灰になったおじさんーーグルートライヒ帝国譚ーー

 石や砂利でガタガタと揺られる荷台に乗って、えっちらおっちら山を登る。朝登り始めたのに、もう夕方だ。ボーデン山脈を越え終わる気配は、ない。

 ヴァルとアサフに出会った村をでて、早1週間。寄り道先へは、未だ到着の目処は立っていなかった。

「えっ!?アサフさんってヘルト陛下にお会いしたことあるんですか!?」

 そんな荷台の上で、「知獣」と名高いアサフとのお喋り。リーリエは満面の笑みで声を上げてしまった。

 彼女の様子を微笑ましく見守りながら、数千歳の少年は続ける。

「会ったと言うより、間近で見た、が正確じゃかなぁ。」
「それでも充分羨ましい……!年に1回の軍の総会で、遠目にちーっちゃくしかお目見えしたことないんですよ、私……!」
「ははぁ、帝国の兵隊でもそんなもんか」

 キラキラと目を輝かせるリーリエ。彼女はアサフの服を軽く引っ張りながら子供のようにおねだりをし始めた。

「ねえ! どんなでしたか、ヘルト陛下!」
「んー? そうじゃなぁ……」

 村の子供達を変わりない様子に破顔しつつ、少年は声を落とす。

「ひと言で例えるなら……苛烈な炎、かのぉ」
「ですよね!」
「……おぉ……」

 身を乗り出してきた彼女に、少々アサフは引いてしまう。だがリーリエはそれに気づかず、うっとりとため息を漏らした。

「あの渋みのなかに見える苛烈な炎のような勇ましさ……!まさに英雄王!帝国建国の父!お歳を召されているからこそのカッコ良さ!」

 熱く語る彼女の言葉に、少年はふむ……と相槌を打つ。そして、首を傾げながら少女へ問うた。

「リーリエは、おじさんが好きなのか?」
「違います! ヘルト陛下がかっこいいから好きなんです!そこら辺のおじさんには興味ありません!」
「はっは、そうかそうか」

 笑いながら、チラリと奥で寝転ぶヴァルを見るアサフ。物言いたげな視線がリーリエに戻って来たが、彼女は勢いよく首を振った。
 ヴァルは親しみやすいが、到底ヘルト陛下のような「イケおじ」とは違う。彼女にとっては、そんな印象だった。

「ねえ、アサフさんが陛下のお姿を拝見したのは、いつのことなんですか?」

 話を逸らすように、彼女からも質問を返す。すると少年は顎に手をあて、何かを思い出すように夕焼けを見上げた。

「あの森が奴に占拠された時じゃったから……数字じゃと何年前じゃ?」

 独り言のような疑問に即座に答えたのは、後方から聞こえた低い声だった。
 
「20年前だよ」
「おぉ、そうじゃった。ありがとのぉヴァル」

 しれっとアサフは礼を言う。だがリーリエはぎょっとして振り返ってしまった。
 てっきり、ヴァルは寝ているものだと思っていたのに。
 姿を見ても、彼は相変わらずこちらに背を向けて横になっている。影のかかる髪は、まるで本当に灰が散っているようにも見えた。

 それにしても、まさか帝国拡大の年表を即答できるとは。さすがは、村の教師。

 感心しつつ、リーリエは隣に座るアサフへ視線を戻す。彼は微かに笑みを浮かべたまま目を閉じ、小さく頷いている。

「懐かしいのお。あの時は、森が兵隊から守ってくれていたというのに、奴の炎が容赦なく木々を燃やして大変じゃった」
「……陛下の、魔法で?」
「そうじゃ。まあ、当時滅多に戦場にまで直接現れはしなかった、王本人に出向かわせたと思うと、わしらもなかなか健闘したじゃろう」
「……」

 緩やかな弧を描く口元は、果たしてどのような思い故なのだろうか。読み取れないまま、彼女は歴史の目撃者の語りに耳を傾ける。

「森は焼かれたが、人々は多少の怪我で済んだ。余計な人死にを出さなかったことは、両国共に英断だったといえよう」
「……当時のアサフィーナ朝と、グルート王国、ですか?」
「左様。あの頃、ヘルト率いるグルート軍は、まさに破竹の勢いじゃった。だから、軍事力の弱いわしらは森による抵抗のみに絞ったんじゃ。それを突破されれば、降伏も同然。こちらの態度を受け入れたかの王は、賢いのぉ」
「へぇ……!」

 教科書にはたった数行で終わっている亡国の併合。その実態を直接聞けることは、とても貴重なことに感じた。
 軍に属していても、実際に従軍した先輩達の話は戦記的な武勇伝に偏りがちだ。

 くく、と語るアサフもおかしそうに肩を震わせる。

「それにしても、目当ての知獣が奴の前には居ないと分かった時の顔よ。あれは気分がよかったのぉ」
「……?」

 その言葉に、リーリエの表情は固まってしまった。

 知獣とは、アサフのことではないのか。当時のヘルト陛下の目当ては、アサフだったというのか。
 なぜ。そんな疑問と共に思い返すのは、「あり得ない」と切り捨てたはずの一つの可能性。

「……あの、アサフさん」
「なんじゃ?」

 ニコニコと、楽しそうに白髪の少年がこちらを見つめてくる。
 バクバクと嫌な音を鳴らす心臓のまま、リーリエは突拍子もないあの「もしかして」を口にしてしまう。

「……行方不明のままの、アサフィーナ朝の宗主って……、もしかして……」
「……ほう」

 呟かれたのは、たったそれだけ。ガタガタと言う車輪の音が煩い。それしか聞こえないような緊張感。

 変わらず笑うアサフが、ゆっくりと口を開いた時。

「……ぶえっくしょい」
「!?」

 大きなくしゃみは、荷台奥でゴロゴロしているヴァルのものだった。

「えー……?」

 これには、リーリエもドン引きだ。空気を読まないおじさんにも程があるのではないか。
 
 一方、アサフは辺りの景色を見渡す。そして何でもないことのように話し始めた。

「そろそろ炭鉱の街に着くじゃろう。のおヴァル。山越えはあと1日ほどじゃったよなぁ?」

 その声に、ヴァルはヒラヒラと手を振りながら答えた。

「そーだよー」
「うむ!」

 彼の気の抜けた言葉にアサフは頷く。そして、リーリエへ向き直って告げた。

「待たせたのぉ、もう1日の辛抱じゃ。寄り道先に明日ついたら、一泊だけさせておくれ。そしたら、首都へ向かおう」
「あ、はい。分かりました」

 急に見え始めた旅の道筋。ホッとしたいところだったが、不安の方がむしろ大きくなってしまった。

 本当にアサフィーナ朝の宗主がアサフだとしたら、武器職人の街になんて寄って何をするつもりなのだろう。
 本当に、彼を首都へお連れして大丈夫なのだろうか。
 
 水壺を使った通信機能の水魔術は、軍の専門部署行かなければ使えない。
 上司の指示を仰げるのも、早くて明日。
 
 夕日に雲がかかる。綺麗だが影の濃い空模様は、リーリエの心情そのものだった。