夕燈が入院していたときのことだった。病室のベッドに横になっていた夕燈が、ふいにぽつりと口を開いた。
「日和っていう子に、ここで会ったんだ」
「日和?」
「うん。歳もね、ひよりと同じなんだ」
その言葉に、胸の奥がわずかに揺れた。
「木漏れ日の家ってところにいるんだ。元気になったら、会いに行く約束をしたんだよ」
俺は、何も言えなかった。――同じ名前。同じ歳。そんな偶然があるのかと思った。けれど、すぐに頭を振る。だめだ。そんなことを考えてはいけない。亡くなった娘の代わりなんて、この世のどこにもいるはずがない。ひよりは、ひよりだ。日和という子は、ひよりとは別の一人の人間だ。そう思った。そのときは、それだけだった。けれど――。その言葉は、なぜか心の奥に残り続けた。
ひよりが亡くなって、数ヶ月が過ぎた。季節は冬になっていた。それでも、京子は変わらなかった。毎日ひよりを思い、何度も何度も自分を責め続けている。「私がもっとちゃんとしていれば」「私が気づいていれば」そんな言葉を、何度聞いたか分からない。食事もろくに喉を通らない。笑顔も消えた。家の中は荒れ果て、以前のような温かな空気はどこにもなかった。俺は、そんな京子をただ見ていることしかできなかった。このまま何年経っても。何十年経っても。妻はずっと、自分を責め続けるのではないだろうか。
そう思うと、怖かった。ふと、あの日のことを思い出す。
「お願い……死なせて」京子が、そう呟いた夜。あの声が、今でも耳の奥に残っている。ひよりを失った悲しみで、京子まで失ってしまう。そんな恐怖だけが、日に日に大きくなっていった。…もう限界だった。だからこそ、あの日の夕燈の言葉が、今になって頭から離れなくなった。
――日和っていう子に、ここで会ったんだ。
――歳も、ひよりと同じなんだ。
――木漏れ日の家ってところにいるんだ。
あのときは、ただの偶然だと思った。同じ名前の子なんて、どこにでもいる。ひよりが帰ってくるわけじゃない。だから、気にも留めなかった。けれど今は違う。
「……何を考えているんだ、俺は」
自分でも分かっている。その子は、ひよりじゃない。会ったところで、ひよりが戻ってくるわけでもない。それなのに――。もし、その子に会ったら。京子の心に、何か変化があるのだろうか。少しでも笑えるようになるのだろうか。そんな考えが浮かんでは、すぐに打ち消す。そんな理由で、何も知らない子どもに会いに行くなんて間違っている。その子には、その子の人生がある。ひよりの代わりではない。絶対に、代わりにしてはいけない。分かっている。だから、しばらくは何もしなかった。けれど、京子は変わらなかった。日が経つほどに、妻の心が少しずつ壊れていくように見えた。そして、俺はとうとう決めた。――会うだけなら。その子をひよりの代わりにするわけじゃない。何かを求めるわけでもない。ただ、一度だけ会ってみる。それで何も感じなければ、それでいい。むしろ、それが一番いい。そう自分に言い聞かせた。
その夜。京子が眠ったあと、俺は一人でリビングに残った。静まり返った部屋を見渡す。ひよりがいた頃は、もっと騒がしかった。笑い声があって。足音があって。家族の声が、いつもどこかにあった。今は、そのどれもない。俺はしばらく迷った末、携帯電話を手に取った。木漏れ日の家について調べる。
「……一度だけ」
小さく呟いた。まずは俺が会ってみよう。この子を見て、俺自身がどう感じるのか。そして――この子と関わることが、本当に京子にとっていいことなのか。それを確かめてからでも遅くはない。そう考えて、俺は木漏れ日の家へ連絡を取ることを決めた。
「日和っていう子に、ここで会ったんだ」
「日和?」
「うん。歳もね、ひよりと同じなんだ」
その言葉に、胸の奥がわずかに揺れた。
「木漏れ日の家ってところにいるんだ。元気になったら、会いに行く約束をしたんだよ」
俺は、何も言えなかった。――同じ名前。同じ歳。そんな偶然があるのかと思った。けれど、すぐに頭を振る。だめだ。そんなことを考えてはいけない。亡くなった娘の代わりなんて、この世のどこにもいるはずがない。ひよりは、ひよりだ。日和という子は、ひよりとは別の一人の人間だ。そう思った。そのときは、それだけだった。けれど――。その言葉は、なぜか心の奥に残り続けた。
ひよりが亡くなって、数ヶ月が過ぎた。季節は冬になっていた。それでも、京子は変わらなかった。毎日ひよりを思い、何度も何度も自分を責め続けている。「私がもっとちゃんとしていれば」「私が気づいていれば」そんな言葉を、何度聞いたか分からない。食事もろくに喉を通らない。笑顔も消えた。家の中は荒れ果て、以前のような温かな空気はどこにもなかった。俺は、そんな京子をただ見ていることしかできなかった。このまま何年経っても。何十年経っても。妻はずっと、自分を責め続けるのではないだろうか。
そう思うと、怖かった。ふと、あの日のことを思い出す。
「お願い……死なせて」京子が、そう呟いた夜。あの声が、今でも耳の奥に残っている。ひよりを失った悲しみで、京子まで失ってしまう。そんな恐怖だけが、日に日に大きくなっていった。…もう限界だった。だからこそ、あの日の夕燈の言葉が、今になって頭から離れなくなった。
――日和っていう子に、ここで会ったんだ。
――歳も、ひよりと同じなんだ。
――木漏れ日の家ってところにいるんだ。
あのときは、ただの偶然だと思った。同じ名前の子なんて、どこにでもいる。ひよりが帰ってくるわけじゃない。だから、気にも留めなかった。けれど今は違う。
「……何を考えているんだ、俺は」
自分でも分かっている。その子は、ひよりじゃない。会ったところで、ひよりが戻ってくるわけでもない。それなのに――。もし、その子に会ったら。京子の心に、何か変化があるのだろうか。少しでも笑えるようになるのだろうか。そんな考えが浮かんでは、すぐに打ち消す。そんな理由で、何も知らない子どもに会いに行くなんて間違っている。その子には、その子の人生がある。ひよりの代わりではない。絶対に、代わりにしてはいけない。分かっている。だから、しばらくは何もしなかった。けれど、京子は変わらなかった。日が経つほどに、妻の心が少しずつ壊れていくように見えた。そして、俺はとうとう決めた。――会うだけなら。その子をひよりの代わりにするわけじゃない。何かを求めるわけでもない。ただ、一度だけ会ってみる。それで何も感じなければ、それでいい。むしろ、それが一番いい。そう自分に言い聞かせた。
その夜。京子が眠ったあと、俺は一人でリビングに残った。静まり返った部屋を見渡す。ひよりがいた頃は、もっと騒がしかった。笑い声があって。足音があって。家族の声が、いつもどこかにあった。今は、そのどれもない。俺はしばらく迷った末、携帯電話を手に取った。木漏れ日の家について調べる。
「……一度だけ」
小さく呟いた。まずは俺が会ってみよう。この子を見て、俺自身がどう感じるのか。そして――この子と関わることが、本当に京子にとっていいことなのか。それを確かめてからでも遅くはない。そう考えて、俺は木漏れ日の家へ連絡を取ることを決めた。

