ユキイロノセカイ

 喜怒哀楽と家族愛を知ったぼくは、愚かにも一人前になったようなつもりでいた。
 そこへ、青天の霹靂のごとく襲った事件。
〝生きること〟は当たり前ではないのだと、知った夜。

 笑って、泣いて、怒って。
 愛する人のために、不条理な世界に立ち向かう。
 それが、〝生きる〟ってこと。
 独りでは到底成し得ない。
 人は、誰かと補い合うものだから。

 ひとつだけ欠けていた感情のピースを、きみが埋めてくれた。
 きみを愛せたから、ぼくは最後に、人間になれた。
 ぼくが命を賭けるには、充分すぎるほどの理由なんだよ、(ゆき)ちゃん。
 つたえることは、もう叶わないけれど。

 ――行かないで。

 愛しい女の子の声が、後ろ髪を引く。

「……ダメだよ、幸ちゃん。ぼくがもどったら、きみが死ぬことになる」

 ――あたしは平気だから、もどってきてよ!

「きみの頼みでも聞けない」

 ――ふっざけんなよバカ(せつ)! 勝手に自己完結しやがって!

 ふふっ、やけにリアルな声だね。
 こんな風に、カンカンに怒ってるんだろうなぁ……

 ――泣き虫のクセに強がんな! 生きたいんだろうが!

「そりゃ生きたいよ……まだかえくんのお兄ちゃんやってたい……幸ちゃんのこと、お嫁さんにもらいたいのに……心残りばっかだよ」

 ――あたしたちが諦めてないんだから、あんたも諦めんなよ!!

「どうしてきみたちは諦めないの? いくら足掻いても、0は1になり得ないのに……」

 ――ああもうッ! いい加減かん違いに気づけ、このスットコドッコイ!

 かん違い?
 ぼくは、なにか思い違いをしてるの?
 ……わからない。
 きみのために死ぬことしか、わからないよ。

 ――0は1になり得ないって、あんたが言ったんでしょうが!

 そうだよ。
 未来は、ひとつしかないんだ。

 ――だからっ、むざむざ命投げ捨てる必要ないって言ってんの!

 ねぇ、意味がわからないよ。
 命を捨てなくてもいい?
 もともとぼくに、そんなものないのに?
 それじゃまるで、ぼくが……

 ――もどりたいって願え。

「……っ」

 ――あんたの居場所は、ちゃんとあるの。

「……ゆき……ちゃ……」

 ――楓も待ってる。

「かえ、く……っ」

 ――待ってる。シカトしたら殴るぞ!

「……っはは、痛いのは、勘弁かなぁ……」

 人知れず消えようって5年越しの決意を、一瞬でひるがえす。
 こんなぼくは、カッコ悪いですか?
 傲慢で意地汚い願いでも、またきみたちに会いたいと思う。
 ふり返って、手をのばしても、いいんですか……?

 暗い暗い闇の中で、見えるものなどなにひとつない。
 それでも、ぼくを呼ぶ人があるから。

 ――雪!
 ――雪兄さん!

「幸ちゃん……かえくん……」

 最後に人間らしく、ジタバタさせてください。

「きみたちと、生きたいよ……っ!」

 嗚咽混じりの情けない懇願。
 刹那、真っ暗闇を鋭い閃光が走る。

 あまりのまぶしさに、まぶたを固くつむり……
 突如として頬をなでた人工的な温風に、引き戻される。

「おいふざけんな、いい加減起きろ雪……っとぉ!? いきなり目ぇ開けるな、ビックリするだろが!」
「うわぁっ、マジだビビったぁ……! ん? ユキさん、兄さん起きてるよ?」
「ホントだ起きてる。んだよ余計な労力使わせやがって…………って」
「起き、てる…………?」

 やっと目が慣れて、ぼくを見下ろしているのが幸ちゃんとかえくんだとわかった頃。

「「起きたぁあああッ!」」

 耳もとでの絶叫に、危うく意識を持って行かれそうになった……

「雪雪雪雪ッ!」
「兄さん兄さん兄さん兄さんッ!」

 ごめん、せっかくだけど耳痛いです……って、いた、い……?

「なにあんたまで泣きついてんのよ楓! 笹原(ささはら)さんに連絡しろボケェッ!」
「ハッ、そうだ忘れてた! 笹原さんッ! ヤバイッすマジでヤバイからとにかく来てぇッ!」

 まだぼんやりしてるぼくの前で、大慌てで動き回るふたりは、大好きな。

「幸、ちゃん……かえ、くん……」
「きゃあああ! 雪がしゃべったぁあああ!」
「うわぁああそうです! 俺たちは幸ちゃんとかえくんですぅうううう!」
「むぐっ……」

 右から左から、ボスッとふたり分の体重がのしかかる。
 苦しい……これも、夢世界ではあり得ないこと。
 夢じゃ、ないの……?
 ぼく、どうしてここに……?

「雪!」
「兄さん!」

 わからないことだらけだけど。

「「お帰りなさい!」」

 まぶしい笑顔があるから、どうでもよくなっちゃった。
 言いたいことは数え切れないほどあるのに、5年も怠けてたからかな?
 久々に使うのどは、かすかすで。

「……ふぇっ……!」

 かろうじて漏れた声は、へなちょこ。
 ぎゅってしたくて、でも動かなくって。
 ちいさな手、おっきな手が、そんな両手を握ってくれたよ。
 だから余計、泣けちゃうんです。

 ありがとう。ただいまです。