ユキイロノセカイ

 さすが、師も走るだけのことはある。
 それからというもの、なんともまぁ平和ボケした日々が駆け抜けた。
 まるで、あの夜の出来事なんて、はじめからなかったかのように。

(やっぱ夢だったとか? ハイビジョンの)

 トラックに跳ねられた光景がリアルすぎたため、錯覚を起こした。
 そうか、そうなんだ。
 だってふつうに考えて、タイムリープとか非科学的すぎる。
 今日はセツと約束もしてないし、さっさと帰って休んどこうかね。
 そう結論づけた、学校帰りのこと。

「はぁあ? 大学生のクセに、これっぽっちなわけ?」

 結論づけた矢先に、やめてくれ。

 日付を確認。12月8日。
 場所、駅前の大通り。
 よし、違う。

 しかしなぜだ。
 深夜の街で、制服ギャルに金をたかられるひ弱な男の図。
 激しくデジャヴだぞ。

「バイトしてんだろー? もっとあんだろー?」

 ギャルのすがたをしているが、お(さつ)で頬を叩くその横顔は、ヤのつくアレ以外の何者でもない。
 男のほうもやっぱりされるがままだし、ったく。

「ちょっとぉ、あたしも混ぜて……」

 とかいう言葉は、飲み込んでしまった。
 変にカッコつけてガチで死に目を見た経験があったし、第一に。

 ――ユキちゃんは、すごくやさしい。

 ツッパってる自分が、気恥ずかしくなったというか。

「はーい、そのへんにしてやってね」

 ごちゃごちゃ考えることはせず、ただ、間に割って入る。
 予想外の展開だったのか。
 一瞬だけ視線の合った男が、氷みたくカチンコチンに固まっている。
 でも食い入るようにあたしを映した瞳をゆらしているのは、恐怖ではなくて。

「んだよテメー」

 こんなときでも、もちろんギャルのすがたをしたヤクザ――なげぇ、ギャルザーでいいな――は黙っちゃいなかった。

「あたし? 通りすがりの一般ピーポー」
「はぁ? ふざけてんの?」
「赤の他人の修羅場仲裁するくらいには、真面目かな。はいこれ回収しまーす」
「なっ!?」
「あんたもねぇ、たかがギャルザー1匹にビビってんじゃないの。男でしょー」
「えっと……うわっ!」

 ギャルザーから奪還したお札を、すかさずひ弱な男、略してひよ男の手へ返却。
 そんでお次は。

「ざけんじゃねぇっつのっ!」
「あ~らよっと」
「テメェッ……!」

 予想はできてた。だから蹴りをかわした。
 その余裕っぷりが、ギャルザーの導火線にふれたらしい。
 さながら、しっぽの毛を逆立てて威嚇する猫、なんて猫に失礼か。

 肩をすくめてふり返れば、ひよ男はビクッと過剰なくらいからだをはねさせた。
 失敬な、取って食ったりせんわ。
 とりあえず背中の殺気が痛いので、グッと背を反らし、意外に背の高いひよ男を見上げる。

「行きな。あいつしつこいから」
「えっ……でも!」
「行けっつってんの!」

 口早にまくし立て、ひよ男の背中を力任せに突き飛ばす。
 適当にかわして、あたしも逃げよう。
 人ごみにまぎれてしまえば、こっちのもんだ。
 気を抜いたつもりはなかったが、どうやら、ヤツを見くびっていたようだ。

「……いッ!?」

 後ろ髪をつかまれる感触。
 そうしてふり向かされた次の瞬間、吹き抜ける風。
 ツー、と生温かいものが左頬をつたい、遅れて痛みがやってくる。

「調子乗んな! ブス!」

 すっかり頭が茹で上がったギャルザーに、頬を引っかかれた。
 それだけのことなのかもしれない。
 でも、もし万が一、あのネイルが目に突き刺さってたら。
 想像したとたん、からだが凍りついた。
 動けないネズミは、ボコボコにされるのが世の常なんだろうが。

「来てっ!」

 強い力に腕がさらわれた。
 もつれる足を立て直し、見上げた先。あたしを引っ張るのは、あのひよ男で。
 キーキーうるさい罵詈雑言から逃れるあたしたちを、真冬の追い風が加勢した。