ボーデン山脈を超えてたどり着いたのは、アサフたちの故郷よりも小さく寂れた印象の村だった。
「ここは……?」
辺りを観察するリーリエの言葉は、じっとりと湿気を含む空気に溶けていく。
人のいない商店街。ただ商売が立ち行かなくなった訳ではなさそうだ。
石か何かで割られたような窓。乱闘があったように倒れた家具たちが誰もいないお店の中に垣間見える。
それらに顔を強張らせるのはリーリエだけ。先頭を歩くヴァルの足取りは確かで、前しか見ていない。一方アサフは、リーリエの言葉に寄り添うように隣から尋ねた。
「リーリエは、ヴィルヘルム・キルヒナーという人物を知っておるか?」
その言葉に、帝国の軍人は目を丸くして答えた。
「当然ですよ……! 陛下のお兄様、ヴァールハイト殿下を暗殺したスパイですよね。ボーデン山脈事件の、犯人」
学校で習うような史実だ。この国の軍人で、ヴィルヘルムの名前を知らない者はいない。
彼によるヘルト王の兄殺害をきっかけに、帝国は復讐を掲げて領土拡大を開始したのだ。
リーリエにとっての常識を、口にした瞬間だった。
ザリ、と強く砂利を踏みつけるような音が前方から聞こえてきた。違和感を覚えた彼女はそちらを向くが、前にいるのはもちろんヴァル。
筋張った手が、強く強く握られている。
血管が浮き出た拳は、僅かに震えているようだ。
「……なるほどのぉ」
「え?」
アサフがしみじみと呟く。聞き返した彼女を見上げて、少年が口にしたのは衝撃の事実。
「ここは、そのヴィルヘルムの生まれ故郷なんじゃよ」
「……」
その言葉が胸に落ちるまで、数秒は使ってしまった。
「え!? ここが!?」
今日1番の大声が、リーリエの口から飛び出た。
歴史に名を残す大犯罪者の、出身地。
この荒れ模様は、それが原因のように思えてきていた。
◇
翌朝、まだ日が山肌に隠れている頃。
リーリエは1人、ランニングのために宿を出た。
街全体をぐるりと走る。まだ人の起きていない早朝は、街の荒れた様子を際立たせた。
軍事行動による破壊……には、見えない。
見当たらないのだ。爆発によるクレーターや、発火魔術による火炎放射の跡や、銃の痕跡が。
ならば、この街を破壊したのは……。
一つの仮説が頭をよぎり、リーリエは思わず足を止めた。
彼女の目の前にあるのは、最も激しい破壊行為をうけた建物。最早、本来何を営んでいたのかすら分からない。
その壁一面に、大きな文字が殴り書きされている。
——この家のガキが、この国を滅ぼした!
「……」
息を飲む。つまりここが、「大犯罪者」の生家……。
「あの」
「!? は、はい!」
突如声をかけられ、リーリエは飛び上がってしまった。
パッとそちらを向くと、そこに居たのは頬のコケた男性だ。
「帝国の……軍人さん、ですよね……?」
「はい、そうです。何かありましたか?」
弱々しく尋ねてきた彼へ、リーリエはハッキリと答える。
これほど生気が薄いということは、相当な緊急事態かもしれない。そう覚悟して、彼女はこっそりと深呼吸。
しかし発生した事案は、彼女の予測とはまるっきり違っていた。
すがるように、こちらの腕を掴む彼。そして悲痛な声で、男性は訴えた。
「妻は……妻は生きてるんでしょうか……!」
「……え?」
「とぼけないでください! 数週間前、あなた達軍人が無理やり連れて行ったでしょう!」
「……!?」
彼の言葉に、リーリエは頭を巡らせる。
知識人招集令以外に、軍が誰かを「連れて行く」理由など、彼女は知らない。
「……恐れ入りますが、貴方の奥様は教師や医者、研究者などのお仕事をされてらっしゃいますか?」
真偽の確認のために、彼女は問いかける。
それに対し、なんと男性は大きく頭を振った。
「違います!! 妻はただ、私と一緒に畑を耕していた農民です……!!」
「…………えっ」
農民の女性を、軍が連れて行った?
いったい、何のために。
思考が巡る。あらゆる可能性を算出し、適切な判断を下せるように。
リーリエは再び辺りを観察した。荒れ果てた街のなか、「軍」が女性を連れて行くとしたら、目的は……。
「お兄さん、詳しいお話をお聞きしたいです。私の泊まっている宿に、一緒に来てくださりませんか?」
「……え?」
「安心してください。駐屯地ではなく、民営の宿です」
声落とし、笑みを浮かべて彼女は告げる。
そんなリーリエを信じてくれたのか、青年はコクリと頷いてくれた。
そうして、彼に寄り添いながらリーリエは宿へと足を向ける。
自分1人ではなく、自分の知らないこの国を知っている2人の知恵を借りるために。
最も荒れた家屋の裏から、その様子を眺めるおじさんが1人。
灰色の髪を風になびかせる彼は、色褪せた指輪を撫でていた。
「ここは……?」
辺りを観察するリーリエの言葉は、じっとりと湿気を含む空気に溶けていく。
人のいない商店街。ただ商売が立ち行かなくなった訳ではなさそうだ。
石か何かで割られたような窓。乱闘があったように倒れた家具たちが誰もいないお店の中に垣間見える。
それらに顔を強張らせるのはリーリエだけ。先頭を歩くヴァルの足取りは確かで、前しか見ていない。一方アサフは、リーリエの言葉に寄り添うように隣から尋ねた。
「リーリエは、ヴィルヘルム・キルヒナーという人物を知っておるか?」
その言葉に、帝国の軍人は目を丸くして答えた。
「当然ですよ……! 陛下のお兄様、ヴァールハイト殿下を暗殺したスパイですよね。ボーデン山脈事件の、犯人」
学校で習うような史実だ。この国の軍人で、ヴィルヘルムの名前を知らない者はいない。
彼によるヘルト王の兄殺害をきっかけに、帝国は復讐を掲げて領土拡大を開始したのだ。
リーリエにとっての常識を、口にした瞬間だった。
ザリ、と強く砂利を踏みつけるような音が前方から聞こえてきた。違和感を覚えた彼女はそちらを向くが、前にいるのはもちろんヴァル。
筋張った手が、強く強く握られている。
血管が浮き出た拳は、僅かに震えているようだ。
「……なるほどのぉ」
「え?」
アサフがしみじみと呟く。聞き返した彼女を見上げて、少年が口にしたのは衝撃の事実。
「ここは、そのヴィルヘルムの生まれ故郷なんじゃよ」
「……」
その言葉が胸に落ちるまで、数秒は使ってしまった。
「え!? ここが!?」
今日1番の大声が、リーリエの口から飛び出た。
歴史に名を残す大犯罪者の、出身地。
この荒れ模様は、それが原因のように思えてきていた。
◇
翌朝、まだ日が山肌に隠れている頃。
リーリエは1人、ランニングのために宿を出た。
街全体をぐるりと走る。まだ人の起きていない早朝は、街の荒れた様子を際立たせた。
軍事行動による破壊……には、見えない。
見当たらないのだ。爆発によるクレーターや、発火魔術による火炎放射の跡や、銃の痕跡が。
ならば、この街を破壊したのは……。
一つの仮説が頭をよぎり、リーリエは思わず足を止めた。
彼女の目の前にあるのは、最も激しい破壊行為をうけた建物。最早、本来何を営んでいたのかすら分からない。
その壁一面に、大きな文字が殴り書きされている。
——この家のガキが、この国を滅ぼした!
「……」
息を飲む。つまりここが、「大犯罪者」の生家……。
「あの」
「!? は、はい!」
突如声をかけられ、リーリエは飛び上がってしまった。
パッとそちらを向くと、そこに居たのは頬のコケた男性だ。
「帝国の……軍人さん、ですよね……?」
「はい、そうです。何かありましたか?」
弱々しく尋ねてきた彼へ、リーリエはハッキリと答える。
これほど生気が薄いということは、相当な緊急事態かもしれない。そう覚悟して、彼女はこっそりと深呼吸。
しかし発生した事案は、彼女の予測とはまるっきり違っていた。
すがるように、こちらの腕を掴む彼。そして悲痛な声で、男性は訴えた。
「妻は……妻は生きてるんでしょうか……!」
「……え?」
「とぼけないでください! 数週間前、あなた達軍人が無理やり連れて行ったでしょう!」
「……!?」
彼の言葉に、リーリエは頭を巡らせる。
知識人招集令以外に、軍が誰かを「連れて行く」理由など、彼女は知らない。
「……恐れ入りますが、貴方の奥様は教師や医者、研究者などのお仕事をされてらっしゃいますか?」
真偽の確認のために、彼女は問いかける。
それに対し、なんと男性は大きく頭を振った。
「違います!! 妻はただ、私と一緒に畑を耕していた農民です……!!」
「…………えっ」
農民の女性を、軍が連れて行った?
いったい、何のために。
思考が巡る。あらゆる可能性を算出し、適切な判断を下せるように。
リーリエは再び辺りを観察した。荒れ果てた街のなか、「軍」が女性を連れて行くとしたら、目的は……。
「お兄さん、詳しいお話をお聞きしたいです。私の泊まっている宿に、一緒に来てくださりませんか?」
「……え?」
「安心してください。駐屯地ではなく、民営の宿です」
声落とし、笑みを浮かべて彼女は告げる。
そんなリーリエを信じてくれたのか、青年はコクリと頷いてくれた。
そうして、彼に寄り添いながらリーリエは宿へと足を向ける。
自分1人ではなく、自分の知らないこの国を知っている2人の知恵を借りるために。
最も荒れた家屋の裏から、その様子を眺めるおじさんが1人。
灰色の髪を風になびかせる彼は、色褪せた指輪を撫でていた。



