光にかわる明日から



「晴里、ご飯ができたわよ」


 ママの声に「もう少ししたら行く!」と返事をして、ベッドにダイブした。

 スマホを開いて、リボンのアイコンをタップする。私のお気に入りの加工アプリだ。

 友達と撮ったプリクラを編集するのが、遊びから帰ったあとのマイルール。


 プリクラで撮っても、物足りない。目の大きさと瞳の大きさを調整して、まつ毛も付け足す。鼻をもっと小さく、筋をはっきりとさせて唇は薄く。髪の色も若干薄くしておく。

 自分の納得の出来になったら、それを友達に送る。友達からも加工済みのプリクラが送られてきたら、それでようやくプリクラが完成する。

 インスタを開いて、ストーリーに投稿する。最近はあまり派手にアレンジせず、プリクラを単体で載せるのにハマっているのだ。

 アイコンがオレンジ色に光ってから、わずか5秒ほどでハートのマークが赤くなる。いいねが届いた証拠だ。

 知らないアカウントだった。
 私のアカウントは公開アカウントだから、どこの誰かも知らない人が私のインスタを見ているということがある。
 いいねがつくとうれしい。誰かが私のことを見て、そのうえいいなと思ってくれるなんて。


 手があたり、画面が右にスクロールされる。カメラが起動してしまって、心臓がぎゅっと縮み上がる。反射的に、スマホに手を伸ばすと、その拍子にパシャっとシャッター音が鳴った。


……うわ、さいあく。


 アルバムから、おそるおそる撮れた写真を開く。そして、すぐに消した。


 プリクラとは別人の顔。きっと、私のアカウントだけ見ている人は、街ですれ違っても私には気が付かないだろう。いや、そんなはずはない。ちょっときれいにはなっているけど、きっと面影は残っているはず。うん、どう考えてもこれは私だ。
 最近削除した項目からも写真を消す。よし、これで醜い顔とはおさらばだ。


 みんな、かわいいものがすきだ。
 顔だって、かわいいほうがいいに決まっている。つるんとした肌をしていて、鼻は絵に描いたみたいに小さくて、目は漫画に出てくるヒロインみたいにきゅるきゅる。加工したって、それでかわいくなれるならいいじゃない。
 スマホから視線をあげる。いつのまにかカラコンが乾燥していた。そんなに凝視していたのだろうか。ぱちぱちと何度か瞬きをすると視界がクリアになった。よかった、と安堵する。


 最前列の席に、女子のグループが集まっていた。
 彼女たちの顔をつい観察してしまう。ひとりは目が大きいけど、肌があんまりきれいじゃない。その隣にいる子は薄い顔立ちをしているからあまり目立たない。鼻筋はきれいだけど、目が細めだ。アイプチで二重にしたらいいのに。
 まるで鑑定するみたいに、じろじろと見てしまう。この癖がついたのは、自分の容姿にコンプレックスを抱くようになってからだ。
 その集団のなかで、ひときわ目立っている人物がいる。悔しいけれど、否定する箇所がどこにもない、限りなく完璧に近い顔。モデルのように顔が小さいのに、目は大きい。それぞれのパーツがあるべき場所にきちんとはまっている。美しい横顔、すらりと伸びた背。涙袋も鼻筋もあるのに、厚化粧感のないナチュラルメイク。


「篠木さんもプリクラ撮らない?」
「あー、わたしはいいかな」
「えー、篠木さんって、あんまりプリとか撮らない感じ? インスタとかにあがってるのも見たことないけど」
「あんまり、得意じゃないから」


 困ったような声すら透き通っている。
 聞いたことがある。プリクラは、かわいい人だと少し変になるらしい。盛れるということは欠けているパーツがあって、篠木こすもみたいな完璧な顔の人間は、目が大きくなりすぎたり鼻が小さくなりすぎて宇宙人みたいになるのだと。
 プリクラより実物のほうがかわいいなんて、どうかしている。お金を払って顔を進化させている私と違い、彼女の場合はむしろ退化するのだ。メリットなんてひとつもないのだから、話に乗る必要がない。

 ずるい。顔なんて、ただ生まれ持っただけのくせに。たまたまきれいな遺伝子の家系に生まれ落ちて、なんの努力もなしに整った顔が用意されているだけのくせに。お金もかからなければ、容姿でばかにされることもない。
 顔につられて寄ってくる人だってたくさんいる。かわいいから友達になりたかったの、と言われているところを何度も見た。

 そのたびに、彼女はそれが当たり前みたいな顔をする。下手にでることなんてなく、むしろ少し冷めているようにも見えるのに、彼女のまわりから人がいなくなることはない。まるで彼女は美しい花で、それに周囲の蜂が吸い寄せられていくみたいだ。


 ピロン、とスマホが音を立てる。インスタの通知だった。


【加工やば】


 その文字だけが浮かび上がって見える。ひゅっと心臓が縮んだような気持ちになる。おそるおそるタップすると私のプリクラのストーリーに飛んだ。下のほうにコメントがランダムに表示されている。吹き出しを指で押すと、コメント欄が開いた。かわいい、可愛すぎる、会ってみたい、などのコメントに紛れるようにして、加工やば、の文字がたしかに残っている。


「……きも」


 コメントからアカウントに飛んで、即座にブロックする。
 それから、コメントを削除した。不特定多数の人が褒めてくれる一方で、こういうふうにひどいコメントをする人もいる。加工が、加工がって。たいして実物と変わらないのに。もし違っていたとしても、加工して何が悪いの。
 フォロワー462人、フォロー中230人。なかなかフォロワーが増えない。私がフォローしているインフルエンサーはフォロワーが1万人を超えている人たちが多い。少なくとも、1000人はいる。
 私は、ほぼ毎日インスタを更新しているのに。どうして1000人はおろか、500人もいかないのだろう。

 暗めの系統でまとめた投稿も、日常をのせたハイライトも、気に入っている。それなのに、周囲からの評価が見合っていないように感じる。私はこんなに、一生懸命なのに。


 チャイムが鳴る。篠木こすもはひらひらと手を振って、教室を出ていった。
 唇が痛い。噛みしめた歯の感触が残っている。

 ずるい。ずるい、ずるいずるいずるい。



 篠木こすも。私は彼女が嫌いだ。整った容姿と賢い頭脳を持っている。あまり笑わず、自分からは人に絡むことはないのに、異性からも同性からも人気であり、常に輪の中心にいる。



 恋愛で、さえも。


────彼女は、私の欲しいすべてを持っている。



 黒部くんは入学当初から噂になっていた。かっこよくて、誰にでも分け隔てなく笑顔を振り撒く存在。少女時代に夢見た王子様がいるとするならば、きっと黒部くんのような人なのだと思った。


『吉田さん、細かいところまで綺麗にしてるよね』
『え?』
『あ、爪。すごく綺麗だなって……って、こういうの俺に言われても困るよな。ごめんキモくて』


 言われたことが、なかった。私の指先に注目してくれる人なんて、今までにいなかったから。どんなに綺麗に爪を切って、磨いて、ケアをしても、爪どころか誰も私の存在なんか気にしない。見ない。気づいてくれない。



『っ、そんなこと、ない!! うれしい……とっても』



 その日から、黒部くんは私の王子様だった。
 私は、勘違いをしていたのだ。いくら絵本の王子様が素敵でも、それに見合うお姫様が存在する。そんなお姫様は生まれた時から決まっていて、役割を与えられていて、私はそのお姫様ではないということ。読んでいるだけでは、絵本の中の王子様に手が届くことはないように。彼の隣を歩くのは、私ではなかった。


『篠木!』


 まるで彼が隣を歩くことを当たり前とでもいうように。彼女は──こすもは、平然と黒部くんの隣を歩いている。いつものように、淡々とした表情で。

 私の痛みを、知ることもなく。




 夏休み中に一度だけ、図書室に行ったことがある。司書さんがいるだけで黒部くんはいなかったけれど、貸し出し記録が残っていた。
 そこで、篠木こすもの字を見た。

 独特な字だったから、記憶に残った。


【わかります】


 短冊の裏側を見た瞬間、心臓が焼かれるような思いがした。
 間違いなく、こすもの字だったからだ。もし別人だとしたら。そんな可能性を考えるまでもなく、気づけばこすもに声をかけていた。


 案の定、それはこすもの返事だった。

 喉から手が出るほど欲しい容姿を持っているこすもが、わたしの短冊に【わかります】と返事している。これほど、くやしいことはない。


 わかるわけない。わかられて、たまるか。
 容姿で苦労することなんて、何もないくせに。


「あなたは容姿で困ったりしない。私の気持ちはわからない。可愛いからって理由で友達になろうって言われたり、他クラスにも知られていたり。あなたにとっての当たり前は、当たり前じゃない。私だってそんなふうになりたかった」


 喉の奥が熱い。


「黒部くんとも仲良くできて、ずるい」


 なんの苦労もせず、当然みたいな顔で並んでいる。不公平だ。


「黒部はわたしの幼馴染み。別に付き合ってるわけじゃないよ」


 こすもが私に向かって言い放つ。幼馴染み。だからなに?なにが安心材料になるっていうの。むしろ、関係性の深さを自慢されたようなものだ。


「っ!!」


 いつものように真顔で告げるこすもを睨んだ。

 ずるい、ずるい、ずるい。なんでも持っていて、私みたいに惨めな思いをすることはきっとない。



「なんなの? どういうつもりでこれを書いたの? 馬鹿にしてたんでしょ」
「そんなわけない。共感したからそう書いた。それだけ」
「じゃあ、代わる?」


 とうとう、口をついた。

 代わる?と。
 
 そう言うと、みんな黙る。本心で私と代わりたいなんて思っている人など、いないのだから。どんなに自分を卑下したところで、結局はみんな、自分のほうが"マシ"だという。そういう気持ちが、透けて見える。

 こすもがゆっくりと私を見つめた。澄んだ瞳だった。


「代われるなら、いくらでも」


 頭に血が上った。どうせ代わることなどないから、余裕なのだ。
 腹が立つ。本当は、そんなこと思っていないくせに。

 代わる、と彼女は言った。今までのどの回答とも違う答えを彼女は出したのに、全然すっきりしなかった。むしろそんなことを言われたのがみじめで、悔しくて、仕方がなかった。


 強引に彼女の肩を掴んで、揺さぶる。


「恵まれてる人間に、恵まれてない人間の気持ちなんてわからない!!」


 わかるはずがないんだ。


「わたしが恵まれてるっていうの」


 こすもが小さく呟いた。当たり前だ。彼女は、どこからどう見たって。


「あなたは、恵まれてないの?」
「え」
「あなたは本当に自分のことを、恵まれてないと思っているの?」


 こすもの視線が突き刺さる。質問を頭の中で反芻する。


「恵まれなかったものが、多いよ」
「……わたしだって、恵まれなかったものくらいある」


 こすもが震える声で呟いた。息を呑む。
 静寂の中で、ぽつりぽつりとこすもの声が響いた。


「わたしの家は、兄が優先されてる。だから、昔からわたしには関心を向けてもらえなかった。ずっと、空気みたいな扱い」
「……え」
「だから、人を想うってことがよくわからない。好きって言われるのも、正直ぜんぜん嬉しくない。だってどういう好きで、好きだからわたしをどうしたいのか、わたしはどうすればいいのかわからないから」


 こすもが唇を噛む。


「好かれるっていう感覚が、わからない。大切にされるってどういうことか、理解できない」


 こすもは言葉を続ける。その声は震えているのに、声にはだんだんと勢いが増していく。


「誰かと恋愛することがそんなに大事? 家族は仲良しが普通? わたしは完璧でいなきゃいけないの? 寄ってくる変な奴に好かれるわたしが悪いの? たしかに顔も、勉強も、人並み以上になんでもこなせる力も持ってる。羨ましいか、ざまあみろ!!」


 はははっ、とこすもが笑う。普段、笑うことすらしない彼女が、大口を開けて笑っている。やがてすぐに、周囲への嘲りが、自嘲じみたものへと変わってゆく。
 こすもの眉が下がり、口元が歪んだ。


「でも、わたしは……多くの人が当たり前に持ってるものを持ってない。あたたかい家族も、恋愛感情も、正解がわからない。だって、知らないから。おだやかに過ごす家族の休日も、心踊るような出来事も、なんにも知らないから」


 こすもが顔を落とす。静寂に、こすもの鼻を啜る音だけが聞こえた。


 はじめて見た時から、彼女は私の嫉妬の対象だった。綺麗で、なんでもできて、モテるのにそれをひけらかさない。黒部くんともうまくいっているように見えていたし、生まれ落ちた瞬間から幸せになるために生かされているような人間なのだと思っていた。
 私みたいに捻くれた性格ではなくて、人間の悪い部分に触れることなく、守られながら生きてきたのだと。
 清く、美しく、生きてきたのだと。

 だからずっと、羨ましかったのに。

 喉奥が熱くなる。


「なぁんだ。あんた、私と同じくらい汚くて……かわいそうじゃんか」


 声が洩れる。こすもの顔がゆっくりとあがった。


 ずっと、羨ましかった。平然と生きていて、私が日々感じている痛みなどとは無縁で、それはそれは楽しい人生を送っていると思っていた。

 でも、違った。


 こすもの目が私をとらえる。何度も羨望した綺麗な二重瞼の目が、私の目を射抜いている。



「確かに」



 スッ、と水滴が頬を伝う。
 こすもは顔を歪めながら、笑った。