光にかわる明日から



 向かい合う雫途くんのまなざしが真剣なものになる。
 静まった図書室に、ふたりの息遣いだけが響いた。


「俺さ。今まで誰かを特別だって思ったことがないんだ。全員が同じで、全員に優しくするし、全員どうでもよかった。好かれてても、嫌われてても、なんにも思わない。どうせすぐに関わらなくなる、忘れるって」


 彼は、ほんの少し泣きそうな、見たことのない目をしていた。
 わたしの知っている彼はいつだって笑っていて、仮面をかぶっている。自分が傷ついていることにも知らないふりをして、へらへら、へらへら笑っている。
 今日だって、そうだった。

 そんな彼が、今、わたしを見ている。傷つくのを恐れるような顔をして。


「でも、椿季さんには嫌われたくないと思った。椿季さんのこと見てると、優しくしたいなって、思う。どうでもいいんじゃなくて、一緒に、近くにいて、椿季さんがどう思うのか、どう考えているのか、知りたい。俺にとって椿季さんとの関係は、きっと、どうでもよくないんだなって気づいた」


 ひらり、短冊が落ちる。


【本当の自分を見せたくない】


 これは、雫途くんのものだったんだ。
 本当の自分を見せたくない。そう言っている彼が、心のいちばん近い部分を、見せようとしてくれている。



「好きだよ、椿季さんのことが」



 彼の瞳が揺れる。うまれてはじめて、こんなにまっすぐな言葉を受けた。
 どくん、と鼓動が聞こえる。彼だけにピントが合う。

 こんなにも真正面から、逃げることなく、誰かの目を見ることができる日が来るなんて。
 人との距離を保って、逃げてばかりのころの自分は、きっと彼のやさしさに気が付くことも、彼の傷に触れることも、彼の言葉を信じることもできなかっただろう。
 また冗談を言っているだけだろうと彼を疑っていたかもしれない。

 けれど今は、わかる。
 彼がわたしに近づく分、わたしも彼に惹かれていた。同じ気持ちが、きっとわたしにもある。



「椿季さんとは、なんにも影響を与えない距離じゃなくて、傷つけたり、傷ついたりする距離にいたいって思うし、同じように思っててほしい。俺も、向き合いたいって、思ったよ」


 わたしの短冊の言葉。向き合いたい。
 向き合うということは、きっと、傷つけて、傷つけられることもあるだろう。それでもそこから逃げたりしない。関わることを、選び続けたい。


「わたしも……これからは、関わることをやめたくない。こわいんだけど……でも、それでも誰かと関わっていたい。ひとりぼっちで閉じこもるのは、もうやめたい」


 彼がひろげてくれた輪の中で、彼との関わりのなかで、たくさんの感情に触れた。


「わたしはちょっとしたことですぐ傷ついちゃうし、傷つけることもあると思う。だけど、できる限り頑張ってみようと思う。保身のために切るんじゃなくて、関係を大事にする努力をしたい。だから……」


 雫途くんの目を見つめた。彼はずっと、わたしの目を見てくれている。
 思い返せば、出会ったときから、ずっとだ。


「だからもし、わたしがくじけそうになったら、雫途くんに応援してほしい。逆に、雫途くんが苦しい時は、わたしが応援したい。雫途くんには誤魔化すためじゃなくて、素直な気持ちで笑っててほしいから」


 この、気持ちは。
 雫途くんの瞳が揺れる。深呼吸をして、つづけた。


「わたしも、雫途くんのこと、好きだよ」


 いつからだろうか。
 拒絶しようとすればするほど、どんどん彼に惹かれていった。

 彼を知る前のわたしには、もう戻れない。


 雫途くんが、目元に手を伸ばした。
 透明な目から、ぼろぼろと水滴があふれている。雫途くんはそれを懸命に拭っていた。


「あれ……なんで、止まんないんだけど」


 彼は、笑っていた。それなのに、目からは大粒の涙がこぼれている。


「まじで、ださ……」
「いいじゃん。いつも笑ってばっかりなんだから」
「そういう問題じゃ、ないし」


 その光景を見て、なぜだかわたしのほうまで泣きそうになってしまった。
 目頭が熱くなる。


 しばらくその場で、彼の姿を見つめていた。
 ふたりきり。ずっと、嫌だと思っていたはずなのに。


 今はとても心地が良くて、あたたかい温度をしていた。



˚₊‧☆‧₊˚


 図書室を改めて見まわす。片づけは、結局、明日することになりそうだ。


「静かだね」
「図書室だからね」
「もう、そういうことじゃないよ」


 雫途くんがけらけらと笑う。さっきまで泣いていたくせに。
 ほんの少しだけにらんでみると、「ごめんね」と返される。けれどまだ口角はあがったままだ。


「椿季さん、反応面白いから、つい」
「つい、じゃないよ。意地悪善人」
「あはは。それ、久しぶりに聞いた」


 雫途くんが軽やかに笑う。


「ところで椿季さん。さっきのって、付き合ってくれる、っていう意味?」


 悪戯っぽい表情で、雫途くんが聞いてくる。わたしも好きだと言ったのだ。答えなんてわかりきっているはずなのに。
 からかわれているのが悔しくて、こちらも同じように口角をあげてみた。


「どっちだと思う?」


 すると雫途くんは、動揺したように瞳を揺らした。彼ならいつもどおり笑って、返してくると思ったのに。


「……わかんないよ」
「なんでそこで自信がなくなるの?」


 不安そうな顔をする彼に、思わず笑いが洩れる。


「ごめん、そんな反応されるとは思ってなくて。わかるでしょ、好きって言ったんだから」
「そっか……よかった」


 安堵の表情を浮かべる雫途くん。彼は本当に、よくわからない。
 からかってきたと思ったら、変な部分で自信をなくす。
 笑っていたと思ったら、急にぼろぼろ泣き出すし。

 それでも彼が、やさしいことだけは、ずっと揺るぎなく伝わっている。


「椿季さん」


 名前を、呼ばれた。彼の瞳の中に、わたしが映っている。




「2人で帰る?」




 今まででいちばん優しい響きに、自然と口角があがる。
 息を小さく吸い込んで、


「うん」


 はっきりと、うなずいた。









了