陽キャのふりは、君にだけバレる

体育祭まで五日。

週が明けても、金曜日の三分間はまだ効いていた。

あの日、俺は三分間を初めて踊り切った。

その勢いで久住に抱きついて、初めて「凪」と呼ばれた。

週末の間、何度思い出しても落ち着かなかったのに、月曜の教室では何もなかったみたいに振る舞った。

久住も、抱擁の意味を聞いてはこなかった。

「凪、あの隊形よかったよな」

「本番もあれなら余裕じゃん」

朝から何度も声をかけられる。

そのたびに俺は「だろ?」と笑った。

本当は、久住の口が動くのを追うので精いっぱいだった。でも、今さらそんなことは言えない。

「安西、明日の昼、休んでた二人に変更したところ教えてくれる?」

「いいよ。俺やっとく」

「青い布、数はあるけど、結び目が緩いの混じってるかも」

「それも見とく」

「今日の練習場所、教室から体育館に変わったって連絡も――」

「俺やっとくよ」

頼られるたび、胸の中が少し明るくなる。

頼れるセンター。そう思われているなら、金曜日の成功はまぐれじゃなくなる気がした。

俺が一人で踊ったわけじゃない。それでも、みんなの中で俺の評価が少し上がった気がした。

その評価を下げたくなかった。

反対に、ひとつでも断ったらどうなるんだろうとも思う。

やっぱり安西には無理だった。誰かにそう思われるくらいなら、全部持っていた方がいい。

「凪、持ちすぎじゃない」

白石が、俺の顔と机に集まった青い布を交互に見た。

「余裕。平気だから」

「その返事がもう怪しいんだけど」

「気のせい。センター様を信じて」

わざと胸を張ると、白石は呆れた顔で離れていった。

少し離れた席で、久住がこっちを見ていた。

目が合う前に、俺は青い布へ視線を落とした。



昼休みになっても、俺の弁当は鞄の中だった。

教室の前では白石が隊形を確認している。体育館へ移るまでに、布の確認だけでも終わらせたかった。

昼休みは四十五分ある。でも、食べる時間を引けば短い。

机の上に青い布を広げ、端を引いて確かめる。二十四枚のうち、緩んでいた結び目は三つ。ほつれが一つ。これを直したら欠席していた二人を探して、そのあと練習場所を伝えて――。

「まだ食ってない」

顔を上げると、久住が机の横に立っていた。

「これ終わったら食う。平気」

「今日二回目」

「数えなくていいから」

前なら、見抜かれたことが少し嬉しかった。

誰も気づかないところまで、久住だけは見ている。それが特別みたいで、勝手に喜んでいた。

なのに今日は、見つけてもらったより、見つかったと思った。

名前のあとに心配する言葉ばかり続くと、弱いところに印をつけられている気がした。

「布は俺がやる」

「いい。体育祭係はほかにも仕事あるだろ」

「でも」

「本当に平気だから」

三回目。

自分で言ってから気づいたけど、久住は数えなかった。

久住は口を閉じ、青い布を一枚見下ろした。それから「分かった」とも言わずに、教室を出ていった。

引き止める理由はない。

ないのに、その背中が見えなくなるまで目で追ってしまった。



翌日の昼休み、廊下で健太に呼び止められた。

「凪、今日から欠席組への説明、俺がやるわ」

「……なんで?」

「久住に言われた。俺なら同じ部活の奴もいるし、捕まえやすいだろって」

初めて聞いた。

「凪はセンターと小道具あるし。俺、今まで盛り上げてただけだから、全然やるよ」

健太は、頼まれたから引き受けただけだ。

悪いところなんて一つもない。

それに、正直、助かった。

二人を探して説明する時間がなくなれば、昼飯を食べられる。青い布も今日中に終わる。

そう考えた瞬間、腹の奥がすっと軽くなった。

その自分が、すぐ嫌になった。

「久住、凪の保護者みたい」

健太が軽く笑う。

「うける。俺、高二なんだけど」

「だよな。まあ、任せろって。説明くらい余裕」

「ありがと」と返した声は、いつも通り明るかった。

場も変にならなかった。健太も笑ったまま教室へ戻っていった。

そのすぐあと、欠席していた二人が廊下の向こうから来た。

健太は手を振って呼び止め、床に足順を示しながら説明を始めた。俺が昨日探しても捕まらなかった二人だ。

本当に、健太へ頼んだ方が早かった。

なのに、保護者という言葉だけが残った。

久住の隣に立つ俺は、そんなふうに見えるのか。

対等な相手じゃなくて、放っておけない弱いやつに。

昼休み、俺は久しぶりに塩むすびを最後まで食べた。

仕事も昨日より早く進んだ。

それでも、気持ちは軽くならなかった。



放課後、俺は体育館脇の通路で久住を待った。

帰ることもできた。

何も言わず、健太に任せたままにすることもできた。

でも、それをしたら、また笑って流したことになる。

足音が近づく。久住が俺を見つけ、歩く速さを少し上げた。

「凪。今日は――」

「勝手に決めるな」

久住の足が止まった。

「藤田のことか」

「俺の仕事だろ。なんで俺に言わない」

「言ったら、凪は断る」

「だからって、お前が決めるな」

「無理って言わないから」

「言っても無駄だから、聞かなかったってこと?」

「平気って言うのが分かってた」

低い声だった。責めているというより、事実を置くみたいな言い方だった。

だから、余計に苛立った。

「言わないのと、決めていいのは別」

言った途端、喉の奥が狭くなった。

こんな声を久住に向けたのは初めてだった。

久住は黙った。逃げずに、俺を見ている。

「昨日、昼食ってなかった。布も終わってなかった。藤田に頼めば回ると思った」

「それで?」

「凪が楽になるなら、それが正しいと思ってた」

謝らないんだ、と思った。

たぶん久住は、本当に俺のためにやった。今も、仕事を減らしたこと自体は間違いだと思っていない。

「……楽になったよ」

認めるのが悔しかった。

「今日は飯も食えた。布も進んだ。助かった。だから余計に腹立つ」

久住の眉がわずかに動いた。

「俺が頼んでないのに、結果よかったから正解ってされたくない。俺のことなら、俺に決めさせろ」

「弱いと思ってやったんじゃない」

「じゃあ、先に聞けよ」

「聞いて、また平気って言ったら?」

「それでも聞け。無理してると思うなら、そう言えばいい。俺の代わりに返事するな」

久住の視線が、ほんの少し下がった。

俺だって、平気ばかり言ってきた。何も伝えず、気づけと押しつけていたところはある。

でも、それと勝手に決められていいかは別だった。

久住の手が一度だけ動いた。

でも、俺に伸びてくることはなかった。

体育館から、ボールの弾む音が響く。

しばらくして、久住が口を開いた。

「青い布、あと六枚だろ」

「……そうだけど」

「今日は、手伝っていいか」

初めて聞かれた。

ここで頷けば、たぶん二人でいつものように作業をして、練習もできる。

それでも怒りは消えていなかった。

「今日はいい」

久住は少し黙ってから、頷いた。

「分かった」

それだけだった。

断ってもまた誘うと言った久住が、今日は一度で引いた。

俺が求めた通りに。

言い訳もしない。俺の前を塞がない。部活へ向かう足音が、今度こそ遠ざかっていく。

俺は一人で青い布を広げた。

誰にも見られない。何をするかも、いつ終えるかも、全部自分で決められる。

望んだ通りのはずだった。

久住が引いたのに、困ったのは俺だった。