祈りを紡ぐ明日から

魔が差したんだと思う。ひよりは、いつも俺についてきては、「疲れた」「つまんない」「帰りたい」文句ばかり言う。
その日はサッカーの試合だった。ずっと楽しみにしていた。邪魔されたくなかった。だから、ほんの出来心だった。ひよりの靴紐を、こっそり解いた。靴を履くのに時間がかかれば、追いつかれない。それだけのつもりだった。
――その日、ひよりは事故に遭った。俺に追いつけなくて、一人で遊びに行ったらしい。全部、俺のせいだ。俺が靴紐を解いたから。俺がひよりを一人にしたから。自分を責めた。何度も、何度も。責め続けた。

しばらくして、妹になったのは日和だった。母は何事もなかったように、日和を”ひより”として迎え入れた。ひよりが背負うはずだったピンクのランドセルを、見ず知らずのやつが背負っている。その光景を見るたびに、腹の奥が煮えくり返った。父も、夕燈も、当たり前みたいに受け入れていた。それがまた、気に入らなかった。母は相変わらず言う。「朝陽はしっかりしてるから大丈夫ね」その言葉を聞くたびに思う。また俺か。また「大丈夫」で終わるのか。
母の目は、いつも夕燈と日和に向いていた。悔しくて、腹が立って。ある日、夕燈のふりをして日和に話しかけてみた。騙されると思った。なのに。「朝陽」振り向いた日和は、迷いなく俺の名前を呼んだ。見破られた。家族だって間違える。ひよりだって見分けられなかった。それなのに、家族になってまだ数か月しか経っていない日和は、一瞬で見抜いた。不思議なやつだった。明るくて、よく笑う。ひよりとは全然違う。わがままなんて言わない。俺のショートケーキの苺を取るどころか「食べる? 朝陽、苺好きでしょ?」なんて笑って差し出してくる。調子が狂う。そんな日和と暮らすうちに、いつの間にか家の中が賑やかになっていた。

中学生になった頃。朝から身体が重かった。熱があるのはわかっていた。でも、誰にも言わなかった。言ったところで、何も変わらないから。授業を終え、家に帰ると、そのまま自室のベッドへ倒れ込む。しばらくして、控えめなノックが響いた。コン、コン。
「朝陽〜」
扉が少しだけ開いて、日和がひょこっと顔を覗かせる。
「寝る。邪魔すんな」
そう言ったのに、あいつは遠慮なく部屋へ入ってきた。
「なんだよ」
「朝陽、熱あるでしょ?」
思わず目を見開く。
「……なんで」
「朝から調子悪そうだったから」
日和は自分の眉間を指差した。
「いつもより、ここに皺が寄ってた」
そう言って、にっと笑う。手に持っていた袋をごそごそと漁り、中からゼリー、経口補水液、冷却シート、体温計、解熱薬を次々と机に並べた。
「私が看病してあげる」
その笑顔を見て、思わず息が漏れる。まったく、おせっかいなやつだ。
「……勝手にしろ」
ぶっきらぼうにそう返すと、日和は「はーい」と嬉しそうに笑った。その笑顔を見ていると、不思議とさっきまでの身体の重さが少しだけ軽くなった気がした。