祈りを紡ぐ明日から


二十二時になっても、ひよは帰ってこなかった。朝陽は一人で探しに出ている。本当は俺も行きたかった。でも、母を一人にはできない。それに、喘息持ちの俺では思うように動けないこともわかっていた。大切な人がいなくなっているのに、俺は何をしているんだろう。焦りと苛立ちだけが募っていく。玄関先で、母が震える声を漏らした。
「ひより……ひより……。いや、いやよ……!」
電話は鳴り続けるだけで、ひよは出ない。事故か。事件か。嫌な想像ばかりが頭をよぎる。そのとき、玄関の扉が開いた。
「……朝陽!」
勢いよく立ち上がる。
「ひよは?」
朝陽は黙って首を横に振った。
「まだ見つからない。吉川ってやつとも一緒じゃなかった」
その声に、父もちょうど帰ってきて玄関を開ける。
「どうした……日和がいなくなったって」
朝陽は苦しそうに息を吸い込んだ。
「ひよは、自分が養子だって知った」
静まり返る。
「墓参りの日、俺たちの後をついてきてた」
「……え?」
思わず息を呑む。父は俯いたまま、小さく頷く。
「写真が……なくなっていた。書斎にも入った形跡があった。養子縁組の書類も見たのかもしれない」
その言葉に、
「養子……?」
母が首を振る。
「何を言ってるの……」
涙が溢れる。
「ひよりは生きてる! 私の娘よ!」
悲鳴のような叫びだった。
「もう、やめろ!」
朝陽が怒鳴る。家中に響くほど大きな声だった。
「ひよりは死んだ!」
息を切らしながら叫ぶ。
「もう、いないんだ!」
「違う……違うわ……」
母は首を振り続ける。朝陽は震えながら続けた。
「俺が靴紐をほどいた」
その場の空気が凍る。
「サッカーの試合についてきてほしくなくて……追いつけなくして、一人にした!」
拳を強く握り締める。
「だから死んだんだ! 俺のせいなんだよ!」
「違う!」
気づけば俺も叫んでいた。
「俺のせいだ!」
喉が痛い。それでも止まらなかった。
「ひよりと喧嘩した! 大事な図鑑を破かれて、『出ていけ』って言った!」
胸が苦しい。
「だから……俺のせいだ!」
「そんな……違う違う違う違う」
母はその場へ崩れ落ちる。頭を抱え、震えていた。もう限界だった。
「違う!ひよりは生きてるわ」
母が歪な笑みを浮かべた。それを見た瞬間、
「もうやめてよ!」
誰よりも大きな声だった。朝陽も父も、驚いたように俺を見る。息が苦しい。胸が痛い。それでも、言わなきゃいけなかった。
「ひよは、ひよりの代わりなんかじゃない!」
涙で視界が滲む。
「ひよは青が好きなんだ!
ショートケーキじゃなくて、チョコレートケーキが好きなんだ!ひよりとは違う!」
声が震えた。
「ひよは……ひよなんだ」
誰も何も言わなかった。静寂だけが部屋を包む。
「……探してくる」
歩き出そうとすると、
「俺が行く」
朝陽が腕を掴んだ。
「お前はここにいろ。身体に悪い」
心配してくれているのはわかる。でも。
「大丈夫」
真っ直ぐ見返す。もう止まれなかった。朝陽はしばらく黙っていたが、小さく頷いた。
「……わかった。行くぞ」
急いで靴を履く。振り返ると、母は座り込んだまま泣いていた。父がその背中をさすっている。
「父さん」
声をかける。
「母さんをお願い」
父は目を閉じ、小さく頷き頭を下げた。
「……ああ、すまない」


一通り探し終えているようで朝陽がこちらをみた。
「あと考えられる場所は?」
朝陽の声にも焦りが滲んでいた。胸の奥がざわつく。思い浮かぶ場所は、一つしかなかった。
「……祠」
その一言で、朝陽の表情が変わる。
「あそこか」
次の瞬間。夜空を覆っていた黒い雲が裂けるように、激しい雨が降り出した。土砂降りだった。地面を叩く雨音が、鼓動と重なる。もし。あの窪みに落ちていたら。その考えは、俺だけじゃなかった。朝陽も同じことを思ったのだろう。顔色が一気に変わる。
「まずい……急ぐぞ!」
「うん!」
走る。雨が容赦なく身体を打つ。心臓が痛い。呼吸が苦しい。肺が焼けるようだった。それでも足は止められない。ひよりは救えなかった。だから今度こそ。ひよだけは、失いたくなかった。