* * *
黙っていたことがいくつかあると、楓は切り出した。
「紗倉のことだけど。あいつ……死んでたよ」
「まぁ……屋上から落ちたし……ね」
「そうだけど、そうじゃなくて。死んでたんだ……5年前に」
「……は?」
「全身強打による、即死だったそうですよ。聞けばビルをおとずれた人々がろくな目に遭っていなかったようですし、地縛霊にでもなって、怨念をまき散らしてたんですかねぇ」
「笹原さんって……理解あるんだね」
「言ったろ? 事情知ってるって」
「はは。この仕事に就いて長いですからね。ちょっとやそっとのことじゃ、動じなくなりましたよ」
廊下に出て、数分たたず。
早くもリアクションに困る話題とご対面とは。
「楓は、どこでそれ聞いたの?」
「ややこしくなるから、いまは保留にしとく」
「あれ、言わないんですか? 佐藤さんとも無関係じゃあないでしょう?」
「できるだけ混乱させたくないんだってば! 後で必ず話すから!」
茶々を入れるのは、あたしを不安にさせないため。
さりげない気遣いがうれしい。
でも、ちょっと不思議だ。
なんだか笹原さん……楓のいじり方が、上手すぎるというか。
「楓と笹原さんって……付き合い長い?」
あたしの言葉に、半歩先を行く楓は無言でうなずき、半歩後ろを来る笹原さんは苦笑。
「そりゃあねぇ。重傷の楓くんを見つけたの、僕ですからね」
「え……笹原さんが、ですか?」
笹原さんが話すには、こうだ。
5年前のクリスマス。当時搬送する時間も惜しいほど、楓の状態は切迫したものだったらしい。
救命救急の心得があった笹原さんは医師と共に駆り出され、倒れた楓を発見したのだと。
そんな経緯もあり、楓の担当看護師を務め上げたという笹原さん。親しくないわけがない。
「中学卒業から大学生に至るまで、楓くんのことは知っていますよ。半分パパみたいなもんです」
「……いまそういうのいいから、ホント」
そうは言うけど、満更でもないんでしょ?
じゃなきゃ、最初から呼んだりしないはずだもん。
沙倉に刻まれたトラウマのせいで、女性へ過敏になっていたという事件直後。
たった独り取り残され、絶望のふちに追いやられた楓が、笹原さんにだけ心を許した理由、なんとなくわかる気がする。
同性っていう絶対条件もあるけど、その上さらにのほほんとしていて、でも人をよく見ていて、包容力がある。
雰囲気似てるもんね……雪に。
(なんかいいな……そういうの)
正面の気恥ずかしそうな背中に、視線を戻したときだった。
ふいに射し込む光に、目が眩む。
南中した太陽光がガラス越しに降り注ぐ。
やっと明順応した視界に、飛び込んできた光景は。
「佐藤さんの病室だと、見えなかったですよね。きれいでしょう?」
背の高い建物のすきまからのぞく、氷のオブジェ。
白銀に染まった街で、キラキラと輝くそれを、何度目にしたことか。
「ねぇ……この病院って」
笹原さんがいることからもわかる。
ほぼ確信を得て見上げたあたしに、楓はうなずく。
「あぁ。5年前、俺たちが運び込まれた病院だよ」
――ドクン。
胸が、高鳴った。
「集中治療を受けて、俺はなんとか回復した。けど、雪兄さんはダメで……」
どこに向かっているのか、なにをしようとしているのか、いい加減悟った。
「目を覚まさない兄さんに、何度泣きついたことか」
とある部屋の前で、言葉を切る楓。
そこではじめて、笹原さんが先頭に立つ。
ピッピッと高い電子音の後に、ロックの外れる音。
「どうぞ」
入口を譲る笹原さん。
楓の後に引っついて、恐る恐る足をふみ入れる。
床のあちこちに電気コードが這って、重厚な医療機器が鎮座してる――
そんな予想とはまったくかけ離れた別世界が、そこにはあった。
陽だまりにつつまれた真っ白な部屋に、ひとつだけあるベッド。
そこに、横たわっていたのは。
――目眩がした。
フラつくあたしを、楓が抱きとめる。
「ウソ……でしょ」
「夢じゃないよ。ユキさん」
ドクドクと、血のめぐりが異常だ。
言葉を忘れ、1歩、また1歩と前に進む。
まばゆい日光なんて、もう目に入らなかった。
艶のある墨色のクセ毛。
淡雪色の肌。
長いまつ毛が影を落とす、歳のわりに幼い顔立ち。
まるで5年前で時が止まったかのように、変わらないすがた。
「雪ッ!」
夢にまで見た彼は、まだ世界にいてくれた。



