夕食は、チキンステーキと煮豆のスープだった。素朴な味に、温かさが染み渡る。なんだが実家の食事のような気分だ。
「首都は……いま、どんな感じなんだい?」
綺麗な所作で肉を切り分けながら、ヴァルが尋ねる。
リスのように頬張っていたステーキを飲み込んで、リーリエは故郷を語った。
「華やかで綺麗ですよ! 王宮前の庭園では、学校帰りの子供たちが駆け回ってるし、どのレストランも毎日のように味自慢をしていて!」
「あぁ……お昼時や夕食時には、色んなところから美味しそうな香りがするよねえ」
「そうなんです! 訓練後なんか、漂って来るその匂いだけでお腹鳴っちゃうんですよぉ」
昔を懐かしむように、ヴァルの目が細められる。首都、リンベルクをよく知っている顔だ。
「ヴァルさんは、首都にお住まいだったんですか?」
スープを一口飲んで、リーリエは尋ねる。するとゆっくりと、彼は頷いた。
「もう……25年くらい、前になるけどねえ……」
「じゃあ、まだグルート王国だった頃?」
「うん」
「へえ……!!」
その言葉に、リーリエは目を丸くした。目の前のおじさんには、両親とは違う「歴史の生き証人」と言うにふさわしい貫禄を感じてしまった。
「ヴァルさんがいた頃は、首都はどんな感じだったんですか? 父さんは、帝国になってから本屋が増えた、ってよく言ってますけど……」
音を立てずに、丁寧にスープを飲むヴァル。「あの頃は……」と呟く彼の視線が、自然と手元へ落ちていく。
「もっと、素朴な街だったかなあ……。もちろん、王宮はあるから、他の街に比べれば華やかだったけれど」
「素朴な街……」
「うん」
オウム返しをした時、リーリエは気づいてしまった。ヴァルの視線の先に、あるものに。
色褪せた指輪だ。特に装飾のない……いや、彫られていた装飾が目立たなくなるほど摩耗してしまった、銀の輪っか。
「仕事の合間に……街歩きをするのは、楽しかったかなぁ……」
「……そう、なんですね……」
インクで黒ずんだ彼の指が、その銀色を撫でる。リーリエはただ、返事をすることしかできなかった。
ボーデン山脈事件が起こったのは、ヴァルが首都にいた頃のはずだ。これをきっかけに、この国は王国から帝国へ変革していったという。
ヴァルが首都を離れたのは、戦争のためだろうか。
指輪の相手は、無事だったのだろうか。
外はいつの間にか雨が降っていた。サラサラと夜闇のなかに落ちる雨音は、誰かの深い泣き声のようだった。
「……ところでリーリエ」
コトン、と目の前に差し出されたコップ。それ似伴い視線を上げれば、アサフがニコニコと笑っていた。
「わしらに何か用があってここに来たんじゃろ? 腹も膨れたことだし、そろそろ教えてくれんか。」
そう言いながら、ヴァルにもお茶を渡す。彼も自分のコップを手に、本の中に埋もれそうな椅子へ腰掛けた。
「あー……はいぃ……」
さてどうしようか。
リーリエは顔が引きつる。まさか本人たちを前に、こんなに令状が出し辛いだなんて。首都を出発した頃は、思ってもいなかった。
とはいえ、出さない訳にもいかない。彼等と共にリンベルクへ戻ることが、帝国の、そして本当に病に伏しているかもしれない陛下の為になるのだから。
わざとらしいくらいの勢いで、深呼吸をする。
そうして怖いくらいの緊張をどうにか飲み込んで、彼女は鞄から1枚の令状を取り出した。
そっと、アサフとヴァルに見えるようにそれを置く。
デカデカと書かれているのは、「知識人招集令」の硬い文字。
「アサフさん。……それから、教師なのであれば、ヴァルさんも。」
背筋を伸ばし、彼女は二人を見つめる。膝の上でギュッと手を握りしめて、彼女は声を張った。
「私と共に、首都へ来てください。帝国法により定められた、知識人であるお二人への義務です。」
軍人として、告げる。しかし脳裏には、村の子供たちの姿が嫌が応にもチラついた。
これは連行ではない。彼等が王立学術院で一定以上の成績を収めれば、ここへ戻ってこれる。ヴァルが教員免許を取得して私立校の申請をすれば、もっとしっかりした設備の下で勉強できる。
誰に当てるでもない正当化を、リーリエは心の内でまくし立てる。
「ふむ。どれどれ?」
まるでその日の新聞を眺めるような軽さで、アサフが令状を手に取った。
内容を吟味する彼の横から、眼鏡をかけ直してヴァルが覗き込む。
「字が細かいなぁ……」
老眼だろうか。ヴァルの呟きは、毎度のごとく緊張感がない。
一方、アサフから聞こえてきた言葉は、耳を疑うものだった。
「……漸く、か」
「……?」
弧を描く、少年の口元。金色の目はギラリと輝いている。
ピシャン、と雷が落ちる。雷鳴に照らされた彼の白髪が、怪しく光っていた。
「うむ、法律違反はできんからな。行くとするか。」
「……え?」
外はまだ大雨だ。けれど雷が消えた時、アサフの顔は明るく無邪気な子どもの様相に戻っていた。
それにしても、なんと呆気ない承諾だろう……。
「なんじゃ? 呆けた顔をして。このわしに来てほしいのはお前じゃろ?リーリエ。」
「あ、は、はい……。そうですけど……」
「んっくく、もしや、わしが抵抗すると思っておったな?」
「えっと……」
肩を震わせるアサフ。いたずらが成功したことを喜ぶ子どものようだ。
彼は頬を上気させ、声のトーンを上げた彼がはしゃぐ。
「王立学術院と言えば、この帝国の叡智が集まるところじゃろう? それはつまり、この大陸イチの知識の集合と言えよう!! むしろなぜこのわしが呼ばれるのが今なんじゃ! 漸くか!! 待ちくたびれたぞ!!」
目がキラキラしている。眩しいくらいの大興奮ではないか。
(漸くって、そういう……?)
拍子抜けにも程がある。自然と肩の力が抜けていくリーリエに、ヴァルがちょいちょいと手招きをしてきた。
「いやぁ、びっくりさせてごめんね? リーリエちゃん。このおじいちゃん、最新技術とか研究とか、目がなくってさあ……」
そんなコソコソ話。遠足前の子供を横目に、リーリエはヴァルへ聞き返した。
「おじいちゃんって……。アサフさんって、おいくつなんですか?」
「さあ? 僕も正確な年齢は知らないけど……。神話の時代から、って、前に言ってたかなぁ」
「……はい??」
それはいったい、どういうことだろう。
本当に何千年単位で生きているというのか。この子供が?
そもそも神話とは物語であって、史実とは異なるのではないのか?
リーリエは頭痛がしてきてしまった。本当に、この村に着いてからの情報量が多すぎる。
こんなに常識が崩れるだなんて、聞いてない。
「おぉ、そうだリーリエよ。」
「はい……?」
楽しげな声に、どうにか顔を上げる。相変わらず満面の笑みを浮かべて、アサフは口を開いた。
「首都に行く前に、1カ所寄り道をさせてくれ。なあに、逃げはせん。」
「……」
一刻も早く、知獣を首都へ。病床との噂があるヘルト陛下を思えば、寄り道なんてしていられない。直行でリンベルクへ向かっても、馬車で1週間はかかるのに。
目の前には、謎にドヤ顔をしている見た目は子供の推定数千歳の「知獣」。
この不思議だらけな少年おじさんを説き伏せるのに必要な労力、とは。
反論を言いかける口。だが、声になったのは別の言葉だった。
「……わかり、ました……」
身体も心も振り回されきったリーリエに、この老獪に立ち向かう余力は残されていなかった。
大雨は未だ止まない。明るい室内に対して夜空の号泣が不穏だったことを、リーリエは数年後も覚えているのだった。
「首都は……いま、どんな感じなんだい?」
綺麗な所作で肉を切り分けながら、ヴァルが尋ねる。
リスのように頬張っていたステーキを飲み込んで、リーリエは故郷を語った。
「華やかで綺麗ですよ! 王宮前の庭園では、学校帰りの子供たちが駆け回ってるし、どのレストランも毎日のように味自慢をしていて!」
「あぁ……お昼時や夕食時には、色んなところから美味しそうな香りがするよねえ」
「そうなんです! 訓練後なんか、漂って来るその匂いだけでお腹鳴っちゃうんですよぉ」
昔を懐かしむように、ヴァルの目が細められる。首都、リンベルクをよく知っている顔だ。
「ヴァルさんは、首都にお住まいだったんですか?」
スープを一口飲んで、リーリエは尋ねる。するとゆっくりと、彼は頷いた。
「もう……25年くらい、前になるけどねえ……」
「じゃあ、まだグルート王国だった頃?」
「うん」
「へえ……!!」
その言葉に、リーリエは目を丸くした。目の前のおじさんには、両親とは違う「歴史の生き証人」と言うにふさわしい貫禄を感じてしまった。
「ヴァルさんがいた頃は、首都はどんな感じだったんですか? 父さんは、帝国になってから本屋が増えた、ってよく言ってますけど……」
音を立てずに、丁寧にスープを飲むヴァル。「あの頃は……」と呟く彼の視線が、自然と手元へ落ちていく。
「もっと、素朴な街だったかなあ……。もちろん、王宮はあるから、他の街に比べれば華やかだったけれど」
「素朴な街……」
「うん」
オウム返しをした時、リーリエは気づいてしまった。ヴァルの視線の先に、あるものに。
色褪せた指輪だ。特に装飾のない……いや、彫られていた装飾が目立たなくなるほど摩耗してしまった、銀の輪っか。
「仕事の合間に……街歩きをするのは、楽しかったかなぁ……」
「……そう、なんですね……」
インクで黒ずんだ彼の指が、その銀色を撫でる。リーリエはただ、返事をすることしかできなかった。
ボーデン山脈事件が起こったのは、ヴァルが首都にいた頃のはずだ。これをきっかけに、この国は王国から帝国へ変革していったという。
ヴァルが首都を離れたのは、戦争のためだろうか。
指輪の相手は、無事だったのだろうか。
外はいつの間にか雨が降っていた。サラサラと夜闇のなかに落ちる雨音は、誰かの深い泣き声のようだった。
「……ところでリーリエ」
コトン、と目の前に差し出されたコップ。それ似伴い視線を上げれば、アサフがニコニコと笑っていた。
「わしらに何か用があってここに来たんじゃろ? 腹も膨れたことだし、そろそろ教えてくれんか。」
そう言いながら、ヴァルにもお茶を渡す。彼も自分のコップを手に、本の中に埋もれそうな椅子へ腰掛けた。
「あー……はいぃ……」
さてどうしようか。
リーリエは顔が引きつる。まさか本人たちを前に、こんなに令状が出し辛いだなんて。首都を出発した頃は、思ってもいなかった。
とはいえ、出さない訳にもいかない。彼等と共にリンベルクへ戻ることが、帝国の、そして本当に病に伏しているかもしれない陛下の為になるのだから。
わざとらしいくらいの勢いで、深呼吸をする。
そうして怖いくらいの緊張をどうにか飲み込んで、彼女は鞄から1枚の令状を取り出した。
そっと、アサフとヴァルに見えるようにそれを置く。
デカデカと書かれているのは、「知識人招集令」の硬い文字。
「アサフさん。……それから、教師なのであれば、ヴァルさんも。」
背筋を伸ばし、彼女は二人を見つめる。膝の上でギュッと手を握りしめて、彼女は声を張った。
「私と共に、首都へ来てください。帝国法により定められた、知識人であるお二人への義務です。」
軍人として、告げる。しかし脳裏には、村の子供たちの姿が嫌が応にもチラついた。
これは連行ではない。彼等が王立学術院で一定以上の成績を収めれば、ここへ戻ってこれる。ヴァルが教員免許を取得して私立校の申請をすれば、もっとしっかりした設備の下で勉強できる。
誰に当てるでもない正当化を、リーリエは心の内でまくし立てる。
「ふむ。どれどれ?」
まるでその日の新聞を眺めるような軽さで、アサフが令状を手に取った。
内容を吟味する彼の横から、眼鏡をかけ直してヴァルが覗き込む。
「字が細かいなぁ……」
老眼だろうか。ヴァルの呟きは、毎度のごとく緊張感がない。
一方、アサフから聞こえてきた言葉は、耳を疑うものだった。
「……漸く、か」
「……?」
弧を描く、少年の口元。金色の目はギラリと輝いている。
ピシャン、と雷が落ちる。雷鳴に照らされた彼の白髪が、怪しく光っていた。
「うむ、法律違反はできんからな。行くとするか。」
「……え?」
外はまだ大雨だ。けれど雷が消えた時、アサフの顔は明るく無邪気な子どもの様相に戻っていた。
それにしても、なんと呆気ない承諾だろう……。
「なんじゃ? 呆けた顔をして。このわしに来てほしいのはお前じゃろ?リーリエ。」
「あ、は、はい……。そうですけど……」
「んっくく、もしや、わしが抵抗すると思っておったな?」
「えっと……」
肩を震わせるアサフ。いたずらが成功したことを喜ぶ子どものようだ。
彼は頬を上気させ、声のトーンを上げた彼がはしゃぐ。
「王立学術院と言えば、この帝国の叡智が集まるところじゃろう? それはつまり、この大陸イチの知識の集合と言えよう!! むしろなぜこのわしが呼ばれるのが今なんじゃ! 漸くか!! 待ちくたびれたぞ!!」
目がキラキラしている。眩しいくらいの大興奮ではないか。
(漸くって、そういう……?)
拍子抜けにも程がある。自然と肩の力が抜けていくリーリエに、ヴァルがちょいちょいと手招きをしてきた。
「いやぁ、びっくりさせてごめんね? リーリエちゃん。このおじいちゃん、最新技術とか研究とか、目がなくってさあ……」
そんなコソコソ話。遠足前の子供を横目に、リーリエはヴァルへ聞き返した。
「おじいちゃんって……。アサフさんって、おいくつなんですか?」
「さあ? 僕も正確な年齢は知らないけど……。神話の時代から、って、前に言ってたかなぁ」
「……はい??」
それはいったい、どういうことだろう。
本当に何千年単位で生きているというのか。この子供が?
そもそも神話とは物語であって、史実とは異なるのではないのか?
リーリエは頭痛がしてきてしまった。本当に、この村に着いてからの情報量が多すぎる。
こんなに常識が崩れるだなんて、聞いてない。
「おぉ、そうだリーリエよ。」
「はい……?」
楽しげな声に、どうにか顔を上げる。相変わらず満面の笑みを浮かべて、アサフは口を開いた。
「首都に行く前に、1カ所寄り道をさせてくれ。なあに、逃げはせん。」
「……」
一刻も早く、知獣を首都へ。病床との噂があるヘルト陛下を思えば、寄り道なんてしていられない。直行でリンベルクへ向かっても、馬車で1週間はかかるのに。
目の前には、謎にドヤ顔をしている見た目は子供の推定数千歳の「知獣」。
この不思議だらけな少年おじさんを説き伏せるのに必要な労力、とは。
反論を言いかける口。だが、声になったのは別の言葉だった。
「……わかり、ました……」
身体も心も振り回されきったリーリエに、この老獪に立ち向かう余力は残されていなかった。
大雨は未だ止まない。明るい室内に対して夜空の号泣が不穏だったことを、リーリエは数年後も覚えているのだった。



