灰になったおじさんーーグルートライヒ帝国譚ーー

 翌朝。日の出より早く目が覚めるのは、もう軍人の性だろう。
 起き上がったリーリエは窓を開けてみる。朝の冷たい空気に肌がキュッとなる感覚。雨は、無事に止んでいた。

 一度窓を閉め、身支度を整える。ゆっくり寝られたおかげで、寄り道つきの旅路も乗り越えられそうだった。

(山道だし、ランニングなら多少の訓練になるかな。)

 そんなことを考えながら、軍服の袖に腕を通す。基地ではない朝は、少し寂しい。身体を動かす量が減るし、陛下のご尊顔も拝めない。
 ベルトとネクタイを締め、手袋を装着。そして髪と顔を整えていく。

 自然と口をついたのは、国歌だった。

「燃える篝火〜は消えはしな〜い、我らの情熱ぅ……。全ての民族よ共に、例外はー……ありはしない」

 鏡に映った「軍人」の姿。リーリエはやはり、背筋が伸びた。
 歌い終えると同時に、身支度も完了。仕上げに、彼女は首都の方角を確認し、そちらを向いた。

「……」

 敬礼を、1つ。この任務中に身についた、彼女なりの簡易版朝礼の完了だ。
 
 そしてリーリエは、先生方を起こさないようにそうっと、階段を下る。

 ランニングのために外へ。その瞬間、彼女が目にしたのはまるで1枚の絵画のような光景だった。

 開けた草むらに佇むのは、ヴァルだ。彼の背後から朝日が差し、灰色の髪がまるで銀のように輝いている。
 年齢を感じさせない、伸びた背筋。長いまつげが閉じられた瞼の上で揺れる。そして握られた手で輝く指輪に、唇がわずかに触れた。

「……」

 何か、呟いている。風に揺れる木々に遮られ、その祝詞は聞こえない。
 ヴァルが目を開くのと同時に、彼の手も開かれる。赤い瞳が見つめる空。……広がるそれが繋がる先は、首都だ。
 
 朝露を含む冷たい空気の波にのり、彼の手のひらから何かが舞う。リンベルクへ向けて散った……灰。

「……ヴァル、さん……?」

 ポツリ、と呟いたリーリエの声は、眼の前にいる絵画のモデルのようなおじさんにも届いていた。
 肩を擽る髪を揺らして、彼が振り返る。シワの寄った肌に、赤い目。その姿に、リーリエはなぜか既視感を覚えた。

(……ヘルト陛下に、似てる……?)

 けれどその感覚は、ヴァルがくしゃりと笑ったのを見て霧散した。

「やあ、おはよおーリーリエちゃん。早いんだねえ、兵隊さんは」

 のんびり。それがしっくりくる声音。まさに田舎のおじさんだ。

「……おはようございます、ヴァルさん」

 似てると思ったのは、グルート人特有の赤い目のせいだろう。王族と、村の教師が似ているはずがない。

「私、朝食前にランニングしてきますね」
「うん、わかったよお。いってらっしゃい、リーリエちゃん」

 リーリエはそう伝えると、気の迷いを振り切るように走り出したのだった。



 朝食も戸締りも終えて、さあ出発。と、いきたいのは彼等を連れて行きたいリーリエくらいだ。

「ヴァル先生行っちゃやだーー!!」
「アサフ先生がいなかったら、うちの嫁は誰から薬を貰えばいいんだ!!」

 2人の出立に気づいた子供たちや村人たちに寄る包囲網。これを突破せねば、ここを出ることすら叶わない。だが、果たして突破口などあるのだろうか。

 涙をいっぱいに溜めた子供達がアサフとヴァルの服を握って離さない。村の大人たちは皆、顔を曇らせている。リーリエを睨んでくる者さえ居るほどだ。

「そう大騒ぎするでない。わしがここに籠り始めた頃とは、帝国も様変わりしていよう。リーリエが相応しい軍人を手配してくれるさ。」

 だが、アサフがしたのは随分と気楽な返事だ。もちろん、それで村の人たちが絆されてくれる訳もない。
 終わりの見えないやりとりに、リーリエは小さくため息をついた。

(私に教育推進部隊派遣の権限ないから、あんまり期待させるようなこと言わないでほしいなあ……)

 彼女のそんな本音は誰も知らない。一介の軍人にできることなど、たかが知れてるのだった。



 結局、予定の時間より数時間遅れて山を下り始めていた。このうえ寄り道を挟むとなれば、いったい首都に着くのはいつになることやら。

「はあ……」

 先が思いやられる旅に、リーリエの口から思わずため息が漏れる。彼女の頭に浮かぶのは、ヘルト陛下のことだった。

 たった20年で、小国だったグルート王国を帝国に広げられた英雄王。いまの豊かな生活は陛下のおかげだと、彼女の両親も常々言っていた。

 帝国軍元帥たる堂々たるお姿。燃える赤い髪は、まさに国民を導く炎だ。
 その火がもし、本当に病によってかき消そうになっているのだとしたら。
 自分のような若人ができるのは、名医を早く陛下の元へお連れすることだけだ。

 噂の真偽はわからない。けれど確かに、ここ数ヶ月ほど陛下のお姿を垣間見たという話をめっきり聞かなくなった。

 気持ちだけがはやる。少ないヒントから「知獣」を探すのさえ時間がかかってしまったのに、これ以上陛下をお待たせしなくてはならないなんて。

「リーリエちゃん?」
「えっ」

 ヴァルの声に、ハッと我に返った。前方を進む2人へ視線を向ければ、太陽の光とキラキラとした彼らの髪が風がそよそよと揺らしている。青空を遮る鬱蒼としていた森はなく、ひらけた土地にでているではないか。もう、整備された街道がすぐそこだ。
 いつのまに森を抜けたのだろう。行く時はあんなに迷ったほど複雑だったのに。

「ンフフ……。リーリエ、もしやお主、あっけなく山を下りれたことに驚いておるな?」
「え……!?」

 彼女のの思っていることをズバリ言い当てたのは、アサフだ。ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべながら、彼は歌うように告げた。

「このわしが共に行動しているのだ。森が道を開けるのは当然だろう?」
「……ええ……?」

 リーリエは首を傾げざるをえない。昨日から続くこの謎発言。本当に、森を彼が操ってるみたいだ。

 確かに、王族といった選ばれた一部の人は魔法を使うことができる。ヘルト陛下の「火を起こす魔法」の凄まじい火力は軍の中で有名だ。
 アサフも、陛下のように魔法を使うことができるのだろうか。

 (そういえば、この辺りは元々アサフィーナ朝っていう宗教国家だったっけ……?)

 リーリエの頭にふと浮かんだ、この土地の歴史。ありえない、と否定する気持ちもありながら、とんでもない仮説が組み立っていく、
 目の前にいる少年は、神話の時代から生きている、らしい。もしも彼が亡国の宗主だとしたら、森を操れたとしても、辻褄があってしまう。

 現に、帝国に併合された国々の権力者のうち、行方不明なのはアサフィーナ朝の宗主のみ……。

 (いやいや、まさかそんな……)

 作り笑顔が引き攣りそうになる。とんでもない任務を自分は引き受けてしまっているのではないか。そんな突拍子もない嫌な予感に、背筋が寒くなった。

「さあリーリエ!さっさと用事を済ませてしまおう。寄り道先はこっちじゃよ」

 彼女の嫌な予感はもちろん、おじさん達には伝わらない。
 意気揚々と乗せてくれる馬車を探し始めたアサフと、「よっこいしょ」と荷物を担ぎ直すヴァル。

 どう見ても人畜無害な2人組だ。アサフの不穏な発言の数々さえ、なければ。

「……この先の街に、軍の基地がありますよ。そこまで行けば、輸送の馬車に乗せてもらえますよ」
「おぉ! それはいいのぉ!」

 リーリエの提案に、顔が明るくなるアサフ。ヴァルも異論はないらしい。

 (……考えすぎだよ……ね?うん)

 彼女はそう、自分に言い聞かせる。そもそも、もしアサフが亡国の権力者だとしたら、こんなにすんなり帝国の法律に従う訳がない。軍の基地に馬車を借りるなど、反対するだろう。

 こうして、3人の旅路は始まった。最初に向かうのは、ボーデン山脈のすぐそば。
 帝国きっての、武器職人たちの街だった。