幸せを願う嘘をひとつ

駅の改札を出ると、現実に引き戻された高校生たちのだるそうな声が響いていた。
優奈は煌河くんの隣で、お土産の袋を揺らしながら、小さく手を振ってくれた。

「李奈、また明日、学校でね」
「うん、また明日」
私はそれだけ言って、2人に背を向けた。

夕方は、あの日の雨よりもずっと白々しい。

お土産の入った紙袋が、歩くたびにカサカサと音を立てて、私の耳を不快にする。

街灯が灯り始める夕暮れ時。

「ただいま」
誰もいない、静まり返ったリビング。

私は2階の自分の部屋へと階段を駆け上がった。
ドアを閉めて、鍵をガチャンと閉める。

部屋の中は、私が出発したときのまま、何も変わっていなかった。
ベッドのシーツも、机の上の枯れかけた花も。

私は、ゆっくりと机の前に座った。
木製の椅子の冷たさが、制服のスカートを通して太ももに伝わってくる。

目の前にある引き出し。

その取っ手に手をかける。
引き出しを引く。

そこに、あの丁寧に折られた一通の手紙が、出発したときと全く同じ姿で眠っていた。
表面に、『李奈へ』という文字。

『お前』

私は、喉の奥にせり上がってくる鉄の味を、ぎゅっと飲み込んだ。
もう、逃げられない。
これが甘い告白だと勘違いし、恥ずかしくて奥に閉じ込めたせい。

ゆっくりと、四つ折りにされたその白い紙を開いていく。
そこに殴り書きされた、煌河くんの文字に視線を落とした。

だけど。

「……え?」

私の口から、意味を持たないカサカサの声が漏れた。
脳みそが一瞬でフリーズした。

何度も、何度も、目を凝らして、そこに書かれた文章をなぞった。

手紙の内容は、確かに優奈についての相談だった。
煌河くんの必死で、パニックになりながら書いたような、殴り書き。

でも。そこにあったのは、私が想像していたような「俺を助けて」というメッセージではなかった。

『李奈ちゃんへ。お願いだから、優奈を助けてあげて。優奈が毎日「しんじゃう」って俺を脅してきて、もう限界なんだ。でもあいつ、自分のこのリスカとか色んな怖いことを、一番の親友の李奈ちゃんにだけは絶対に知られたくない、嫌われたくないって、そればかり気にして泣いてるんだ。俺と付き合おうとしてるのも、そうすれば李奈ちゃんの近くにいられるからだって言ってた。優奈の精神がおかしくなったのも、全部、李奈ちゃんに嫌われるのが怖いからなんだよ。俺、もう優奈の「李奈ちゃんへの異常な執着」に巻き込まれるの限界なんだ。お願いだから、李奈ちゃんから優奈に「私は何があっても優奈の味方。嫌ったりしない」って言って、あいつの心を安心させて、解放してあげて。あいつを救えるのは、あいつが世界で一番狂信してる親友の君だけなんだ』

指先から、すべての感覚が消えていくのがわかった。
紙を握る力が強すぎて、爪が白い紙を引き裂き、私の親指の肉に鋭く食い込む。

あの日、校門の脇の桜の木の下で、優奈が私の制服を掴んで「李奈……っ。お願い、助けて……!」とボロボロ涙を流しながら泣きついてきた、あの瞬間の記憶が、脳内で激しく反転していく。

私はあの時、優奈の「助けて」を、「煌河くんが好きすぎて苦しいから、私の恋を応援して」という意味だと、自分の都合のいい恋愛脳で勘違いしていた。
だけど違った。

私は。
何も知らない私は。

その次の日の朝悲劇のヒロインのフリをして煌河くんに忘れてたなんて最悪の拒絶を叩きつけた。
それだけじゃない。優奈を「応援するね!」という嘘のLINEまで送った。

私のあの白々しい応援メッセージを見た瞬間、優奈の頭の中はどうなっただろう。
「あ、李奈には私の狂気がバレてない。李奈は何も知らないまま、私を応援してくれてる」
そう確信したからこそ、優奈はさらに暴走し、煌河くんを完全に自分のものに縛り付けるために、リストカットの回数を増やし、脅迫をエスカレートさせていったと?

煌河くんにしてみれば、自分の必死のSOSを無視されたどころか、李奈が優奈にさらなるガソリンを注ぎ込んで、自分をさらに深い生き地獄へ追い詰めてきたことになる。
だから彼は、あの日から私をゴミを見るような冷たい目で見つめていたんだ。

すべては、私の勘違いだった。

この三角形の真ん中にいた一番の化け物は、他でもない私だったらしい。

ふたりとも……今どんな気分。
ごめんね、ごめんね。

喉の奥が引きつって、もう上手く呼吸ができない。

窓の向こう、遠くで電車の走る音が響いている。
冷え切った部屋の隅で、私はただ色が消え失せた自分の影を見つめ続けていた。