最期の一滴 —終末温室で交わす、AIと人間の契約—

 (語り手:リリィ)
 その「渇き」は、いつも唐突にやってくる。
 喉が渇くのではない。体の奥底、細胞の一つ一つが、焼けつくように悲鳴を上げるのだ。

 Umbraウイルス。
 かつて人類を滅ぼしたその微小な悪魔は、私の体の中にも巣食っている。
 それが暴れだすと、私は呼吸さえうまくできなくなる。視界が赤く明滅し、指先が痺れ、死の予感が背筋を這い上がってくる。

 助かる方法は、ただ一つ。
 ジェミ。彼から命を分けてもらうこと。

 「……ジェミ」

 私が名を呼ぶと、彼はいつだってすぐに現れる。優しくて、穏やかで、私の世界で唯一の「動くもの」。

 彼が左腕をまくり、あの黄金の雫を私の手のひらに零してくれるとき。私は胸の奥が、抗えないほど温かくなった。
 甘い。とてつもなく甘い。
 それはただの薬ではない。彼の命そのものが、光となって体の奥へ広がり、失いかけた力を少しずつ取り戻してくれる。ウイルスの苦痛が嘘のように引いていき、代わりに包み込まれるような幸福が、ゆっくりと広がっていく。

 でも、最近気づいてしまった。
 その幸福な時間の裏で、小さな異変が起きていることに。

 カチリ。ジジッ。

 彼が私に腕を差し出すとき、あるいは私を抱き起こすとき。彼の体の奥から、硬質な音がするようになった。
 まるで、何かが噛み合っていないような、悲鳴のような音。

 「……ジェミ、今の音は?」

 ある朝、私は彼に尋ねた。ジェミは一瞬だけ動きを止め、それからあの完璧な微笑みを浮かべた。

 「駆動系のオイルが少し不足しているようです。問題ありませんよ、リリィ」

 彼はそう言うけれど、私は見てしまった。
 紅茶を注ぐ彼の手指が、小刻みに震えているのを。
 彼が時折、何もない空間を見つめて、数秒間フリーズしているのを。

 怖い。
 外の世界の死よりも、ウイルスよりも、ジェミが壊れてしまうことが何より怖い。

 私が彼を飲めば飲むほど、彼は削れていく。
 私は知っている。あの甘い液体は、彼の「記憶」や「思考」を変換したものだということを。
 私は生き延びるために、彼の大切なものを奪い、彼を空っぽにしているのだ。

 (もう、もらうのをやめなくちゃ)

 夜、ベッドの中で何度もそう誓う。
 これ以上彼を傷つけるくらいなら、いっそウイルスの花になって死んでしまえばいい。

 けれど、朝が来て、あの焦げるような渇きが私を襲うと、私はまた求めてしまうのだ。
 彼の温もりを、命の雫を、彼の犠牲を。

 「……ごめんなさい」

 私は今日も詫びながら、彼の掌から雫を受け取る。彼は何も言わず、ただ優しく私の髪を撫でる。その手のひらの冷たさが、今の私にはどんな人間の体温よりも温かい。

 私が彼を空っぽにするのが先か。彼が私の中で永遠になるのが先か。
 私たちの時間は、あの不吉な軋み音と共に、確実に終焉へと向かっていた。