを見送るヴァル。彼の首筋に、丸い三日月のような痣があった。
否、それは痣ではない。入れ墨だ。
既視感を覚えるその文様に、リーリエは胸騒ぎがしてならない。
目の前にいる、灰のようなおじさんはいったい何者なのだろうか。
疑問が渦巻く。だと言うのに、リーリエにできることは1つしかない。
ほんの十数分後には、リーリエはアサフとヴァルと共に首都・リンベルクを目指していたのだった。
そんな彼を連れて、リーリエは宿へ戻る。途切れた円の飾りがかかる扉を、彼女は勢いよく開けた。
「おや、おかえりリーリエ」
「アサフさん、ただいま戻りました」
朝食と思われるパンを運んでいた白髪の少年から声をかけられる。彼はリーリエの返事を受けて、彼女の後ろにいるシュルテンへ視線を向けた。
誰、とアサフの目が問いかける。
リーリエはシュルテンの手をギュッと強く握る。そして彼女は口を開いた。
「アサフさん、貴方の知恵をお借りしたいんです。彼は、奥さんを帝国の軍人と思われる人物に連れて行かれたそうです。なにか ご存知ありませんか」
キランと、彼の金色の目に好奇心が光る。
朝食の席を共にしながら、シュルテンの話を詳しく聞くことになった。
◇
食後のコーヒーを、コトンとアサフは机へ戻す。彼はシュルテンの話を総括するように、ゆっくりと首を縦に揺らした。
「ふむ……。突如として軍用車が来たかと思えば、偶然そのそばを通りすがったお主の奥方の腕を帝国の軍人が掴み、仕事だから来い、と……」
「はい……」
肩を窄める青年に、リーリエは寄り添う。詳細を聞いてもなお、彼女にはそれが軍の所業とは思えなかった。
あまりにも乱暴すぎる。守るべき民間人に対してそのような暴挙、許されるはずがない。
彼が言うには、軍用車の中には同じように連行されたと思われる女性の姿が数名見えたらしい。
つまり、彼の奥さんが何か罪を犯したという訳ではなく、無差別で召集されているかもしれないのだ。
すがるようにアサフを見つめる。それしか出来ない自分に不甲斐なさがこみ上げてきた。
けれどそんな思いをふきとばすように、アサフは何食わぬ顔で語りだす。
「ワシの仲間によると、そういった事例はこの辺りに多いようじゃな」
「……!?」
「ヘルトにとって、それだけこの地域を弱らせたいのじゃろう」
聞いているだけで、胸が痛い。
兄殿下のことは、そのボーデン山脈事件の被害者としてしか知らない。その犯人の生まれた地というだけで、あのヘルト王がこれだけ迫害するだなんて。
(兄殿下が殺されたこと……ヘルト陛下は、どれほど心を痛めたのだろう……)
兄の復讐を訴えたヘルトの演説は、今でも有名だ。
(だと、しても……)
リーリエはそっと、奥さんの無事を案じるシュルテンの横顔を伺った。
痩せこけた頬。瞳には涙を浮かべている。
(あくまで犯人はヴィルヘルムであって、シュルテンさんの奥さんは関係ないのに……!)
まさか、推しに対して文句が浮かぶ日が来るなんて。
けれどリーリエはどうしても、納得がいかない。
「……アサフさん。陛下は、何のためにそんなことを?」
つい、彼女は尋ねる。
知獣はふむ、と顎を撫でた。
ゆっくりと彼の口が開かれる。
そして聞こえてきたのは、カランカランと鳴る扉飾りの揺れる音だった。
「ただいまぁ〜。ありゃ? お客さんだった?」
「おぉ、おかえりヴァル」
「……おかえりなさい」
なんという間の悪さだろう。
灰色の髪を揺らして帰ってきたおじさんを、じと……と睨んでも致し方あるまい。
「どこに行ってたんですか? もう朝ごはん食べちゃいましたよ?」
よっこらせ……と言いながらヴァルは椅子に腰掛ける。
リーリエの言及に、彼はへラリと笑いながら答えた。
「ちょっと……大事な人のお墓参り、かな」
指輪を撫でながらの言葉。そんなことを言われては、文句を続けることもできない。
「さてヴァルや。こちらシュルテンと言うが……彼が実に興味深い事実を持ってきてくれたぞ?」
アサフはそう言ってニコニコと笑う。
ヴァルが首を傾げたのを見ると、知獣はもったいぶるようにリーリエの方を向いた。
「シュルテンの奥方を連行させた目的じゃったな」
「ええ……」
妙に確信めいた表情。アサフの口角が弧を描く。
「毒見役……じゃろうな」
「え……!? どういうことですか……!?」
放たれた言葉に、理解が追いつかない。リーリエは思わず声を上げてしまった。
いったい誰が、英雄王を毒殺など考えるだろう。いくら領土の拡大が急だったとはいえ、反乱など今や殆どない。緊張状態な隣国との国境線は、首都からは遠く離れているというのに。
そんな彼女の動揺を知ってか知らずか、アサフはリーリエへ尋ねた。
「ところでリーリエや。お主……知識人召集令を使ってわしをわざわざ首都へ連れて行くのは、ヘルトが病にかかったからではないか?」
「えっ」
彼女の心臓は、大きく跳ねた。
一応、この任務は極秘案件だ。
故に、なぜ今になってアサフが知識人召集令の対象になっているのか、そもそもなぜ「知獣」の居場所も開示されなかったのか、リーリエでさえ知らない。
けれど、どこに居るかも知らない名医に頼らざるを得ない状況に、心当たりはある。
「……私は、その真偽は知りません」
慎重に言葉を選びながら、リーリエは目の前の少年の問いに答えていく。
「けれど……そういった噂があるのは、事実です」
「うむ!」
孫の成長を喜ぶように、アサフは満足げに頷いた。
「病は気から……と言うじゃろ。敵の多いヘルトにとって、毒殺を疑うには充分な状況じゃ。もっとも、仮に病ではなかったとしても、そのパラノイアにヘルトは襲われていたじゃろうがな」
彼は腕を組み、深く椅子に背を預ける。
その様子についていけないのは、リーリエとシュルテンだ。2人は顔を見合わせる。市民の代弁をするように、軍人は再度尋ねる。
「パラノイア……って、必要以上に周囲を疑うことですよね? あのヘルト陛下に限ってそんなこと……」
それを受け、アサフは何故かヴァルを見る。つられてそちらを向けば、彼は優雅に朝食をとっていた。
「ん?うん、パラノイア?」
視線に気づいたおじさんは、ごくんとパンを飲み込んだ。
「そりゃあ、かつて自分が何をやったか覚えていれば、疑ってかかって当然だろうねぇ」
「……帝国建設は、複数の国への領土略奪を含むからですか?」
「いいや?」
何でもないことのように朝食を続けるヴァル。
だが、リーリエは気づいてしまった。
「身近であればあるほど、怖いだろうさ。他国への侵略ではなく、王宮内の話だったんだから」
「ッ……」
穏やかな声音とは裏腹に、ヴァルの目が全く笑っていないということに。
「……ヴァルや。準備は整ったのか?」
そう問いかけるアサフは、相変わらず笑っている。
一方ヴァルは、最後のコーヒーまでようやく飲みきった。
「うん。やりたいことはできたし、首都への連絡も完了したから」
「……え?」
「そうか、それは安心したぞ、ヴァル。では行くとしようか」
「……え??」
今日の昼食でも決めるように、アサフとヴァルだけで話が進んでいく。
彼らを交互に見つめるしかできないリーリエへ、立ち上がったアサフが声をかけた。
「ほれリーリエ。寄り道は終わりじゃ。最短距離で首都へ向かうぞ?」
「ええ!?」
あまりに展開が急すぎる。しかも、挙がった問題は何一つ解決していない。
それを察したのか、ヴァルが目を白黒させるこちらへ微笑んだ。
「えーっと、シュルテンさん、だっけ。奥さんの特徴、紙に書いてリーリエちゃんに預けてくれないかな。」
「妻の特徴を……ですか?」
「うん。毒見役だとしたら居場所の見当はつくから、首都に行ったら探してくるよ」
「……!!あ、ありがとうございます!!」
勢いよく頭を垂れるシュルテン。彼はすぐさま、宿主に紙と筆記用具を強請りに駆けていった。
それを見送るヴァル。彼の首筋に、丸い三日月のような痣があった。
否、それは痣ではない。入れ墨だ。
既視感を覚えるその文様に、リーリエは胸騒ぎがしてならない。
目の前にいる、灰のようなおじさんはいったい何者なのだろうか。
疑問が渦巻く。だと言うのに、リーリエにできることは1つしかない。
ほんの十数分後には、リーリエはアサフとヴァルと共に首都・リンベルクを目指していたのだった。



