祈りを紡ぐ明日から

家に帰り、玄関を開けると――
「ひより! 良かった、良かった!」
母が勢いよく抱きしめてきた。その腕の中で、胸が痛んだ。本当は、ひよりちゃんを抱きしめたかったはずなのに。
「お母さん……私――」
言いかけた、そのとき。
「日和……もう、無理しなくていい」
父の低い声が響いた。いつもの優しい父とは違う。逃げることなく、真っ直ぐに母を見つめていた。
「母さん、もうやめよう」
「……え?」
「ひよりは亡くなった。事故だったんだ。日和を代わりにしてはいけない」
「なんで……?」
母の声が震える。
「なんでそんなこと言うの……? いるじゃない! ひよりはここにいるじゃない!」
母は取り乱し、私の腕を強く掴んだ。その手は、小刻みに震えていた。父は、ゆっくりと首を横に振る。
「ちゃんと支えてあげられなくて、ごめん」
その声も、震えていた。
「母さんが悲しむ姿を見ていられなくて……俺は逃げたんだ。本当に、すまなかった」
父が深く頭を下げる。こんな父を見たのは、初めてだった。
「朝陽と夕燈も……付き合わせてしまって、すまなかった」
その言葉に、朝陽と夕燈は視線を落とした。私は、母の前にゆっくりと歩み寄る。
「ひよ……り……」
母は私の名前を呼ぼうとして、言葉を失った。震える肩を、私はそっと抱きしめる。
「私、代わりでもいいよ」
母の身体が、ぴくりと揺れた。
「お母さんが笑ってくれるなら。幸せでいてくれるなら……それでいいの」
「……」
「十年……大切に育ててくれて、ありがとう」
声が震えそうになる。それでも、伝えたかった。
「私、幸せだったよ」
帰る家があること。「おかえり」って言ってくれる声があること。美味しくて、あったかいご飯を作ってくれること。眠る場所があって、朝になれば「おはよう」と言ってもらえること。そんな当たり前の毎日が、私には初めてだった。
「こんなふうに……誰かに優しくしてもらえるのも、初めてだった」
「ひ……より……?」
母の目から、涙がひとつこぼれた。そして、もうひとつ。堰を切ったように、ぽろぽろと涙が頬を伝っていく。
「だから……私は、お母さんの望む娘になるから」
ぎゅっと、母の背中に腕を回す。
「だから、どうかもう自分を責めないで」
「……っ」
「苦しまないで。幸せになって」
その瞬間。母の身体から、力が抜けた。
「……ごめん……」
小さな声だった。
「ごめんね……ひより……」
その言葉に、母のすすり泣く声が、家の空気をゆっくりと締めつけていた。誰も動けなかった。誰も言葉を挟めなかった。その泣き声は、十年間押し込めてきた悲しみがようやく形になったみたいで、胸の奥がじんと痛くなる。父は拳を握ったまま俯き、朝陽は歯を食いしばって立ち尽くし、夕燈は私 背中をそっと支えながら、母の涙を見つめていた。母の肩が震えるたびに、家の中の時間が少しずつ溶けていく。ひよりちゃんを失った悲しみ。守れなかった罪悪感と言えなかった本音。気づかないふりをしてきた痛み。全部が、すすり泣く音に混じって滲み出していた。