その村につくなり、おじさんを取り囲んだのは子供たちだった。
「ヴァル先生ー!どこ行ってたの?」
「問題解かせておいて、先生がどっか行くなよな!」
原っぱに放りだされたノートたち。木と木の間に設置されているのは、誰かの手作りの黒板だ。
「いやあ、ごめんごめん。美味しそうな鳥が飛んでいったのが見えちゃって。ちょっと狩ってきたから、許してよ。ね?」
そう言いながら籠を下ろすヴァル。そこを覗き込んで、子供たちはきゃあきゃあと跳ね回っていた。
そんな光景に、リーリエは首を傾げる。まさか、軍服を着ていない教師が帝国内にいるなんて。私立のお金持ち校でもあるまいに。
「……お姉ちゃん、グルートの人?」
そこに聞こえた女の子の声。ハッとして視線を向ければ、ヴァルを囲む子供たちがジッとこちらを見つめていた。
まるで、先生をリーリエから守っているみたいだ。
「……う、うん。はじめまして。おじゃまします。」
努めて優しく、10個は年下であろう少女へ挨拶をする。しかし返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「ヴァル先生とアサフ先生のこと、連れて行きに来たの?」
「っ……」
冷たく、刺すような声音。
返事の代わりに、リーリエは令状の入った鞄をもう一度強く握りしめてしまった。
子供は聡い。彼女の様子に何か察した彼らは、口々に声を上げ始めるではないか。
「何でこの村に来れたんだよ!森が守ってくれてるのに!」
「お願いです、帰ってください!ヴァル先生たち連れて行かないで!」
「父ちゃんが言ってたぞ!帝国が頭良い人みんな連れてったせいで、隠れて暮らさないと母ちゃんの病気治せないって!!」
これが、ゲリラの正体なのか。重くのしかかる罵倒に、リーリエの心に暗雲がかかる。
赤い百合の花が花壇に咲いていた麓の街とは、大違いだ。
この1ヶ月、リーリエが差し出す令状に渋い顔をされるのは何度もあった。けれど誰もが、ヘルト陛下による恩恵には納得していたのだ。軍営の医療機関に、公立の学校。だから、その土地に古くからいる人であっても、こんな直接的な言葉はなかったのに。
どう、答えるべきか。鞄の重みに身体が耐えきれなくなりそうな、その時。
張り詰めた空気を一気に緩めたのは、ヴァルのひと言だった。
「こらこらあ。僕のお友達をいじめないでやってー?」
そんなのんき極まりない声に、リーリエだけではなく子供たちも目が点だ。
「……友達?ヴァル先生の?」
「そー。」
カァー、とカラスの鳴くのが聞こえてくる。困惑の漂う静けさ。
だが子供たちは、ドッと笑い出したのだ。
「先に言えよ!!」
「ヴァル先生ぇーー!!びっくりしたじゃーーん!!」
「お姉ちゃん、ごめんなさい……」
おじさんの腰を容赦なく叩き、服を引っ張る。謝ってくれた女の子に、リーリエも笑って返事をすることができた。
「リーリエちゃん。悪いけどこの籠、アサフに持ってってくれない?彼が捌けるから。」
「は、はあ……」
指さされた籠を受け取る。ヴァルは授業の続きをしろと、子供たちに引っ張られて行ってしまった。
彼等が教えてくれた砂利道を、リーリエは戸惑いながら進むのだった。
◇
夕焼け空に照らされた、木造2階建て。ちょうどそこから出てきた村人が、扉の向こうに気さくに手を振っている。その指に白い包帯が巻かれているのを、リーリエは見逃さなかった。
ここがアサフという先生の家なのだろう。恐らく、医者だ。「知獣」と呼ばれているはずの。
深呼吸をして、籠を抱え直す。
子供たちのような反発を覚悟しながら、彼女は扉をノックした。
「入っていいよー!」
「……!?」
聞こえてきたのは、どう考えても子供の声だ。10歳かそこらだろうか。声変わり前の男の子のようだ。
アサフ医師の息子だろうか。
「こんにちはー……」
声をかけながら、扉を開く。そこに広がる光景に、リーリエは目を見開いた。
本だ。壁一面に天井まで埋め尽くす本棚にぎっしりと背表紙が並んでいる。扉のすぐ眼の前にも、平積みされた本が山を作っているではないか。
「おやー?初めて聞く声だ!」
その本の海からひょっこりと、少年が顔を覗かせてきた。日の光が遮られた薄暗い室内に、彼の真っ白な髪が映える。
くりくりとした金色の目が、リーリエを捕らえた。
「初めまして!わしがこの村の医師、アサフじゃ!」
「……ええ!?!」
聞き間違いか?そう思うのも無理はない。先程ヴァルを囲んでいた子供たちと差のない少年が、医師だと言う。いったい誰が信じられるだろうか。
だが、可笑しそうにクスクスと笑う少年。揺れる肩に合わせて、欠けた円を象った木彫りのペンダントがカラカラと跳ねた。
「よいよい!初めての人間は皆そういう顔をする!だからこの見た目は気に入ってるんだ!」
「……??」
この数十分だけで、情報量が多すぎる。困惑するリーリエをみかねたのか、アサフが本の海に消えた。そして軽快な足音が回り道をしてかたかと思えば、彼はこちらへ駆けてきていた。
リーリエの腹の位置に、アサフの顔がある。紛うことなき少年だ。ふわふわとした白い髪と長い襟足で、もはや小動物にも見えてくる。
足元を引きずる大きな白衣をドレスのように摘み、優雅な礼を1つ。そして彼は、話しだした。
「人はわしのことを、薬蛇だとか、白眸だとか呼んでおる。賢王の治世に現れ、この世の知識を全て授ける……なんて言われたこともあったのう。ずっとこの森にいるのに、おかしなもんじゃ。ははは」
言われてることの半分も理解できない。だが、とにかくコレだけは確かめなければと、リーリエはおずおずと口を開いた。
「……知獣……?」
「うむ、わしだな!」
あっけらかんと肯定されてしまった。探し人には会えたのに、頭痛の種が増えた気がするのはなぜだろう。
「やや!ヴァルの奴めー!大物仕留めおったな!!」
籠の中を覗き込み、今日はご馳走だと歌い出すアサフ。
そんなところへ、「ただいまぁ」と気の抜けそうな声が玄関を開ける。もちろん、ヴァルだ。
すっかり日は暮れている。もちろん、リーリエは彼等の家に泊まるしかない。
夕食の支度を手伝いながら、彼女は全く作業に集中できなかった。
鞄の中にある、知識人招集令に基づく令状。ゆるゆるおじさんと不思議な少年にそれを突きつけなければいけないのだ。
胃がキリキリと痛んで、仕方なかった。
「ヴァル先生ー!どこ行ってたの?」
「問題解かせておいて、先生がどっか行くなよな!」
原っぱに放りだされたノートたち。木と木の間に設置されているのは、誰かの手作りの黒板だ。
「いやあ、ごめんごめん。美味しそうな鳥が飛んでいったのが見えちゃって。ちょっと狩ってきたから、許してよ。ね?」
そう言いながら籠を下ろすヴァル。そこを覗き込んで、子供たちはきゃあきゃあと跳ね回っていた。
そんな光景に、リーリエは首を傾げる。まさか、軍服を着ていない教師が帝国内にいるなんて。私立のお金持ち校でもあるまいに。
「……お姉ちゃん、グルートの人?」
そこに聞こえた女の子の声。ハッとして視線を向ければ、ヴァルを囲む子供たちがジッとこちらを見つめていた。
まるで、先生をリーリエから守っているみたいだ。
「……う、うん。はじめまして。おじゃまします。」
努めて優しく、10個は年下であろう少女へ挨拶をする。しかし返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「ヴァル先生とアサフ先生のこと、連れて行きに来たの?」
「っ……」
冷たく、刺すような声音。
返事の代わりに、リーリエは令状の入った鞄をもう一度強く握りしめてしまった。
子供は聡い。彼女の様子に何か察した彼らは、口々に声を上げ始めるではないか。
「何でこの村に来れたんだよ!森が守ってくれてるのに!」
「お願いです、帰ってください!ヴァル先生たち連れて行かないで!」
「父ちゃんが言ってたぞ!帝国が頭良い人みんな連れてったせいで、隠れて暮らさないと母ちゃんの病気治せないって!!」
これが、ゲリラの正体なのか。重くのしかかる罵倒に、リーリエの心に暗雲がかかる。
赤い百合の花が花壇に咲いていた麓の街とは、大違いだ。
この1ヶ月、リーリエが差し出す令状に渋い顔をされるのは何度もあった。けれど誰もが、ヘルト陛下による恩恵には納得していたのだ。軍営の医療機関に、公立の学校。だから、その土地に古くからいる人であっても、こんな直接的な言葉はなかったのに。
どう、答えるべきか。鞄の重みに身体が耐えきれなくなりそうな、その時。
張り詰めた空気を一気に緩めたのは、ヴァルのひと言だった。
「こらこらあ。僕のお友達をいじめないでやってー?」
そんなのんき極まりない声に、リーリエだけではなく子供たちも目が点だ。
「……友達?ヴァル先生の?」
「そー。」
カァー、とカラスの鳴くのが聞こえてくる。困惑の漂う静けさ。
だが子供たちは、ドッと笑い出したのだ。
「先に言えよ!!」
「ヴァル先生ぇーー!!びっくりしたじゃーーん!!」
「お姉ちゃん、ごめんなさい……」
おじさんの腰を容赦なく叩き、服を引っ張る。謝ってくれた女の子に、リーリエも笑って返事をすることができた。
「リーリエちゃん。悪いけどこの籠、アサフに持ってってくれない?彼が捌けるから。」
「は、はあ……」
指さされた籠を受け取る。ヴァルは授業の続きをしろと、子供たちに引っ張られて行ってしまった。
彼等が教えてくれた砂利道を、リーリエは戸惑いながら進むのだった。
◇
夕焼け空に照らされた、木造2階建て。ちょうどそこから出てきた村人が、扉の向こうに気さくに手を振っている。その指に白い包帯が巻かれているのを、リーリエは見逃さなかった。
ここがアサフという先生の家なのだろう。恐らく、医者だ。「知獣」と呼ばれているはずの。
深呼吸をして、籠を抱え直す。
子供たちのような反発を覚悟しながら、彼女は扉をノックした。
「入っていいよー!」
「……!?」
聞こえてきたのは、どう考えても子供の声だ。10歳かそこらだろうか。声変わり前の男の子のようだ。
アサフ医師の息子だろうか。
「こんにちはー……」
声をかけながら、扉を開く。そこに広がる光景に、リーリエは目を見開いた。
本だ。壁一面に天井まで埋め尽くす本棚にぎっしりと背表紙が並んでいる。扉のすぐ眼の前にも、平積みされた本が山を作っているではないか。
「おやー?初めて聞く声だ!」
その本の海からひょっこりと、少年が顔を覗かせてきた。日の光が遮られた薄暗い室内に、彼の真っ白な髪が映える。
くりくりとした金色の目が、リーリエを捕らえた。
「初めまして!わしがこの村の医師、アサフじゃ!」
「……ええ!?!」
聞き間違いか?そう思うのも無理はない。先程ヴァルを囲んでいた子供たちと差のない少年が、医師だと言う。いったい誰が信じられるだろうか。
だが、可笑しそうにクスクスと笑う少年。揺れる肩に合わせて、欠けた円を象った木彫りのペンダントがカラカラと跳ねた。
「よいよい!初めての人間は皆そういう顔をする!だからこの見た目は気に入ってるんだ!」
「……??」
この数十分だけで、情報量が多すぎる。困惑するリーリエをみかねたのか、アサフが本の海に消えた。そして軽快な足音が回り道をしてかたかと思えば、彼はこちらへ駆けてきていた。
リーリエの腹の位置に、アサフの顔がある。紛うことなき少年だ。ふわふわとした白い髪と長い襟足で、もはや小動物にも見えてくる。
足元を引きずる大きな白衣をドレスのように摘み、優雅な礼を1つ。そして彼は、話しだした。
「人はわしのことを、薬蛇だとか、白眸だとか呼んでおる。賢王の治世に現れ、この世の知識を全て授ける……なんて言われたこともあったのう。ずっとこの森にいるのに、おかしなもんじゃ。ははは」
言われてることの半分も理解できない。だが、とにかくコレだけは確かめなければと、リーリエはおずおずと口を開いた。
「……知獣……?」
「うむ、わしだな!」
あっけらかんと肯定されてしまった。探し人には会えたのに、頭痛の種が増えた気がするのはなぜだろう。
「やや!ヴァルの奴めー!大物仕留めおったな!!」
籠の中を覗き込み、今日はご馳走だと歌い出すアサフ。
そんなところへ、「ただいまぁ」と気の抜けそうな声が玄関を開ける。もちろん、ヴァルだ。
すっかり日は暮れている。もちろん、リーリエは彼等の家に泊まるしかない。
夕食の支度を手伝いながら、彼女は全く作業に集中できなかった。
鞄の中にある、知識人招集令に基づく令状。ゆるゆるおじさんと不思議な少年にそれを突きつけなければいけないのだ。
胃がキリキリと痛んで、仕方なかった。



