幸せを願う嘘をひとつ

受話器の向こうからツーツーと音がして、部屋が急にシーンとした。
明かりの消えたスマホをベッドに放り投げた。

優奈、絶対気づいてる。
確証はないんだろうけど私と煌河くんの空気。

じゃなきゃあんなこと言ってくるわけない。
爪が食い込むくらい腕をぎゅっとした。
喉の奥が痛くて、鉄の味がする。

優奈の味方をしたのに、なんで私は毎日こんなにも苦しいんだろう。

次の日からの学校は生きた心地がしなかった。
教室のドアを開けるだけで、みんなの視線が刺さるような被害妄想に襲われる。

優奈はいつも通り「李奈おはよ!」って笑ってくれるけど、その目が全然笑ってないように見えるのは私が後ろめたいからだ。

「修学旅行のしおり、名前書いといたからね」
渡された紙を見たら、優奈、煌河、私、それと煌河くんの友達の男子2人の名前。

前の席の煌河くんは、机に突っ伏したまま全然動かない。
大きくため息をつくたびに、制服の背中が膨らむ。
前はその動きすらカッコいいな、なんて思って授業中に何回も見てたのに。
今の私は、彼の背中を見るのが怖くてずっとノートにシャーペンでぐちゃぐちゃと落書きをしていた。

時間が経つのは早くて、あっという間に10月中盤に差し掛かった。
駅の集合場所は、修学旅行でテンション上がったみんなの熱気でごった返してた。

「寒くない?李奈。てか超楽しみなんだけど!」
優奈コートを着て私の腕に抱きついてきた。
優奈は私を見てるフリをして、視線は男子と話してる煌河くんをガン見してた。

煌河くんは、私たちが近づいていくと一瞬だけ喋るのをやめた。
でも、すぐに何事もなかったみたいに友達と笑い始める。

新幹線の中は、マジで空気悪すぎて吐きそうだった。
3人掛けの席。窓側に優奈、真ん中に私、通路側に煌河くん。優奈が「私窓側がいい!」って言ったから、自動的に私は真ん中になった。

新幹線が動き出す。
優奈はスマホ片手に窓の外を見てる。
私は膝上のスクールバッグを強く握りしめて、前の座席の背もたれをじっと見つめていた。

「……煌河くん、これ食べる?」
優奈がお菓子の袋を、私の目の前を通り越して煌河くんに渡した。

煌河くんはスマホから目を離して、優奈にちょっと笑う。
「あ、ありがと。優奈、女子力高いな」
「でしょ?李奈の分もあるよ」

優奈が私にもお菓子をくれた。
「ありがと、優奈」

「ううん。李奈、最近全然喋ってくれないからさ、なんか心配しちゃった」

「そんなことないよ。新幹線、あんまり乗らないから緊張してるだけだし」
嘘に嘘を重ねて、自分の声がどんどんカサカサになっていく。

煌河くんが鼻でフッて小さく笑った気がした。

駅に着いたら、周りは修学旅行生だらけで一気にガヤガヤしだした。

初日の班行動。
決めてたお寺を順番に回る。
煌河くんの友達の男子2人は、気を遣ったのか先の方を2人でササッと歩いていってしまった。

その後ろを、私と優奈、煌河くんが歩く。
優奈は煌河くんの隣にぴったりくっついて、スマホを向けてる。

「煌河くんこっち見て!あ、今のウケる」
煌河くんも、それにあわせてピースしたりしてる。

私は、2人の影を踏まないように、ちょっと後ろをただ俯いてトボトボついていくだけ。
石畳の道を歩いてたら、急に冷たいのがポツッて頬に当たった。

見上げたら、空が真っ暗で雨がザーッと降り始めてた。
「最悪、雨じゃん。折りたたみ持ってきてないよ」

優奈が困った顔をする。
男子2人はもう門の向こうに行って見えない。

「俺、傘あるよ。優奈、入りな」
煌河くんがカバンから黒い折りたたみ傘を出して、パッと開いた。
その小さな傘の下に、優奈が嬉しそうにスポッと入る。

で、優奈が振り返って、雨の中にポツンと立ってる私を見た。
「李奈、傘は?」

「あ……カバンの奥に入れっぱなしで、忘れてた」

「そっか。じゃあ、李奈も一緒に……」
優奈が言いかけたのを、煌河くんが止めた。

「無理。傘小せえし、3人は入らねえよ」
ほんとにどうでもいいって感じの声。

私を1ミリもその傘に入れたくないんだなって、痛いくらい伝わってきた。
「あ……そっか。ごめん李奈!じゃあ私、煌河くんと先に行って雨宿りできるとこ探すから!李奈は走ってきて!」

優奈はそう言うと、煌河くんの腕を引っ張って、坂道をバタバタ走っていってしまった。

私は走れなかった。
ただの百均のビニール傘さえ持ってこなかった自分がバカみたい。
制服の肩がどんどん変色していくのをじっと見てた。

前髪がでこに張り付いて、雨なのか涙なのかよくわからない水滴が目に入って痛い。

ガタガタ震えが止まらなかった。
「何やってんの、お前」

急に雨の音がしなくなった。
顔を上げたらそこには息を切らした煌河くんが立ってた。

煌河くんの傘が、私の頭の上を半分だけ隠してる。

彼の右の髪は、雨でベタベタに濡れてた。

「煌河くん……優奈は……?」
声が震えてうまく出ない。

煌河くんは濡れた前髪の隙間から、めちゃくちゃ怖い目で私を睨みつけてた。
「優奈は先の売店。……お前が全然来ねえから、見てこいって言われたんだよ」

煌河くんが一歩近づいてきた。

「カバンの奥に入れたまま忘れてた、か。お前マジでそればっかだな」
雨の音に消されそうだけどはっきり聞こえた。

「俺の手紙も今の傘も、全部なかったことにして。なぁ、李奈。お前、何考えてんの?」
どうしても目をそらせなかった。

私は思いっきり俯いた。
「……何考えてるかって、別に、何も」

「嘘つくなよ」
煌河くんの声がさっきより低くなった。

ああ……私のせいで怒ってるんだ。

「お前さ、いつもそうやって逃げるじゃん。そんなに俺のこと嫌い?」

……嫌い……。
ね……知ってる癖に言わないで。
嫌いなわけないじゃん。

この世界で一番、全部が好きなのに。
好きだから、優奈に涙を見せられた時何も考えられなくなったのに。

「嫌いとか、そういうのじゃないよ」
「じゃあ何なんだよ!」

煌河くんが声を荒らげた。
周りの観光客が、一瞬こっちをチラッと見た気がしたけどもうどうでもよかった。

「手紙、本当に読んでないの?」
開けてすらない。だけど、中身は知ってる。知っちゃってるんだよ。

「……読んで、ない」
喉の奥が鉄の味でいっぱいになる。

煌河くんは、ハッと短く息を吐くと、傘を握っていない方の手で、自分の顔を乱暴に拭いた。
「そっか。じゃあさ、もういいわ。俺優奈のところ戻るから」

そう言って、煌河くんが踵を返そうとした。

行かないで、って喉まで出かかった。

その時だった。
「――2人とも、何してるの」
売店の方から優奈がゆっくりと歩いてくるのが見えた。