あの日から、一ヶ月――。
「――これが、私たちの追い求めてきた完成形です」
暗く落とされた照明の中、巨大なスクリーンに純白の球体が映し出されていた。
その周囲へ、透き通った膜がCGアニメーションで幾重にも重なっていく。
「白さの元となる繊細な中空ポリマーの粒子を、さらに透明なエアロゲルで包み込む。これにより、製造や輸送の負荷から守りながら、肌の上では本来の力を解放することができます」
スクリーンの中で、透明な膜に守られた球体が激しく揺さぶられる。
壊れない。
くっつかない。
美しい光を保ったまま、真っ白に輝き続けている。
「前回問題となった不安定さは、これで完全に解消されます。アルフレッドは初めて、研究室の中だけでなく、実際に人の手へ届けられる製品として完成しました」
これなら、もう誰も文句は言えないだろう。
五年間追い求めてきた奇跡が、ついに完璧な製品へと昇華された……。
確信に満ちた声で言い切ると――。
西条蘭子さんは会場全体を見渡した。
アルカサス本社、最上階の役員会議室。
製造委託先であるヒラルダ社と合同で行われる定期ミーティング。一度は頓挫しかけた『Blanche』の再起計画を、両社の役員へ正式に発表する極めて重要な会議体だ。
蘭子さんのプレゼンを聞いて、一斉に安堵の息を吐く両社の役員たち。
壁際の隅に座る私の目の前の重役たちからは、拍手が巻き起きていた。
「見事だ。さすがは元白組」
「これなら『Blanche』の再出発も安心ですな」
「いやあ、本当によかった!」
先月まで、この世の終わりどころか自社の終わりまで見届けたような顔をしていた重役たちが、今日はクリスマスの朝を迎えた子供みたいに目を輝かせている。
よかった。本当によかった。これで会社も、売上も、自分たちの椅子も守られる。
その喜びが、拍手の一打ごとに実によく伝わってきた。
でも、オッケー。彼らは、安心して構わない。だって、蘭子さんの説明は、誇張でもなければ、はったりでもなのだから。
あの後、私が繰り返した試験でもはっきりした。ハイドロジェルの装甲は確かに、堅牢なのだ。
製造釜の中で加わる負荷にも、保管中の温度変化にも、トラックで運ばれる間の振動にも耐える。
それでいて、人の肌へ塗り広げられた瞬間にだけ、静かに鎧を脱ぎ捨てる。
閉じ込めていたアルフレッドを解き放ち、本来の美しい光を生み出す。間違いなく、アルフレッドを製品にするための最適な技術だ。
拍手が収まりかけたところで、颯真が静かに口を開いた。
「一点、確認させてください」
役員たちの視線が、一斉に颯真へ集まる。
「今回、ヒラルダ社が実施する品質検査は、試験項目、判定基準、量産ロットの管理まで含めて――アルカサスが定める正規の品質検査と、完全に一致している。そう理解してよろしいですか」
役員たちの顔から、わずかに笑みが消えた。
蘭子さんが、銀縁眼鏡の奥から颯真を見据える。
「もちろんです。委託契約も、その内容で締結しています」
「試験項目の省略も、判定基準の緩和もない、と」
「ええ。ありません」
蘭子さんは、ほんの一瞬だけ私を見た。
それから再び颯真へ視線を戻し、はっきりと言い切った。
「先行サンプルで起きたような不具合は――二度と、発生させません」
その場にいる役員たちには、最終的な品質保証の確認にしか聞こえなかっただろう。けれど、この会議室で、その言葉が持つ『本当の意味』を知っているのは、三人だけだ。
数秒の張り詰めた沈黙のあと、颯真は小さく頷いた。
「分かりました。事業戦略部として、異議はありません」
蘭子さんは、颯真の視線を真正面から受け止めていた。そして一度だけ、会議室の端に座る私をちらりと見た。
一か月前、ヒラルダ社で蘭子さんを追及して以来、彼女とその件でやりとりしてはいない。
アルカサスに告発するつもりはあるか? とも『Blanche』の研究委託契約に影響はあるか? と聞かれることもなかった。
私が蘭子さんを裏切るはずがないと思っているのかもしれない。あるいは、決定的な証拠などないと高を括っているのかもしれない。
もしかしたら、その両方の可能性もある。
そして実際、私は蘭子さんの罪を告発しなかった。
流出したレシピへ、不具合を起こす変更をこっそり加えた――。それだけでも監査へ持ち込めば、蘭子さんを公的な追及の場へ引きずり出すことも十分可能だった。
でも、そうはしなかった。
許したわけでも揉み消したわけでもないが、西城蘭子という人間を、私の手で公に告発することだけはしなかった。これからも彼女の罪を公開するつもりはない。
「それでは、今後の展開についてご説明します」
蘭子さんがリモコンを操作する。
スクリーンが切り替わり、そこへ現れたのは、華やかなイベント会場の完成予想図だった。
「六週間後、著名な美容インフルエンサー、主要メディア、百貨店バイヤーの皆様をお招きし、新生『Blanche』のお披露目イベントを開催いたします。これは御社の『Blanche』プロモーションチームとの連携企画になります」
イベント概要とともに、ずらりと並んだ招待予定者の一覧が表示される。プロモーション部署は、以前、新プロジェクト推進室が改編されてできた組織だ。ただし、謹慎中の黒瀬さんは加わっていない。
「前回のPRイベントで先行サンプルをお渡しした方々には、全員お声がけします」
一覧の中には、私にも見覚えのある名前がいくつも並んでいた。
「不具合品が届いた方々も、ですか」
役員の一人が、少し不安そうに尋ねる。
「もちろんです。完成を最初に見届けていただくべきなのは、一度、期待を裏切ってしまった方々ですから」
実はその不具合発生の原因の張本人でありながら、蘭子さんは微塵も迷わずに答えた。
不具合では、幸い健康被害は一件も起きていない。
キラキラ組もすぐに事情を説明し、代替サンプルと、少々過剰なくらいのお詫びの品を各所へ送った。
はずれのロットを引いたお客様の認識も、おおむね「輸送中に少し荒く扱われたらしい」という程度で落ち着いている。
不具合が出なかったサンプル自体の評価は非常に高かったし、SNSにも、
『代替品と一緒に、お詫びのおまけが山ほど届いた』
『対応がすごく早くて丁寧だった』
『完成品ができたら、また先行で試させてもらえるらしい』
と、むしろ好意的な投稿が多く並んだ。
一度の不具合で、新製品への期待まで完全に消え去ったわけではない。再びイベントを開けば、多くの人が喜んで参加するだろう。
「何か異議のある方はいらっしゃいますか」
蘭子さんが、役員たちを見渡す。誰も手を挙げなかった。
「では、六週間後。新生『Blanche』の再出発を、皆様へお披露目いたします」
大きな拍手が弾けた。
満場一致。文句なし、百点満点のプレゼンだった。
* * *
会議の終了以後、静かになった廊下で、私は蘭子さんと鉢合わせた。
「蘭子さん」
呼びかける。
紺色のジャケットが止まり、ゆっくりと振り返った。
「イベントの進行表。見ましたか?」
前置きなしで、それだけを言った。
「いいえ。ほとんどそちらに任せているから」
「蘭子さんの説明の後、時間をもらっています」
蘭子さんの眉が、ほんのわずかにピクリと動いた。
「そこで、ちょっとした発表をさせてもらう予定です」
「そう」
蘭子さんの返事は二文字。
短い、冷たい、塩分濃度が高い……。
好きにすればいいと言わんばかりに背を向けると、カツン、カツンと硬い靴音を響かせて、廊下の向こうへ歩き去っていった。
私は胸元へ、ちらりと目を落とす。
『TEAM SHIROGUMI』
颯真が仕立てさせた、私たちの新しい白衣。銀糸で刺繍されたその文字を指先でなぞり、私は小さく指を鳴らした。
――いい返事だ、蘭子さん。
それでは六週間後。盛大に驚いてもらいましょう。
蘭子さんは、あの華やかな会場で完璧な発表をするだろう。
美しく。鮮やかに。一分の隙もなく。会場中が息を呑み、誰もが蘭子さんの勝利を確信し、割れんばかりの拍手を送る。
それでいい。
拍手は、大きければ大きいほどいい。
照明は、眩しければ眩しいほどいい。
舞台は、高ければ高いほどいい。
――ひっくり返したときの音が、そのぶん派手になる。
私たちに与えられたのは七分間。
あの人が完璧に整えた舞台だ。観客も。照明も。拍手も。最高潮まで温められた空気も。全部、ありがたく使わせてもらいます。
鼻歌を口ずさみながら、私は蘭子さんとは反対の方向へ歩き出した。
向こうの主演は、蘭子さん。
こちらの主演は、私と――。共演は、千夏と、再び集まった白組の仲間たち。それから、正論と夜食を同時に投げつけてくる、吸血鬼系のオカン。
そして――。配役表には名前のない、スペシャルゲスト。
役者は揃った。
舞台も決まった。
ただし、演目だけはまだ秘密だ。
さあ。
客席の誰にも知られないまま、幕を上げよう。
「――これが、私たちの追い求めてきた完成形です」
暗く落とされた照明の中、巨大なスクリーンに純白の球体が映し出されていた。
その周囲へ、透き通った膜がCGアニメーションで幾重にも重なっていく。
「白さの元となる繊細な中空ポリマーの粒子を、さらに透明なエアロゲルで包み込む。これにより、製造や輸送の負荷から守りながら、肌の上では本来の力を解放することができます」
スクリーンの中で、透明な膜に守られた球体が激しく揺さぶられる。
壊れない。
くっつかない。
美しい光を保ったまま、真っ白に輝き続けている。
「前回問題となった不安定さは、これで完全に解消されます。アルフレッドは初めて、研究室の中だけでなく、実際に人の手へ届けられる製品として完成しました」
これなら、もう誰も文句は言えないだろう。
五年間追い求めてきた奇跡が、ついに完璧な製品へと昇華された……。
確信に満ちた声で言い切ると――。
西条蘭子さんは会場全体を見渡した。
アルカサス本社、最上階の役員会議室。
製造委託先であるヒラルダ社と合同で行われる定期ミーティング。一度は頓挫しかけた『Blanche』の再起計画を、両社の役員へ正式に発表する極めて重要な会議体だ。
蘭子さんのプレゼンを聞いて、一斉に安堵の息を吐く両社の役員たち。
壁際の隅に座る私の目の前の重役たちからは、拍手が巻き起きていた。
「見事だ。さすがは元白組」
「これなら『Blanche』の再出発も安心ですな」
「いやあ、本当によかった!」
先月まで、この世の終わりどころか自社の終わりまで見届けたような顔をしていた重役たちが、今日はクリスマスの朝を迎えた子供みたいに目を輝かせている。
よかった。本当によかった。これで会社も、売上も、自分たちの椅子も守られる。
その喜びが、拍手の一打ごとに実によく伝わってきた。
でも、オッケー。彼らは、安心して構わない。だって、蘭子さんの説明は、誇張でもなければ、はったりでもなのだから。
あの後、私が繰り返した試験でもはっきりした。ハイドロジェルの装甲は確かに、堅牢なのだ。
製造釜の中で加わる負荷にも、保管中の温度変化にも、トラックで運ばれる間の振動にも耐える。
それでいて、人の肌へ塗り広げられた瞬間にだけ、静かに鎧を脱ぎ捨てる。
閉じ込めていたアルフレッドを解き放ち、本来の美しい光を生み出す。間違いなく、アルフレッドを製品にするための最適な技術だ。
拍手が収まりかけたところで、颯真が静かに口を開いた。
「一点、確認させてください」
役員たちの視線が、一斉に颯真へ集まる。
「今回、ヒラルダ社が実施する品質検査は、試験項目、判定基準、量産ロットの管理まで含めて――アルカサスが定める正規の品質検査と、完全に一致している。そう理解してよろしいですか」
役員たちの顔から、わずかに笑みが消えた。
蘭子さんが、銀縁眼鏡の奥から颯真を見据える。
「もちろんです。委託契約も、その内容で締結しています」
「試験項目の省略も、判定基準の緩和もない、と」
「ええ。ありません」
蘭子さんは、ほんの一瞬だけ私を見た。
それから再び颯真へ視線を戻し、はっきりと言い切った。
「先行サンプルで起きたような不具合は――二度と、発生させません」
その場にいる役員たちには、最終的な品質保証の確認にしか聞こえなかっただろう。けれど、この会議室で、その言葉が持つ『本当の意味』を知っているのは、三人だけだ。
数秒の張り詰めた沈黙のあと、颯真は小さく頷いた。
「分かりました。事業戦略部として、異議はありません」
蘭子さんは、颯真の視線を真正面から受け止めていた。そして一度だけ、会議室の端に座る私をちらりと見た。
一か月前、ヒラルダ社で蘭子さんを追及して以来、彼女とその件でやりとりしてはいない。
アルカサスに告発するつもりはあるか? とも『Blanche』の研究委託契約に影響はあるか? と聞かれることもなかった。
私が蘭子さんを裏切るはずがないと思っているのかもしれない。あるいは、決定的な証拠などないと高を括っているのかもしれない。
もしかしたら、その両方の可能性もある。
そして実際、私は蘭子さんの罪を告発しなかった。
流出したレシピへ、不具合を起こす変更をこっそり加えた――。それだけでも監査へ持ち込めば、蘭子さんを公的な追及の場へ引きずり出すことも十分可能だった。
でも、そうはしなかった。
許したわけでも揉み消したわけでもないが、西城蘭子という人間を、私の手で公に告発することだけはしなかった。これからも彼女の罪を公開するつもりはない。
「それでは、今後の展開についてご説明します」
蘭子さんがリモコンを操作する。
スクリーンが切り替わり、そこへ現れたのは、華やかなイベント会場の完成予想図だった。
「六週間後、著名な美容インフルエンサー、主要メディア、百貨店バイヤーの皆様をお招きし、新生『Blanche』のお披露目イベントを開催いたします。これは御社の『Blanche』プロモーションチームとの連携企画になります」
イベント概要とともに、ずらりと並んだ招待予定者の一覧が表示される。プロモーション部署は、以前、新プロジェクト推進室が改編されてできた組織だ。ただし、謹慎中の黒瀬さんは加わっていない。
「前回のPRイベントで先行サンプルをお渡しした方々には、全員お声がけします」
一覧の中には、私にも見覚えのある名前がいくつも並んでいた。
「不具合品が届いた方々も、ですか」
役員の一人が、少し不安そうに尋ねる。
「もちろんです。完成を最初に見届けていただくべきなのは、一度、期待を裏切ってしまった方々ですから」
実はその不具合発生の原因の張本人でありながら、蘭子さんは微塵も迷わずに答えた。
不具合では、幸い健康被害は一件も起きていない。
キラキラ組もすぐに事情を説明し、代替サンプルと、少々過剰なくらいのお詫びの品を各所へ送った。
はずれのロットを引いたお客様の認識も、おおむね「輸送中に少し荒く扱われたらしい」という程度で落ち着いている。
不具合が出なかったサンプル自体の評価は非常に高かったし、SNSにも、
『代替品と一緒に、お詫びのおまけが山ほど届いた』
『対応がすごく早くて丁寧だった』
『完成品ができたら、また先行で試させてもらえるらしい』
と、むしろ好意的な投稿が多く並んだ。
一度の不具合で、新製品への期待まで完全に消え去ったわけではない。再びイベントを開けば、多くの人が喜んで参加するだろう。
「何か異議のある方はいらっしゃいますか」
蘭子さんが、役員たちを見渡す。誰も手を挙げなかった。
「では、六週間後。新生『Blanche』の再出発を、皆様へお披露目いたします」
大きな拍手が弾けた。
満場一致。文句なし、百点満点のプレゼンだった。
* * *
会議の終了以後、静かになった廊下で、私は蘭子さんと鉢合わせた。
「蘭子さん」
呼びかける。
紺色のジャケットが止まり、ゆっくりと振り返った。
「イベントの進行表。見ましたか?」
前置きなしで、それだけを言った。
「いいえ。ほとんどそちらに任せているから」
「蘭子さんの説明の後、時間をもらっています」
蘭子さんの眉が、ほんのわずかにピクリと動いた。
「そこで、ちょっとした発表をさせてもらう予定です」
「そう」
蘭子さんの返事は二文字。
短い、冷たい、塩分濃度が高い……。
好きにすればいいと言わんばかりに背を向けると、カツン、カツンと硬い靴音を響かせて、廊下の向こうへ歩き去っていった。
私は胸元へ、ちらりと目を落とす。
『TEAM SHIROGUMI』
颯真が仕立てさせた、私たちの新しい白衣。銀糸で刺繍されたその文字を指先でなぞり、私は小さく指を鳴らした。
――いい返事だ、蘭子さん。
それでは六週間後。盛大に驚いてもらいましょう。
蘭子さんは、あの華やかな会場で完璧な発表をするだろう。
美しく。鮮やかに。一分の隙もなく。会場中が息を呑み、誰もが蘭子さんの勝利を確信し、割れんばかりの拍手を送る。
それでいい。
拍手は、大きければ大きいほどいい。
照明は、眩しければ眩しいほどいい。
舞台は、高ければ高いほどいい。
――ひっくり返したときの音が、そのぶん派手になる。
私たちに与えられたのは七分間。
あの人が完璧に整えた舞台だ。観客も。照明も。拍手も。最高潮まで温められた空気も。全部、ありがたく使わせてもらいます。
鼻歌を口ずさみながら、私は蘭子さんとは反対の方向へ歩き出した。
向こうの主演は、蘭子さん。
こちらの主演は、私と――。共演は、千夏と、再び集まった白組の仲間たち。それから、正論と夜食を同時に投げつけてくる、吸血鬼系のオカン。
そして――。配役表には名前のない、スペシャルゲスト。
役者は揃った。
舞台も決まった。
ただし、演目だけはまだ秘密だ。
さあ。
客席の誰にも知られないまま、幕を上げよう。

