ユキイロノセカイ

(ゆき)ちゃん、ちょっと外に出ない?」

 (せつ)から提案があったのは、後片付けも済んで、夜が更けてきたころかな。
 何を思ったか、ソファーでくつろいでいた(かえで)が、シュタッと軽快に立ち上がる。

「あ、じゃあ俺、風呂入ってくるっす」
「待て楓、じゃあってなんだ。なにを悟った」
「かえくん……しばらく幸ちゃんを頂いていきます」
「待て雪、あたしは物じゃないぞ!」
「あとは頼んます、兄さん」
「はいです、弟くん」
「意味深な敬礼やめろ!」

 嫌な予感ほど当たるもの。
 物分かりがよすぎる弟のオッケーを受け、兄に連れ出された先は、庭。

「さっぶいんですけど……!」

 ただ事じゃないのに、ふふっと笑い、腕をのばしてくる雪。
 両耳をつつみ込んだ手のひらは、暖房の余韻を宿したように温かかった。

「……いつ冷え症完治したの」
「人間にもどったときかな」
「エセだったのか」

 真冬の夜は、身が引き締まる。
 一方で今日に限って浮かんでいる三日月を前に、もどり難くなる。
 オリオン座をはじめとした星の瞬きも、雪のやさしすぎるほほ笑みを照らしてしまうから。

「幸ちゃんがキッチンに立ってるとき、電話があったんだ。職場の上司さんから」

 しめやかな声が、冴えた静寂を通り抜けてくる。

「そう……なんて?」
「5年も顔出せてなかったのにね……もどっておいでって、言ってくれた」
「いい職場じゃない」
「そうだね。早く復帰したいなって思うよ。……で、こんなこと話すのは、ちょっとした思惑があるからなんですが」

 一旦手を引いた雪は、どこかそわそわ。

「ぼく、結構稼ぎます」
「へぇ……」
「職業柄、国語とか得意です」
「ほぉ……」
「ちゃんとお世話するし、勉強も教えます。なので――幸ちゃんをぼくにください!」

〝雪、あたしね――進学したいの〟

 相談したのはあたし。
 迷惑だよねって、笑い飛ばしたのも。
 にしても、なんつー売り方だよ、まったく……

「あたしは、なにも持ってない小娘だよ」
「知った上で、5年も想ってるんです」
「物好きだね……」
「ずっと幸ちゃんが欲しかった」
「なっ……」
「言ったはずだよ。あと5年早く会ってたら、将来お嫁さんにもらってた自信あるって」

 後はないものと、追い詰められていた雪。
 未来があると知った今、ためらわずあたしを抱き寄せる。

「ぼくだって無償で奉仕するわけじゃない。きみを交換条件にしてるんだ」
「雪……」
「好きだよ。世界中で一番大切な、ぼくだけの女の子――きみを、ぼくにちょうだい?」

 運命があたしたちを出会わせて、運命があたしたちを引き離した。
 こうして寄り添えていることも運命のいたずらなら、もう、怖いことはないんじゃないか?

「……何回泣かされたら、いいんだろ……」
「ふふ、どんどん泣いちゃえ。ぼくしか見てないからね」
「甘やかすなって、ばか……」
「甘やかしてでも気を引くよぉ。幸ちゃんがいないと、寂しくて死んじゃうもん!」

 急に大人びて戸惑っちゃう。
 瞬きすればいつもの笑顔で、拍子抜け。
 コロコロ変わる顔にいちいちやられて、あたしは、きみのいいようにしがみついてしまうんだ。

「好き……雪、大好き……」

 夜の闇が、覆い隠してくれればいいのに。

 あたしなんか簡単に見つけ出して、真っ赤な目尻に寄せられる顔。
 はらりと零れたひとしずくを、やわらかい熱がすくい取った。

 息を呑んだその隙に、唇を覆われる。
 存在をたしかめるようにじっくり食まれ、吐息が、たがいの中で混ざりとけ合う。

「……すぐに、帰したくないなぁ」
「雪……?」
「かえくんにも見せたくない。その顔」

 月明かりを背に、あたしを見下ろす雪。
 苦笑しながら頬をなでる理由は。

「もうちょっと涼んでよっか」
「っ……ハ、イ……」

 真冬の夜気は、どこへ消えたのやら。

「真っ赤に熟れちゃって、リンゴみたい」

 身動きが取れないあたしと、この上なく上機嫌な雪。

「二度と、手離さないからね」

 それが殺し文句でなく、なんだというのか。
 答える代わりに、大人しく腕につつまれた。

 ひそやかな夜、ひとつになる影。
 きっと、誰にも見られてはいないはず。

 淡く光る三日月以外には、ね。