なんとか食事を終えた私は、地下ラボへ戻るなり、ホワイトボードの前へ突進した。
キャップを吹き飛ばす勢いでマーカーを抜き、猛然と線を走らせる。
円。その外側に、もう一つの円。
矢印、温度、水分量、せん断力、摩擦。
興奮のまま書き殴った結果、ホワイトボード上には化学式と数値と謎の擬音が縦横無尽に乱舞した。
「颯真! これを見て!」
数分遅れて地下へ下りてきた颯真は、ホワイトボードを見た瞬間、足を止めた。
「……なんだ、これは」
「ハイドロゲルの装甲の概念図です!」
「前衛芸術にしか見えないが
「いいですか!」
私はマーカーの先で、図の中央に描いた粒子――アルフレッドを叩いた。
「あの完璧なクリームは、白組のレシピにもとから入っていた水溶性高分子の配置を変えたものです!」
「配置?」
「そうです。全体へ均等に散らして保湿剤として働かせるのではなく、球状にしてアルフレッドの表面に集めた。水を抱えて膨潤する高分子膜――ハイドロゲルの装甲として機能させたんです!」
私は中央の円を、マーカーでぐるぐると囲んだ。
「使っている成分は同じ。でも、成分の居場所と役割が違う。私たちが肌を潤すために入れた保湿剤を、あのクリームを作った人間は、アルフレッドを守る鎧へ作り変えたんです!」
クリームから、新しい成分は検出されなかった。
それは当然だ。足したのではなく、並べ替えたのだから。同じ役者へ、まったく違う役を演じさせた。
「まず、製造釜の中!」
私はホワイトボードの左半分へ、巨大なホモミキサーを描く。
「製造釜の中には、水がたっぷりあります。だから外側の高分子膜は水分を吸って膨潤し、柔らかく弾力のある状態になる。言うなれば――水風船です!」
「水風船……」
「コンタクトレンズや生春巻きの皮を、ボール状にしたものだと思ってください。この水を含んだ装甲で、中空ビーズのアルフレッドをくるっと包み込む」
アルフレッドと書いたビーズと、それを囲むような円を書き込む。
「この装甲は、ミキサーの強烈なせん断をボヨンと受け止めます」
マーカーで『ボヨン!』と書き込む。
「これなら、攪拌速度を限界まで上げても、装甲に守られたアルフレッドは壊れない。それどころか、粒子同士が直接触れないから、凝集も防げます」
「前に難しいと言っていた、アルフレッドを壊さずにダマだけをなくすことができるのか」
五年間、白組を苦しめ続けた矛盾。強く混ぜれば、中空構造が壊れる。弱く混ぜれば、粒子が凝集する。
その課題を、アルフレッドへ鎧を着せた上で、ミキサーを全力で回すことで解決する。
「だが、その装甲がある限り、肌へ塗っても伸びないのではないか?」
「そこが、このハイドロゲルのすごいところです!」
私は今度は、ホワイトボードの右半分へ人間の肌を描いた。
「製造釜の中は、水分に満たされた閉鎖系です。でも、肌の上は空気へ開かれた開放系。薄く塗り広げた瞬間、装甲から水分が一気に抜けていく。まるで乾燥したコンタクトや春巻きの皮のように!」
ボードの絵から、矢印を何本も空中へ伸ばす。
「水を失った装甲は、柔らかな水風船から、薄く硬く脆い膜へ変わる。そして、そこへ指で塗り広げるわずかな摩擦が加わると――」
マーカーで、装甲へ亀裂を描き込んだ。
「パリッと割れる! そこで初めて、内側のアルフレッドがむき出しになる!」
「なるほど。それが、露出したアルフレッドが体温に触れて」
「角質層へ、とろけるように密着します。これが、あの完璧なクリーム。完璧なアルフレッドの正体です!」
私は勢いよく断言した。
「前に君が言っていた、四十度を超えても粘度が落ちなかった理由は?」
「密閉された測定器の中では、温度を上げても水分が蒸発しません。だから外側の装甲は、水を含んだ弾性膜のまま維持される。内側のアルフレッドが三十六度付近で軟化しても、装甲が外から形を支え続けるから、粒子全体は崩れない。結果として、クリーム全体の粘度も落ちないんです」
もう一度、中央の円を叩く。
「しかも、使っているのはもともと処方に入っている成分と水だけ。だから成分分析も一致する。含水膜は周囲の水相との光学的な差が小さいから、通常の顕微鏡観察では捉えにくい。ハイドロゲルの装甲なら、これまで確認してきた結果と、すべて矛盾しません」
言い切った私の胸は、荒い呼吸で上下していた。
ホワイトボードを埋め尽くした線と文字が、私の頭の中で組み上がった仮説そのものだった。
沈黙が下りる。
颯真はしばらく盤面を見つめ、やがて私へ視線を戻した。
「論理は通っている」
「でしょう!」
「だが、まだ仮説だな」
「はい、その通りです。ですから――」
私はマーカーを試作台へ向けた。
「今から、証明します!」
「どうやって?」
「もちろん、実物のクリームを作って!」
私は白衣の袖を一気にまくり上げた。
* * *
私は社用端末を開き、アルカサスの研究データベースへアクセスした。
そこに収められているのは、研究開発部が過去二十年にわたって蓄積してきた、膨大な試作記録だ。
世界のどこかで新素材の論文が発表されれば試す。ライバル社が新製品を出せば、同じものを作れないか挑戦する。すぐ商品には結びつかなくても、失敗を含むすべての結果を記録する。
それが、アルカサスの研究を支えてきた貴重な財産だった。
私はその中から、ハイドロゲルを球体化し、内部へ別の素材を閉じ込める技術を検索する。
今回と同じように、中空ビーズを包んだ技術でなくてもいい。似た性質を持つものがあれば、参考にできる。
そして――。
「……これだ」
十年ほど前に、球状ハイドロゲルに色材を閉じ込めた実験が行われていた。
二種類の水溶性高分子を組み合わせ、水を抱え込んだ柔らかな球体を作る。水中では膨らんで弾力を持つが、乾燥すると硬く脆くなり、わずかな摩擦で崩れる。
そう記されていた。
しかも、使われている二種類の高分子は、どちらも今の白組の処方へ保湿剤として配合されているものだ。
この技術そのものは、結局、商品化されなかったらしい。けれど、その性質は、今の私たちが探しているものとぴったり一致する。
まずは、レポートに書かれている通りに作ってみた。すると、高分子を加えた瞬間、ビーカーの中身が一つの巨大な塊になった。
「……クリームが、団結しました」
中身を颯真に見せると、彼は肩をすくめた。
「見事な一体感だな」
「運動会じゃないんだから、全員で手をつないでゴールしなくていいんですよ!」
おそらく、ハイドロゲルをまとわせる相手が、レポートの色材と、中空ビーズのアルフレッドではまったく違うから。
アルフレッドに適したまとわせ方へ、条件を最適化する必要がある。なにしろ、アルフレッドは極度の気分屋だ。
ハイドロゲルを形成させる温度と、攪拌速度を上げるタイミングを、私は変えていく。
低速で、高分子をアルフレッドの表面へ吸着させる。薄い膜が形成され始めたところで、一段上げる。
さらに数分後、もう一段。最後は時間をかけ、ゆっくりと冷却する。
急げば、膜が歪む。遅すぎれば、粒子同士が凝集する。
その速さとタイミングを変えながら、アルフレッドに最適な装甲の着せ方を探していく。
時にはおだてて、時には強引に。
ほとんどこの辺は、理屈というより経験。この気難しいイギリス紳士と五年間付き合った人間しかできないものだと思う。
ラボの時計が深夜零時を回る頃、ようやく一つの試作ができた。
「……できたかも」
ハイドロゲルの装甲をまとわせても、なお白さを失わないクリームだった。
「……残ってる」
顕微鏡の中で、アルフレッドの中空構造は保たれている。
顕微鏡の中で、アルフレッドの中空構造は保たれていた。
おそらく、その周りには目では見ることのできない、水風船のような装甲の膜ができているはずだった。
私はそれを、ホモミキサーへかけて応力をかける。
低速、中速、高速。
白組のレシピならアルフレッドが壊れてて、絶対に踏み込めなかった領域まで、出力を上げる。
それでも、白さは消えなかった。
私はそれを手の甲へ一滴落とした。
三十秒待ち、人差し指でゆっくりと塗り広げる。
最初に、ほんのわずかな抵抗。
次の瞬間。
指の腹へ、微細な感触が走った。
パリッ。
音など聞こえるはずがない。それでも、私には確かに聞こえた。
水分を失った装甲へ亀裂が走った音がむき出しになったアルフレッドが体温へ触れ、柔らかく崩れる。
そして――とろけた。
「あっ……」
クリームが肌の微細な凹凸へ吸い込まれるように入り込み、滑らかに広がっていく。
指先で、分かった。
五年間、何千回とアルフレッドへ触れてきた私だからこそ分かる。
この感触だ。
「できた……」
私は実験台の上へ、二つのシャーレを並べた。
左には、颯真からもらったクリーム。右には、たった今作り上げたクリーム。
見分けがつかない。
見た目も、感触も、肌のあの魔法のような伸びも、まったく同じ。
「やりました! 完成しました!」
私は両手を突き上げた。
「アルフレッドが、強烈なミキサーに殴られても平気なのに、指で撫でたら素直にとろけるんですよ! なんなんですか、この外面は強いのに身内には弱い人みたいな装甲は!」
「君が作ったんだろう」
颯真が優し気に目を細める。
「そうでした!」
笑いがこみ上げた。
五年間。五年間だ。
強く混ぜれば壊れ、弱く混ぜれば凝集する。その矛盾へ何千回も挑み、何千回も敗れた。
もう一歩。あと少し。そう言い続けている内に、白組は解体された。ラボを奪われ、仲間を散り散りにされた。
それでも、終わっていなかった。私たちが手を伸ばし続けた未来は、今、私の手の中にある。
私は、真っ先に一人の顔を思い浮かべた。
――この結果を、蘭子さんに見せたい。
誰よりもアルフレッドを愛し、誰よりも白組の技術を知っている人。
このクリームを見たら、きっと眼鏡の奥の目を細め、怒鳴りつけるような声で「よくやった」と言ってくれる。
そんな蘭子さんの顔を、鮮明に思い浮かべた。
だからこそ。
球状ハイドロゲルの古い試作記録と、目の前に並んだ二つのクリームが、頭の中でつながってしまった。
もう一つの、大事なことに。気づくはずのなかったことに。
――私は、気づいてしまったのだ。
キャップを吹き飛ばす勢いでマーカーを抜き、猛然と線を走らせる。
円。その外側に、もう一つの円。
矢印、温度、水分量、せん断力、摩擦。
興奮のまま書き殴った結果、ホワイトボード上には化学式と数値と謎の擬音が縦横無尽に乱舞した。
「颯真! これを見て!」
数分遅れて地下へ下りてきた颯真は、ホワイトボードを見た瞬間、足を止めた。
「……なんだ、これは」
「ハイドロゲルの装甲の概念図です!」
「前衛芸術にしか見えないが
「いいですか!」
私はマーカーの先で、図の中央に描いた粒子――アルフレッドを叩いた。
「あの完璧なクリームは、白組のレシピにもとから入っていた水溶性高分子の配置を変えたものです!」
「配置?」
「そうです。全体へ均等に散らして保湿剤として働かせるのではなく、球状にしてアルフレッドの表面に集めた。水を抱えて膨潤する高分子膜――ハイドロゲルの装甲として機能させたんです!」
私は中央の円を、マーカーでぐるぐると囲んだ。
「使っている成分は同じ。でも、成分の居場所と役割が違う。私たちが肌を潤すために入れた保湿剤を、あのクリームを作った人間は、アルフレッドを守る鎧へ作り変えたんです!」
クリームから、新しい成分は検出されなかった。
それは当然だ。足したのではなく、並べ替えたのだから。同じ役者へ、まったく違う役を演じさせた。
「まず、製造釜の中!」
私はホワイトボードの左半分へ、巨大なホモミキサーを描く。
「製造釜の中には、水がたっぷりあります。だから外側の高分子膜は水分を吸って膨潤し、柔らかく弾力のある状態になる。言うなれば――水風船です!」
「水風船……」
「コンタクトレンズや生春巻きの皮を、ボール状にしたものだと思ってください。この水を含んだ装甲で、中空ビーズのアルフレッドをくるっと包み込む」
アルフレッドと書いたビーズと、それを囲むような円を書き込む。
「この装甲は、ミキサーの強烈なせん断をボヨンと受け止めます」
マーカーで『ボヨン!』と書き込む。
「これなら、攪拌速度を限界まで上げても、装甲に守られたアルフレッドは壊れない。それどころか、粒子同士が直接触れないから、凝集も防げます」
「前に難しいと言っていた、アルフレッドを壊さずにダマだけをなくすことができるのか」
五年間、白組を苦しめ続けた矛盾。強く混ぜれば、中空構造が壊れる。弱く混ぜれば、粒子が凝集する。
その課題を、アルフレッドへ鎧を着せた上で、ミキサーを全力で回すことで解決する。
「だが、その装甲がある限り、肌へ塗っても伸びないのではないか?」
「そこが、このハイドロゲルのすごいところです!」
私は今度は、ホワイトボードの右半分へ人間の肌を描いた。
「製造釜の中は、水分に満たされた閉鎖系です。でも、肌の上は空気へ開かれた開放系。薄く塗り広げた瞬間、装甲から水分が一気に抜けていく。まるで乾燥したコンタクトや春巻きの皮のように!」
ボードの絵から、矢印を何本も空中へ伸ばす。
「水を失った装甲は、柔らかな水風船から、薄く硬く脆い膜へ変わる。そして、そこへ指で塗り広げるわずかな摩擦が加わると――」
マーカーで、装甲へ亀裂を描き込んだ。
「パリッと割れる! そこで初めて、内側のアルフレッドがむき出しになる!」
「なるほど。それが、露出したアルフレッドが体温に触れて」
「角質層へ、とろけるように密着します。これが、あの完璧なクリーム。完璧なアルフレッドの正体です!」
私は勢いよく断言した。
「前に君が言っていた、四十度を超えても粘度が落ちなかった理由は?」
「密閉された測定器の中では、温度を上げても水分が蒸発しません。だから外側の装甲は、水を含んだ弾性膜のまま維持される。内側のアルフレッドが三十六度付近で軟化しても、装甲が外から形を支え続けるから、粒子全体は崩れない。結果として、クリーム全体の粘度も落ちないんです」
もう一度、中央の円を叩く。
「しかも、使っているのはもともと処方に入っている成分と水だけ。だから成分分析も一致する。含水膜は周囲の水相との光学的な差が小さいから、通常の顕微鏡観察では捉えにくい。ハイドロゲルの装甲なら、これまで確認してきた結果と、すべて矛盾しません」
言い切った私の胸は、荒い呼吸で上下していた。
ホワイトボードを埋め尽くした線と文字が、私の頭の中で組み上がった仮説そのものだった。
沈黙が下りる。
颯真はしばらく盤面を見つめ、やがて私へ視線を戻した。
「論理は通っている」
「でしょう!」
「だが、まだ仮説だな」
「はい、その通りです。ですから――」
私はマーカーを試作台へ向けた。
「今から、証明します!」
「どうやって?」
「もちろん、実物のクリームを作って!」
私は白衣の袖を一気にまくり上げた。
* * *
私は社用端末を開き、アルカサスの研究データベースへアクセスした。
そこに収められているのは、研究開発部が過去二十年にわたって蓄積してきた、膨大な試作記録だ。
世界のどこかで新素材の論文が発表されれば試す。ライバル社が新製品を出せば、同じものを作れないか挑戦する。すぐ商品には結びつかなくても、失敗を含むすべての結果を記録する。
それが、アルカサスの研究を支えてきた貴重な財産だった。
私はその中から、ハイドロゲルを球体化し、内部へ別の素材を閉じ込める技術を検索する。
今回と同じように、中空ビーズを包んだ技術でなくてもいい。似た性質を持つものがあれば、参考にできる。
そして――。
「……これだ」
十年ほど前に、球状ハイドロゲルに色材を閉じ込めた実験が行われていた。
二種類の水溶性高分子を組み合わせ、水を抱え込んだ柔らかな球体を作る。水中では膨らんで弾力を持つが、乾燥すると硬く脆くなり、わずかな摩擦で崩れる。
そう記されていた。
しかも、使われている二種類の高分子は、どちらも今の白組の処方へ保湿剤として配合されているものだ。
この技術そのものは、結局、商品化されなかったらしい。けれど、その性質は、今の私たちが探しているものとぴったり一致する。
まずは、レポートに書かれている通りに作ってみた。すると、高分子を加えた瞬間、ビーカーの中身が一つの巨大な塊になった。
「……クリームが、団結しました」
中身を颯真に見せると、彼は肩をすくめた。
「見事な一体感だな」
「運動会じゃないんだから、全員で手をつないでゴールしなくていいんですよ!」
おそらく、ハイドロゲルをまとわせる相手が、レポートの色材と、中空ビーズのアルフレッドではまったく違うから。
アルフレッドに適したまとわせ方へ、条件を最適化する必要がある。なにしろ、アルフレッドは極度の気分屋だ。
ハイドロゲルを形成させる温度と、攪拌速度を上げるタイミングを、私は変えていく。
低速で、高分子をアルフレッドの表面へ吸着させる。薄い膜が形成され始めたところで、一段上げる。
さらに数分後、もう一段。最後は時間をかけ、ゆっくりと冷却する。
急げば、膜が歪む。遅すぎれば、粒子同士が凝集する。
その速さとタイミングを変えながら、アルフレッドに最適な装甲の着せ方を探していく。
時にはおだてて、時には強引に。
ほとんどこの辺は、理屈というより経験。この気難しいイギリス紳士と五年間付き合った人間しかできないものだと思う。
ラボの時計が深夜零時を回る頃、ようやく一つの試作ができた。
「……できたかも」
ハイドロゲルの装甲をまとわせても、なお白さを失わないクリームだった。
「……残ってる」
顕微鏡の中で、アルフレッドの中空構造は保たれている。
顕微鏡の中で、アルフレッドの中空構造は保たれていた。
おそらく、その周りには目では見ることのできない、水風船のような装甲の膜ができているはずだった。
私はそれを、ホモミキサーへかけて応力をかける。
低速、中速、高速。
白組のレシピならアルフレッドが壊れてて、絶対に踏み込めなかった領域まで、出力を上げる。
それでも、白さは消えなかった。
私はそれを手の甲へ一滴落とした。
三十秒待ち、人差し指でゆっくりと塗り広げる。
最初に、ほんのわずかな抵抗。
次の瞬間。
指の腹へ、微細な感触が走った。
パリッ。
音など聞こえるはずがない。それでも、私には確かに聞こえた。
水分を失った装甲へ亀裂が走った音がむき出しになったアルフレッドが体温へ触れ、柔らかく崩れる。
そして――とろけた。
「あっ……」
クリームが肌の微細な凹凸へ吸い込まれるように入り込み、滑らかに広がっていく。
指先で、分かった。
五年間、何千回とアルフレッドへ触れてきた私だからこそ分かる。
この感触だ。
「できた……」
私は実験台の上へ、二つのシャーレを並べた。
左には、颯真からもらったクリーム。右には、たった今作り上げたクリーム。
見分けがつかない。
見た目も、感触も、肌のあの魔法のような伸びも、まったく同じ。
「やりました! 完成しました!」
私は両手を突き上げた。
「アルフレッドが、強烈なミキサーに殴られても平気なのに、指で撫でたら素直にとろけるんですよ! なんなんですか、この外面は強いのに身内には弱い人みたいな装甲は!」
「君が作ったんだろう」
颯真が優し気に目を細める。
「そうでした!」
笑いがこみ上げた。
五年間。五年間だ。
強く混ぜれば壊れ、弱く混ぜれば凝集する。その矛盾へ何千回も挑み、何千回も敗れた。
もう一歩。あと少し。そう言い続けている内に、白組は解体された。ラボを奪われ、仲間を散り散りにされた。
それでも、終わっていなかった。私たちが手を伸ばし続けた未来は、今、私の手の中にある。
私は、真っ先に一人の顔を思い浮かべた。
――この結果を、蘭子さんに見せたい。
誰よりもアルフレッドを愛し、誰よりも白組の技術を知っている人。
このクリームを見たら、きっと眼鏡の奥の目を細め、怒鳴りつけるような声で「よくやった」と言ってくれる。
そんな蘭子さんの顔を、鮮明に思い浮かべた。
だからこそ。
球状ハイドロゲルの古い試作記録と、目の前に並んだ二つのクリームが、頭の中でつながってしまった。
もう一つの、大事なことに。気づくはずのなかったことに。
――私は、気づいてしまったのだ。

