陽キャのふりは、君にだけバレる

翌日の昼休み、俺は塩むすびを二つ持って、中庭の端にいた。

校舎の影になるせいか、ここまで来る生徒は少ない。少し離れた場所で女子が二人話しているだけで、教室の騒がしさは壁の向こうに薄まっていた。

「ここ、よく来るの?」

隣に座った久住へ聞く。

「たまに。静かだから」

「へえ」

会話終了。

まずい。いや、何がまずいのか分からないけど、二人で昼を食べる約束をした以上、何か話さないといけない気がする。

次の英語の小テスト。体育祭。昨日の雨。話題を頭の中へ並べている間に、久住は弁当の卵焼きを食べた。

スマホには触らない。退屈そうにもしない。ただ、普通に飯を食べている。

「久住って、卵焼き最後に食べる派?」

「今食べたけど」

「……そうだな」

何を聞いてるんだ、俺。

久住がこっちを見る。笑われると思って身構えたのに、すぐ弁当へ視線を戻した。

「話題、探さなくていい」

「探してないし」

「卵焼きの順番まで気になるなら、探してる」

ばれている。

俺は言い返す代わりに、塩むすびを大きく頬張った。口いっぱいに米が詰まり、たぶん頬もひどいことになった。

久住の口元が少し緩む。

「笑っただろ」

「一口が大きい」

「時間ないから」

「昼休み、あと三十分ある」

馬鹿にする笑い方ではなかった。それが分かるから、俺も急いで取り繕う気がなくなる。

何度か噛んで、ようやく飲み込んだ。

また会話が途切れた。

風で木の葉が擦れる。包み紙が小さく鳴る。久住は黙ったまま麦茶を飲んでいる。

さっきまで必死に探していた話題が、どうでもよくなってきた。

「……静かなの、嫌じゃない」

口から出た声は、自分でも驚くほど小さかった。

「俺も」

久住の返事も短い。

それだけで十分だった。

沈黙が長くなっても、久住は帰らない。つまらなそうな顔もしない。俺も、次の言葉を急いで作らなくていい。

何もしていないのに、いつもの昼休みより肩が軽かった。

教室の輪で黙れば、具合が悪いのかと聞かれる。何か言えば、その次の返事も用意しなければならない。でも久住の隣では、黙っている俺も会話の途中に置いていかれなかった。

「凪、いた!」

校舎側から健太の声が飛んできた。

振り返ると、健太がパンの袋を片手に立っている。

「教室で食おうぜ。みんなもう集まってる」

「あ、うん」

反射で返事をして、腰を浮かせる。

そのまま立つはずだった。

けれど、久住は引き止めなかった。俺の代わりに何か言うこともなく、箸を止めて待っている。

返事を、俺に任せている。

喉の奥が狭くなった。

一度断ったら、次はない。

昨日までなら、そう思った瞬間に立っていた。

「……今日は、久住と食べる」

言ってから、健太の顔を見る。

変な空気になったら笑おう。すぐ冗談に変えよう。

そんな準備をしたのに、健太は「あ、了解」とあっさり頷いた。

「またな、凪。久住も」

「おう」

健太は手を振り、来た時と同じ速さで校舎へ戻っていった。

俺は半分立ちかけた姿勢のまま、その背中を見送った。

またな。

ちゃんと、次がある言い方だった。

胸の奥で固まっていたものが、少しだけほどける。断る前と断った後で、健太の声は何も変わらなかった。

「安西」

「なに」

「座れば」

久住はもう弁当を食べ始めていた。勝ったような顔もしない。俺が残ることを、特別な出来事にしない。

ゆっくり座り直すと、膝の上に置いた二つ目の塩むすびが少し潰れていた。

「……普通だった」

「藤田が?」

「うん」

「普通だろ」

久住はそれだけ言って、麦茶を飲んだ。

俺も潰れた塩むすびを開ける。

今度は、一口を少し小さくした。

教室へ戻ると、健太は俺を見るなり、次の移動教室を指さした。

「凪、早く行こうぜ。窓側取られる」

「今行く」

昼を断ったことには、何も触れない。いつもと同じ声で、いつもと同じように俺を待っている。

本当に、残っていた。



数日後、体育館で全体練習が始まった。

二年三組が隊形につくと、それだけで床が狭く感じる。

俺はセンター。前にも後ろにも人がいる。白石が全体を見るために正面へ立ち、壁際では順番を待つ奴らまでこっちを見ていた。

「じゃあ、前半の移動から。音なしで一回いくよ」

白石が手を叩く。

足の裏が床へ貼りついた。

一人ならできる。久住と二人でもできる。

なのに、視線が増えた途端、最初の一歩がどちらだったか分からなくなる。

喉まで上がった「余裕」を、笑って吐き出しそうになる。できないなら、せめて場を止めないように。

「安西」

斜め右から低い声がした。

久住は前列の自分の位置に立っている。俺の代わりにセンターへ来る気はない。ただ、まっすぐ俺を見た。

「全部見るな。俺だけ見てればいい」

その言葉だけが、体育館の音から切り離されたみたいに届く。

久住が口を動かした。

「一、二、三、四」

俺は白石も、後ろの奴らも見ない。

久住の目と、数える口元だけを見る。

視界の端では何人も動いている。それでも追わない。誰かがずれても、笑い声が上がっても、久住から目を外さない。

「一、二、三、四」

右足が出た。

次は左。半歩下がって、斜めへ移る。

久住は自分の動きをしながら、同じ速さで数えている。俺の足を動かしているのは俺だ。それでも、戻る場所が一つあるだけで、身体はちゃんと動いた。

最後の四で前半の位置へ入る。

止まる場所まで、足が勝手に運んでくれたわけじゃない。一つずつ、自分で出した。そう分かった瞬間、遅れて息が戻ってきた。

「止めて!」

白石の声に、全員の足が止まった。

「安西、今の合ってた! 前半そのまま!」

「おお、凪いけんじゃん!」

健太の声と拍手が広がる。

でも、俺が最初に見たのは久住だった。

久住は大きく喜んだりしない。ただ一度、小さく頷いた。

周りの歓声より、それが嬉しかった。

続けて後半へ入ると、俺はまた一度足を間違えた。三分間には、まだ遠い。

それでも前半だけは、白石に言われてもう一度繰り返しても動けた。

見られても動けたのは、初めてだった。



次の放課後、久住は男子バレー部のミーティングで少し遅れると言っていた。

練習時間は半分になる。今日は帰ってもいいはずだった。

なのに俺は、いつもの屋根付き通路にいた。

一人で足順を確かめ、四つ数えて、角を曲がる音がするたび顔を上げる。

帰る生徒の足音ばかりが通り過ぎる。もう一回だけ、と同じ動きを繰り返しているうちに、壁の時計の針は予定の時間を越えた。

十五分ほどして、久住が走ってきた。

「悪い、遅れた」

俺はわざと壁の時計を見る。

「俺も今来た」

「嘘」

「なんで」

「十五分前からいた」

「見てたのかよ」

「安西、待ってない時は時計見ないから」

昨日も、その前も。久住が来た瞬間だけ時計を見ていた。

そこまで見られていたことが恥ずかしくて、俺は足元の線を睨んだ。

「練習するために残ってただけ」

「俺がいなくても、前半はできるだろ」

「……確認したいことがあった」

「何」

すぐには何も浮かばなかった。

前半の足順なら、もう覚えている。四カウントも一人で言える。今日は十五分しかなくても、帰ろうとは思わなかった。

久住が来た。それだけで、さっきまで長かった通路が、いつもの場所に戻った気がした。

もう、練習だからでは言い訳できない。

俺はいつの間にか、練習より、久住に会う方が楽しみになっていた。