すっぴん白衣の逆転レシピ 〜メイクが苦手な化粧品研究員、データを盗まれたのでザマス王子の秘密ラボでキラキラ組にリベンジします〜

「本来なら、絶対に交わらない水と油。その片方を目に見えないほど細かな粒にして、もう片方の中へ散らし、一つの系に共存させる。その技術が――乳化(エマルション)です!」

「乳化は水と油を、共存させているのか。単純に二つが混ざった状態だと思っていたが……」
「ええ。共存です。ただし、仲は悪いままです」
「悪いまま?」
「別れないよう、配置と境界面を管理しているだけです。例えると仲の悪い夫婦の、厳重な監視下での同居ですね」
「急に不穏になったな」
「水と油ですから。出会った時点で関係は最悪です」

 水の中へ、ミクロサイズの油滴を無数に散らす。牛乳やマヨネーズは、こちらの仲間。反対に、油の中へ水滴を散らす乳化もある。バターやコールドクリームが近い。

「その水滴や油滴の境界へ、さっき説明した界面活性剤(なこうど)が並びます。水と仲のいい部分を水側へ、油と仲のいい部分を油側へ向けて、両者が別れないよう繋ぎ止めるんです」

「なるほど。だが――」

 颯真は、黒い天板の上に置かれた純白のサンプル管へ目を向けた。

「乳化したクリームは、白く濁っている」
「はい」
「それを肌へ塗ると、なぜ水のような『みずみずしさ』と、油のような『透明なツヤ』が両立する? 白く濁っているなら、両方の長所まで濁って、中途半端になりそうなものだが」
「いい質問です!」
「褒められる筋合いはない」
「そこ、試験に出ます」
「誰の試験だ」
「今から私が作ります」

 私は黒い天板の上で、手のひらを薄く滑らせた。

「まず、クリームが白く見えるのは、ベースそのものが白いからではありません。水と油では、光の屈折率が違います。光が無数の油滴や水滴の境界を通るたびに曲がり、あちこちへ散らされる。だから、人間の目には白く見えるんです」

「白い物質が入っているのではなく、白く見える光の状態を作っているのか」
「そうです。容器の中では、仲人が水と油を繋ぎ止め、白いクリームの状態を保っています。でも、それを指で肌へ塗り広げると、一気に薄い膜へ引き伸ばされます。水分は角質層になじみ、一部は蒸発する。すると油滴同士の距離が縮まり、油剤や皮膜形成成分が肌の表面へ均一に広がっていくんです」

「乳化が壊れて、元の水と油へ戻る?」

「完全に二層へ分離するわけではありません。いよいよ離婚というより、配置転換ですね」
「たとえが急に会社員になったな」

「容器の中の『白く濁った粒の集団』から、肌の上の『水分と透明な油膜』へ、役割を組み替えるんです。水分は角質層へみずみずしさを与え、油膜は表面の凹凸を滑らかに整えて、光を綺麗に反射する。だから、内側は潤って、外側には透明なツヤが出る」

「容器の中では共存させ、肌の上ではそれぞれを適所へ配置する」
「そうです。相反する水と油の恩恵を、時間差で正しい場所へ届ける。それが、乳化による『いいとこ取り』の正体です」

 私は人差し指を立てた。

「ただし、ここからが地獄でして」
「今度はなんだ?」
「化粧品は、容器の中では三年間壊れてはいけない。でも、肌へ塗ったら、すぐ綺麗に広がってほしい。つまり――」

「保管中は頑丈に。使用時は素直に、ということか?」

「百点です! 界面活性剤を増やせば、分離を抑えやすくなる場合があります。でも、多ければいいというものではありません。処方によっては、肌へ塗っても白さやぬるつきがいつまでも残る。種類や量を間違えれば、角質層の細胞間脂質へ余計に作用して、刺激の原因にもなる」

「かといって減らしすぎれば、店へ並んでいる間に水と油が別れる」

「そうなんです。棚の上で離婚成立。上が油、下が水。振っても戻らない、悲惨な二層式化粧品の完成です。不良品です」

 しかも、クリームに入るのは水と油と界面活性剤だけではないのだ。

「保湿剤、油剤、増粘剤、防腐剤、香料、各種有効成分。何十種類もの成分が、コンマ〇一パーセント単位で、奇跡みたいなバランスを保っています。たった一つの濃度を少し変えただけで、粘度が落ちる。粒径が変わる。防腐効果が弱まる。連鎖的に、系全体がドミノ倒しを起こすこともあります」

「それを三年間、起こさせない?」
「正確には、想定される保存環境の中で、三年間品質を保たせる、です」
「実際に三年間待って確認するのか」
「待っていたら、流行も担当者も会社も変わってしまいます。なので、未来を早送りします」
「未来を?」

「高温で保存して、劣化を加速させる。凍結と解凍を繰り返して、冬場の輸送を再現する。光を当てる。容器のプラスチックと反応しないか調べる。発売前の化粧品には、暑い倉庫、凍える配送車、まぶしい売り場、相性の悪い容器を、一通り経験してもらいます。本番で初体験させるわけにはいきませんから。消費者の肌の上で『想定外でした』は通用しません」

「それが、加速試験というものか」

「はい。私たちが作っているのは、今日だけ綺麗なクリームではありません。三年先まで壊れない未来ごと、設計しているんです」

 颯真は小さく頷いた。

「ああ。今ので化粧品の開発に時間がかかる理由は分かった」
「でも実はまだまだあるんです。今のは『水』と『油』の話です」
「まだあるのか」
「あります。先ほど、化粧品には三つの要素があると説明しました。『水』と『油』と――」
「『粉』。赤みやくすみを隠す」
「また百点! その粉には、『白浮き』という呪いがあるんです」

 私は実験台の中央に鎮座する、純白のサンプル管を指さした。真上から落ちるLEDの光を受けて、それは内側から発光しているように白い。

「肌の赤みやシミを隠す一番簡単な方法は、壁を塗るのと同じです。酸化チタンのような、屈折率が高くて光を強く散乱する粉を載せ、下にある色を物理的に見えなくする」

無機顔料(ペンキ)だな」

「はい。ものすごく小さなペンキです。カバー力は高い。でも、量が多すぎれば、肌が本来持っている色や光まで消してしまう。毛穴もシミも消えた代わりに、立体感までなくなって、人形のようなのっぺりした白さになる。これが『白浮き』です」

「待て」

 颯真の目が、わずかに細くなった。

「酸化チタンも、光を散乱させて白く見せているのだろう。なら、先ほどの乳化の白や、君の言う新技術と原理は同じではないのか」

 私は思わず、身を乗り出した。

「そこに気づきましたか!」

 危うく颯真の袖を掴むところだった。両手を天板につき、どうにか踏みとどまる。

「大きく言えば、どちらも光の散乱です。違うのは、光をどれだけ散らし、どれだけ透過させ、どちらの方向へ返すか。酸化チタンは隠蔽力が非常に強い。下の情報を消すのが得意です。でも、私たちが欲しいのは、全部を塗り潰す白ではありません」

「白く見せながら、肌そのものの光も残す?」
「そうです!」

 私はサンプル管を、そっと指先で回した。

「雪も雲も、材料そのものは透明です。氷も水滴も、一つだけなら透けている。でも、微細な粒や空隙が無数に集まると、その境界で光が何度も散乱し、真っ白に見える」

「白を塗るのではなく、白く見える光の通り道を作るのか」

「まさにそれです。可視光に近い大きさの粒子で光を散らす、光散乱(ミーさんらん)を利用する。絵の具のように塗り潰すのではなく、光を柔らかく散らしながら、一部は肌へ通す。それによって『白さ』と『透明感』を両立させる。その難題に、私たち白組は挑みました」

「その答えが、『シンヴェール』?」

「正式には……。そして私の中では――『アルフレッド』です」
「なぜ名前が二つある」
「『シンヴェール』は表向きの技術名。『アルフレッド』は、私が勝手につけたコードネームです」
「なぜアルフレッドなんだ」
「気難しくて、扱いに注文が多くて、機嫌がいい時だけ完璧な仕事をする。英国人執事っぽいでしょう?」
「紛らわしい……」

「アルフレッドの正体は、『中空シリカポリマー』です。中身が空洞になった、極小のシャボン玉のような透明粒子です。外側の透明な殻と、内側の空気では屈折率が大きく違う。その境界で光を強く散乱させることで、顔料を厚く塗らなくても、肌の内側から発光するような白を作れます」

 私はガラス管越しの純白を見つめ、深く息を吐いた。

「ただし、こいつが、とんでもなく気難しい」
「英国執事だからか」
「中身が空っぽの、極小シャボン玉だからです」

 化粧品工場では、水と油を乳化させるため、巨大なホモミキサーを毎分何千回転もの速度で回す。
 強いせん断力で大きな油滴を細かく砕き、均一に分散させるのだ。

「でも、その中へ、壊れやすい中空粒子を入れたら――」

 私は両手をミキサーの刃のように激しく回す。

「アルフレッド、粉砕」
「死ぬのか」
「死にます。中空の殻が叩き割られ、ただのシリカ片になります。空気との境界が消えるので、光を散乱する性能も消滅。殉職です」
「なら、壊れないように、ゆっくり撹拌すればいい」
「そう思いますよね。普通は」

 私は唇の端を吊り上げた。ここが、化学の底意地の悪いところだ。

「優しく混ぜると、今度はアルフレッド同士が寂しがります」
「寂しがる」
「粒子に感情はありません。ただ、挙動としては寂しがります」
「どういう意味だ」
「粒子同士が近づくと、分子間力(ファンデルワールスりょく)という弱い引力が働くんです。一つ一つは小さな力です。でも、何千、何万という粒子が接触すれば、全員で団結して巨大なダマになる」

 ダマになれば、肌へ塗った時にざらつく。伸びない。粒子の分布が偏り、光も均一に散乱しない。

「昼間、外注先の試作を触った時、私の指が検知したざらつき。あれが、凝集したアルフレッドです」

 私は動かしていた両手を止め、冷たい天板へついた。

「強く混ぜれば、殻が壊れる」
「はい」
「弱く混ぜれば、粒子が集まる」
「はい」
「壊さないためには、限界まで優しく。集めないためには、限界まで激しく」
「はい」
「……完全に矛盾しているな」
「一〇〇パーセント、矛盾しています」

 私は、天板を挟んで立つ颯真の瞳をまっすぐ見据えた。

「その矛盾を解決する技術と針の孔のような小さい手順、つまり工程窓(プロセスウインドウ)を探してきました。殻を壊さず、粒子も凝集させない方法をずっと探してきました……」

 白組は五年間、数千回の失敗を重ねてきた。

 殻が割れたり、ダマになったり、粘度が落ちたり、ラボでは成功したのに工場の大きな釜では再現できなかったり……。

 一つずつ失敗を潰し、ようやく正解の輪郭が見え始めていた。

「でも、私たちの最新試作にも、どうしても取り切れない微細なダマが残っていました」

 私は、純白のサンプル管へ視線を戻した。

「なのに、これにはない。五年間、どうしても懐かなかった気難しい英国執事を、誰かが、完璧に手なずけています」

 私と颯真の視線が、同時に天板の上のサンプル管へと落ちた。
 しばしの沈黙がラボに落ちる。そして――。

「……これが。これが、あなたが言っていた流出していたサンプル、なんですよね?」

 颯真を見つめる私の声が、静寂なラボの中に響いた。