ユキイロノセカイ



  *  *  *


 たしかに少女はいて、むせ返るような人ごみの中、噴水広場にほど近い通りを歩いていた。
 すぐさま異変に気づく。
 真新しいセーラー服の胸もとを握り締め、固く引き結ばれた唇が、弱々しく動いた。

 ――死にたい。

 少女の頬をつたうひと雫に、目が離せなくなった。

 つくづくぼくは、楽観的にすごしてきた。
 明日が来ることは当たり前。生きていくことも。そう信じて疑わなかった。

 だけど、〝生きる〟ってどういうこと?

 ぼくは生きたい。
 でも今まさに生きている少女は、死にたいという。
〝生きること〟と〝ただ息をすること〟は、同じようで違うんだって。

 はじめて知る感情に、エラーの文字が浮かんだ。

 そばにいたら、なにかわかるのかな。
 得体の知れない不安に、無意識下で少女を目で追うようになる。

 やがて彼女が、(ゆき)ちゃんということを知った。
 お父さんに捨てられたこと、お母さんを亡くしたこと、学校のみんなとなじめないことも。

 同情……
 はじめに抱いた感情は、そう称するのが正しいかな。
 数ヶ月をへて、ふと疑問を覚える。
 こんなに悲しみ、世界に絶望してすらいるきみは、口にするようにどうして死のうとしないのか?

 答えは、誰もいないところで流される涙が教えてくれた。
 そうか……きみはまだ、足掻いているんだね。
 死を願う一方で、自分の存在意義を必死に探しているんだ。

 とたん、アンバランスで、今にも消えてしまいそうなこの子を守ってあげたいという想いが、こみ上げてしょうがなくて。

 そんなこと言ったって、ぼくは非力な幽霊なわけで。
 なにもできることなんてない……落胆の息を漏らした、晩冬のことだった。

「なに」
「……え?」
「あんた。さっきから見てるけど、あたしになんか用」

 まさか、ウソでしょう?
 夜の更けた雪空の下。古びたブランコから見上げる黒目がちの瞳が、ぼくを捉えているなんて。

「えっと……たいした用はないんですけど」

 内心パニックだ。
 ぼく幽霊だよね……?
 しどろもどろになりながら、話題を模索する。

 いくら視線を泳がせたって、子供向けの遊具しか目に入らない。
 散々焦って、彼女の吐息が白くふるえていることに気づいた。

「よかったら……」
「他人からホイホイ物を受け取らないことにしてんの」

 ……撃沈。
 傘をさし出そうとした右腕が、ガクリと下がる。カッコ悪いなぁ……

「じゃあせめて、早くお家に帰ってね?」

 つい口走り、しまったと後悔。
 この子には帰りを待つ家族がいないのに……

「あんた変わってるね。あたしなんか気にかけて」

 当の彼女は不満げどころか、キョトンと小首をかしげている。
 肩をすべる黒のセミロングにドキッとしたのには、すごくヘコんだ。
 中学生相手になにときめいちゃってるの、ぼく……

「まぁいいや。気持ちだけもらっとく」

 罪悪感とか、全部吹っ飛んじゃった。
 少し口角が上がっただけ。歳のわりにおとなびた笑みが……きれいすぎて。

「じゃあね。あんたも補導されないうちに帰りなよ」
「うん。……んん??」

 まさかぼく、中学生に間違われてます?
 一応社会人なんですけど……
 なんてぼくの事情を知るわけもなく、スタスタ遠ざかるセーラー服すがた。

 頼りない街灯に照らされてではあったけど、その足取りがいつもよりちょっとだけ軽い気がして、頬がほころぶ。

 ぼくが、あの子を笑わせられた。
 ぼくでも、あの子を手助けできるんだ。
 ……うれしい。

「……幸ちゃん」

 少女の名前を、はじめて声に出してみる。
 不思議なことに、体温を忘れたからだの芯が、熱を持ったように疼いた。

 この日を境に、もっときみを見ていたいと思うようになったんだ。
 きみはもう独りじゃないって、いつか伝えたくて。