ユキイロノセカイ

「ユキさん、怒らないでくださいぃ……」
「…………」
「ユキさーん」
「…………」
「……ユキ」
「っ!」
「ちゃん」
「……なんだそれ」
「う、すみませ……ごめ、ん。女の子とこんな風に話すの、慣れてない、です、はい」

 おい待て、それが散々ハグだのなんだの要求してきたやつのセリフか。
 ふり返ると、セツは足もとに視線を落としていた。
 ココアカラーのシューズを見つめる瞳が、泳いでいる。
 いっつもぽわぽわお花畑浮かべてるくせに、シャイにもほどがあんだろ。
 こっちが恥ずかしくなるわ……!

「よし決めた。セツ、歳上らしくもっと堂々として。あたしもこども扱いやめるから」
「あ、ぼくこども扱いされてたんだ」
「気づいてなかったんかい。ったく……こう見えてね、歳上はそれなりに敬う主義なの」
「っはは!」
「……なに」
「ユキちゃんは、まっすぐだなぁと思って」
「敬う相手は選ぶけど」
「でも、少なくともその中に、ぼくは入れてくれてるんでしょ?」

 ああ言えばこう言う。
 そうだ、セツは揚げ足取りのスペシャリストだった。

「舞い上がりたくもなるよ」

 挙句、頭をなでる、とか。

「とりゃっ」
「あたっ!」
「たかだか小娘ひとりに持ち上げられて、バッカじゃないの?」

 歳上らしくしてとは言ったが、こども扱いを許可した覚えはない。
 抗議の意味でデコピンしてやったのだが。

「そうだね。おめでたいって、よく言われる」
「あんたねぇ……」
「ユキちゃんだからだよ?」
「なっ」
「ユキちゃんだから。そっけない言葉でも、ちゃんと聞いてればわかる。まっすぐな女の子なんだって」

 あたしが、まっすぐ?
 どんなフィルターかかってんのよ、あんたの目は。

「ユキちゃんはね、恥ずかしがりやさんなんだよ」
「はじめて聞きました。ご本人さまですけど」
「ふふ、気づいてないだけ。ユキちゃんはまっすぐで、すごくやさしい女の子なんだ。ぼくにはわかるのです」

 得意げに胸張っちゃって。
 あぁ、これは末期だわ。

「あっそ。学校行こっかな」
「あれ、もうそんな時間? 行ってらっしゃーい」
「……セツ、あたし、学校に行くんだよ?」

 期待してるわけじゃない。
 セツのことだから、いつもみたく「そんなー!」って、泣きついてくる予定だったんだ。
 だからいつものふわふわなだけじゃない、穏やかな笑みを返されるなんて、思いもするはずがなくて。

「引きとめないよ。また会えるから」
「っ……」

 なんだこれは。
 耳が、胸が、無性にこそばゆい。

「言うようになったな」
「オトナの余裕というやつです」
「にわか仕込みが。明日寒いらしいから、あたし来ないからね」
「うん、お待ちしております」
「おねがいだから、言葉のボールをキャッチして」
「待ってる。やさしいユキちゃんのことだから、きっと来てくれるんだよね?」

 有頂天にもほどがあるんじゃなかろうか。
 いや調子に乗っているからこそ、いまのセツになにを言ってもムダなのか。

「……気が向けばね」

 ほぼ敗北宣言を置き土産に、背中を向ける。

「行ってらっしゃい!」

 冬風に運ばれてきた言葉は、あたしの髪を舞い上げ、耳朶(じだ)をかすめた。
 妙なくすぐったさに空をあおげば、宵の空が茜を染めつくす直前。
 髪をなびかせる夜気に、少し耳の熱を冷ます。
 やがて白い息を吐き出し、灯りをともした街灯のシルエットへ1歩、影をとけ込ませた。