「新学期に入ったので、席替えをします」
ホームルーム中、唐突に告げられて、困惑する。この席、結構気にいっていたのに。
ど真ん中になってしまったらどうしよう。四方を人に囲まれているなんて、居心地が悪すぎる。
「次、垣根さんどうぞ」
どうか、隅の目立たない席になりますように。
願いながらくじを引く。幸いなことに、真ん中は回避した。
けれど、窓側の列の最前席だった。よりによって、いちばん前の席を引き当ててしまうなんて。左側と前に人がいないのはありがたいけれど、最前列はまた違う居心地の悪さがある。
いちばん後ろの端に座っていた横田くんが、くじを引く。これで、全員がくじを引き終わったようだ。
はやくも引き当てた席に対するブーイングが飛び交っている。
担任の合図で、いっせいに移動をはじめる。さっきまで静かだった教室が一気に騒がしくなった。
廊下側から窓際へと移動しないといけないから、大変だ。もっと引き出しの中を軽くしておくんだった。
やっとの思いで移動し終わる。窓側の席は太陽の光が思っていたよりよく当たる。前の席だから黒板との距離も近い。それに、クラスメイトのようすがほぼ見えない。
席が違うだけで、こんなにも雰囲気が変わるなんて。
「あれ、椿季さん」
突然横から声がして、振り返る。するとそこには、目を丸くしている雫途くんがいた。
「椿季さん、ここの席なの?」
たずねられて、こくりとうなずく。すると彼は、ふわりと目を細くした。
「やった。となりじゃん」
がたん、と机が置かれる。
「え」
「よろしくね、椿季さん」
まさか、彼が隣になるなんて。
「出席番号、何番?」
「13」
信じられなくて黒板をみると、たしかにわたしの番号のとなりに【13】と書かれている。
「ほんとだ……」
「どこ疑ってんの。あはは」
週に一度話すだけの関係は、これから少しの間だけ、変わるらしい。
★
ホームルームが終わるとすぐに、雫途くんの席には人が集まってきた。
その中には横田くんの姿もある。
「雫途、いちばん前じゃんか。がんばれよ!」
「僕はようやく後ろの席になれたよ」
「あたし、ど真ん中になったからみんなと喋りやすいよ」
「前って授業中たくさんあてられて嫌な感じするけど、窓側のほうは意外とあてられないらしい」
雫途くんはみんなの話を聞きながら、肩をすくめている。
「隣、垣根さんなんだ」
輪の中のひとりがそう言った。思わず顔がこわばる。たくさんの視線がわたしに刺さった。
心臓が鼓動を速める。
何を言われるのか。それとも、何も言われないのか。視線はどう動くのか。
「垣根さん、その席寝ててもばれにくいらしいよ」
「てか、垣根さんと俺あんまり話したことないかも」
「垣根さんって、普段どんなことしてるの?」
降ってきた言葉は、想定とは違う、とげのないものばかりだった。振り向くと、にこやかな笑みと対峙する。その中には、フルーツポンチに誘ってくれた女の子の姿もあった。
「え……っと」
こんなに話しかけられるのは初めてで、もたついてしまう。誰に何をいわれたのかもわからない。名前もわからない。
だけど、話しかけられているから、なにかしら返さないといけない。
どうしよう。
わたしが黙っているから、きっとみんなも困惑している。汗がにじむ。
そのとき「あのさ」と声がした。
「椿季さん、困ってるから。いつもみんなの相手してる俺とは違うのー」
わたしと彼らの間に手を挟むようにして、雫途くんが笑う。
「ごめんごめん。つい、たくさん話しかけちゃった」
「また今度、ゆっくり話そうね」
「驚かせてごめんな、垣根さん」
みんなは口々にそう言って、雫途くんの席を離れていった。
「ノンストップだから聞き取るのも大変だよね」
彼が苦笑する。いつも、彼はなんなくこなしているから、難しそうに見えないのに。
全員の話を聞いて対応するのが、こんなに大変なことだったなんて。
「でも、みんないい人たちだからさ。椿季さんがいいなら、仲良くしてやってよ。きっとみんな、椿季さんと話したいと思うから」
「……うん」
びっくりしたけれど、どれもあたたかい言葉と視線ばかりだった。雫途くんと関わっていると、彼が持っている交友の渦に自分もまきこまれていくような気がする。
篠木さんや、アヤキさんもそうだ。彼と一緒にいるだけで、新たな関わりの輪がひろがっていく。
「そういえば、今日、これから空いてる? 部活オフだから、仮面読書会の準備しようよ」
雫途くんがにっこり笑う。うなずくと、「決まりね」と雫途くんは席を立った。
「一緒にいく?」
つい頷きそうになったけれど、廊下を一緒に歩くのはなんとなく避けておきたかった。
「わたし、鞄の準備にもう少しかかるから。先に行ってて」
手を振ると、軽くうなずいた雫途くんは、鞄を持って教室を出ていった。
⭐︎
図書室には今日の図書当番がいるため、空き教室で作業をすることにした。机にいくつかの白い仮面を並べる。
「できるだけカラフルにしたいよね」
「模様もいろんな種類がほしいな」
雫途くんが腕組みする。
「椿季さん、絵得意?」
「まったく。雫途くんは?」
「俺も。模写とかはできるんだけど、デザイン系はてんでダメ。女の子向けの可愛いのとか、特に。できる気がしない」
それに、何十個もある仮面をふたりで作るのはさすがに無理がある。
「どうしよっか……」
雫途くんが困ったように息を吐きながら、この空き教室内を見回す。
ここには、筆が何本も置いてあった。これは美術用の筆だ。この教室に来るまでの廊下にも、ずらっと絵が並んでいたのを思い出す。
絵を描ける人って、本当にすごい。
感心していると、いきなりガチャッとドアが開いた。入ってきたのは、フルーツポンチに誘ってくれたあの女の子だった。
「ええ!? 黒部くんと垣根さん、なんでこんなところに」
目を丸くしている。雫途くんが「サツキさんこそ、どうしてここに」と声を上げる。
「どうしてって……ここ、美術部の部品管理場所だから」
「美術部?」
「そう。ほら、筆とか絵の具とかあるでしょ」
たしかに、筆や絵の具が多いとは思ったけれど。美術の授業で使う部屋なのかと思っていた。
「今は校内の風景画をしてるからここは使ってないんだけど、あたしはもう描き終わっちゃったからやることないし」
それで帰ってきたとこなの、と説明される。フルーツポンチ女子──サツキさんが、美術部だったとは知らなかった。なんとなく、運動部かと思っていた。
「ふたりは、どうしてここに?」
サツキさんが首をかしげる。
「実は、文化祭のイベントの準備しててさ」
「え、何かするの!?」
「図書委員会で、催しやるんだ」
雫途くんが言うと、サツキさんは目を輝かせた。
「どんなことするの!」
「まだ詳しくは言えないけど、この仮面を使おうと思ってるんだ。でも、このままだとシンプルすぎるだろ。だから飾りつけようと思ってるんだけど、うまくできそうになくて」
「えー、いいなぁ。あたし、こういうの大好き!」
サツキさんがパチンと手を合わせる。
ハッとして雫途くんのほうを見ると、雫途くんも同じ顔でわたしを見ていた。
「サツキさんは、もう自分の作品を仕上げたんだよね?」
「うん。他にも、終わってる子は多いよ」
うなずくサツキさんに向き直る。
わたしの横に雫途くんも並んだ。
「サツキさん。文化祭準備、手伝っていただけないでしょうか」
「手伝う? あたしが?」
「誰もが被りたくなるような、わくわくするような仮面を、どうか作ってもらえないでしょうか。もちろん、わたしたちも協力します。でもデザインは……きっとサツキさんたちのほうが、素敵なものを作り出せる」
お願いします、と頭を下げた。
「垣根さん、顔をあげてよ。黒部くんも」
サツキさんの声が降ってくる。顔をあげると、微笑むサツキさんの顔があった。
「喜んで協力するよ。あたしたち美術部にできることなら、なんでも」
「ほんとに?」
「もちろん。第二美術室のほうにも暇してる子がいると思うから、黒部くん、呼んできてよ」
わかった、と雫途くんがうなずいて教室を出ていく。
「サツキさん、本当にありがとう」
図書委員会の企画に、こんなにも快く加わってくれるなんて。胸がいっぱいになる。
サツキさんはふふっと笑った。
「"サツキさん"って、距離感じるから名前にしよ。あたしの名前はサツキヒマリ。早いに月、日にちの日に鞠つきの鞠だよ」
早月日鞠。さっきまでカタカナで浮かんでいた名前がかちりとはまる。
サツキ、というのは苗字だったんだ。てっきり名前だと思っていた。
「あたしは垣根さんの名前知ってるよ。ツバキ、でしょ」
「えっ」
まさか知られているとは思わず声が洩れる。彼女はけらけらと笑った。
「なんで驚いてるの。クラスメイトなんだから、それくらい知ってるよー」
「……わたし」
「今覚えてくれた、でしょ?」
わたしの言葉を先回りするように告げられる。日鞠でいいよ、と柔らかい声が耳を抜けた。
「ひ、まり」
「そうそう。よろしくね、椿季」
ぱあっと花が咲くような笑みを見る。
想像していた人と違った。こんなに気さくなひとだったなんて。
この前、グループで雫途くんの会話をしていた時は、もっとこわい人なのかと思っていた。
「……っ」
そうだ。彼女は以前、雫途くんの話をしているグループにいた。
『てか、ひとりだけ下の名前で呼んでんじゃないよ』
『抜け駆け、禁止!』
『えへへ、ごめんなさーい』
彼女たちの会話がフラッシュバックする。抜け駆け、と言っていた。窓の反射で映った日鞠の姿が思い起こされる。
雫途くん、と呼んでいるわたしは、日鞠にとっては、抜け駆けをする敵なのではないか。今は仲良くしてくれているけれど、雫途くんが帰ってきて、関わりだしたらきっと隠し通すことはできない。
そうしたら、わたしはまた、あの目を。
「わたし……その。図書委員だから、一緒に活動してるだけで。な、仲良く見えちゃう部分もあるかもだけど、それは」
誰とは言わずに、たどたどしく続ける。自分でもなにを言っているのか、誰に弁明しているのかわからない。
すると黙っていた日鞠は、なにかを思いついたように「ああ」と声を洩らした。
「もしかして、黒部くんのこと?」
ぎくりとする。ゆっくりうなずくと、「なにか聞いたの?」と問いかけられた。
「この前の移動教室のとき、廊下で花火のこと話してるの聞こえちゃって……」
「ああ、たしかに話してた気がする。もしかして、抜け駆け、って聞こえちゃった?」
びくりと肩が跳ねる。
脳内に冷えきった声が聞こえた。
『最悪。ツバキも私の敵だったんだ。友達だと思ってたのに』
それと同時に、浮かんでいた"あの子"の顔が歪んでいく。涙がにじんで、わたしをにらみつける目。
……こわい。あんなふうに思われるのは、もういやだ。
「……っ」
なにかを咎められるのかと思って身構えると、「こわいよねぇ」と伸びやかな声が返ってきて拍子抜けする。
「あの子たち、よくその言葉使うからさ。どこまで本気かはわからないけど、まったくの冗談っていうふうにも思えないし」
「え」
「実を言うとさ、あたし、合わせてるだけなんだよね。黒部くんのことも、推しとか、好きぴとか、そういうふうに思ってないし。抜け駆けとか意味わかんないなって思ってるんだ」
衝撃的な言葉に息を呑む。
グループに馴染んでいるように思えたのに、彼女たちとは違う思考をしていたなんて。
「1学期がはじまって最初に仲良くなった子たちだったからさ。はじめはよかったんだけど、付き合っていくうちにだんだん合わないかも、って。でも、いまさら他のグループにいくとか無理だし、我慢するしかないなって思ってたの」
「……そうだったんだ」
「移動教室も、休み時間も、一緒に行動することが多いからさ。グループでがちがちに固めてるって感じだし。あたしはもっといろんな人と関わって、話したい」
だから雫途くんにも声をかけていたし、わたしにもフルーツポンチの誘いをしてくれたのかもしれない。"抜け駆け"を厭わず声をかけていたのは、彼女自身が、抜け駆けをくだらないものとしてとらえていたから。
「だからこうして椿季と仲良くできるのは嬉しい」
日鞠がにっこり笑う。心の中でがちがちに縛り付けていたものが、ゆるりとほどかれるような予感がした。
ドアが開いて、雫途くんが顔をのぞかせる。彼に続いて、何人かが教室に入ってきた。
「お話は黒部くんから聞きました。私たちにも協力させてください」
「わたしこういうデザイン大好き! 楽しみすぎる」
「絶対かわいい仮面作るね!」
わたしたちの仕事を押し付けてしまうのではないかと心配していた。けれど、ここにいる人たちはみんな、いきいきとした表情をしている。
「椿季、まかせて!」
日鞠が親指を立てた。瞳が合う。
フルーツポンチに誘ってくれたときのような、よどみのない、まっすぐな目だった。
「……ありがとう」
なぜだか泣きそうになってしまう。わたしの肩をそっと叩いて、日鞠は仮面の近くにいる、美術部の輪の中へと歩いていった。
仮面のデザインは美術部の人たちにまかせることにして、わたしたちは会場設計や短冊の準備をした。あっというまに18時になってしまう。
「いくつかデザイン案完成したよ!」
さすが美術部の人たちだ。この短時間で、案を出せるなんて。
「まだ風景画を描いてる子たちも、もうすぐ合流できると思うから。そしたらきっと文化祭までに間に合うよ」
「本当にありがとう」
「じゃあ18時だし、そろそろ帰ろっか」
日鞠がそう言って鞄を持った。他の人たちも各々、帰る支度をはじめる。
「椿季も一緒に帰ろうよ」
え、と声が洩れた。今まで、誰かと一緒に帰ったことはなかったから。でも、日鞠となら。
日鞠の目がわたしを見つめている。
「うん。あ……でもちょっと待って。お母さんに連絡したいことがあるの」
たまに帰りに買い物を頼まれることがあるから、それを確認したい。そう思い、鞄を覗き込む。
スマホが、なかった。どうやら教室に置いてきてしまったみたいだ。
忘れたのがたとえば筆箱なら。髪をとかすコームなら。諦めて帰れたかもしれない。
でも、スマホは無理だ。置いて帰れない。
「ごめん。教室に忘れ物したから、取りに行ってから帰るね。待たせちゃうの悪いし、先帰ってて」
「全然待つけど……まぁ、急に誘っちゃったし。じゃあ今度一緒に帰ろうね」
ひらひらと手を振って日鞠が出ていく。美術部全員が出て行って、空き教室にはわたしと雫途くんだけが残った。
「早月、待つって言ってたのに」
「そうだけど、遅くなっちゃったら嫌だし。それに、名前を知って、話して、仲良くなれた。それだけで今日は満足だよ」
「そっか。それなら、よかった」
雫途くんがふっと息を吐く。
「じゃあわたし、スマホ取りに行くから。またね」
「うん。椿季さん、また明日」
ぺこっと少しだけ頭をさげる雫途くん。それから振られた右手に、自分の右手を振り返した。
美術部の絵を見ながら教室に向かう。
それにしても、スマホを忘れるなんてついてない。なにか重要な連絡が来てないといいけど。
急ぎ足で教室に向かう。【2-2】のプレートを確認して、中に入ろうとした時だった。
「……っ」
足が、とまる。教室のなかに、誰かが残っていたからだ。
窓際、3列目。女子生徒が、座っていた。以前見た光景と重なる。
長い黒髪が、机までのびている。影に夕日があたって、輝いている。
いったい、どうしてあの席に座っているのだろう。誰なのだろうか。
わたしは窓際の最前列までスマホを取りにいかないといけない。彼女にばれずにスマホをとるのは、不可能だ。急に教室に入ったら、驚かせてしまうかもしれない。
「あの……」
おそるおそる声をかけると、彼女の肩がびくりと跳ねた。くるりと、彼女が振り返る。髪が綺麗に宙を舞った。
思わず、言葉を失う。対峙した顔を、わたしは知っていた。
「これはっ」
彼女が立ちあがる。がたん、と音がした。
瞳を左右に揺らしながらわたしを見ていたのは──晴里だった。



