ユキイロノセカイ


  *  *  *


 あたしがちっさいころだ、父親が蒸発した。
 母親は病気に負けた。
 一時期養護施設に入ったりもしたけど、まわりになじめず定時制高校に進学。
 いまは日中にアルバイトをしながら、夜間に勉学にはげむという生活を送っている。

 もちろん、友だちなんてシャレたものはナッシング。
 自分のことで精いっぱいなのに、他人のことなんか気にしてらんない。

 なにをしても冷めてるのは、そもそもあたしが、生きること自体に執着してないからなんじゃと気づく。
 それからはちょっと気が楽になった。
 痛いのやだし、進んで死のうとは思わないけど。

「あたしは、なんのために生まれてきたんだろうねぇ……」

 意味もなくのうのうと息をするくらいなら、頭キレッキレのだれかさんと取りかえてほしい。
 能力のある人間が、この世界を構成していく。
 そしたらなんでも丸くおさまるじゃん、ねぇ?

「はぁあ? こんだけで遊べってゆーの? マジないんですけどー!」

 こういう人間見るとね、うん、余計にそう思う。

 夜遊びもいいところの深夜。
 まだ活気が冷めやらぬ街の一角で、制服ギャルがお(さつ)片手にぷりぷり腹を立てている。
 街灯に照らされた相手は、大学生くらいの男。
 なんとなく悟った。
 運の悪いことに、この一連の光景が、あたしの歩幅3歩先で展開されている。
 やっちまった。
 足もとばっか見て生きてるから、こんな事態に出くわしてしまう。

(知らぬが仏。さわらぬ神に祟りなし。あたしはただの通行人A)

 なのにそそくさとふみ出した矢先、男と目が合う。
 マジかよ。

「黙ってちゃわかんないんだけど。なんか言えよ!」
「え、あ、夜遊びはやめたほうが……」
「あァ!?」
「ひッ……!」

 なんだコレ。
 援交的なアレかと思えば、どうやら違ったらしい。
 通りすがりのギャルに、金をしぼり取られるひ弱な男の図。
 はぁ……めんどくさ、ったく。

「やっほー、元気してる? あたしも混ぜてよ!」
「あ?」

 ギャルがふり返った隙に、あ、男が逃げた。
 ……え、逃げた?

 メチャクチャ顔引きつってたね。
 え、助け求められたと思ったけど、かん違いされた?
 ギャルの仲間だって? あれっ?

「なにやってんだよ! 逃げられたじゃん!」
「知り合いかと思ったら違った。よくよく考えたら、こんな趣味の悪い友だちいなかったわ、ゴメンネ」
「ケンカ売ってんのかクソアマッ!」
「っとぉ!?」

 蹴りが飛んできた。
 怖っ、最近のギャル怖っ!
 いやあたしも人のこと言えないっちゃ言えないけど、あんなケバケバはしてないし。
 コスメ買うくらいなら腹の足しにしたほうが……って、それどころじゃなかった。

「ちょこまかしやがって!」

 蹴っては避け、蹴っては避け。
 下手に逃げ回ったのがいけなかったのか。
 つけま取れかけてるのにも気づかず目ぇカッ開いたギャルに、胸ぐらをつかまれてしまった。
 次の瞬間には、馬鹿力でドンッ。
 冷たい冷たい冬のアスファルトと、コンニチハのお時間だ。

「ったいなぁもう……」

 なおもボロクソに罵声がふっていたが、身を起こしたときだ。
 ギャルの顔から、スーッと血の気が引く。
 それもそうか。
 赤信号の向こうから、猛スピードでトラックがせまってくるんだもん。
 まばゆいヘッドライトにつつまれるほど、頭が真っ白になった。
 あたしの両足は、動いてはくれない。

 やっぱり、こんなもんなんだよ。
 たまたま人助けに入ったあたしは、たまたま突き飛ばされて、たまたま信号無視のトラックに跳ねられる。
 善い行いをしたからって、神さまが幸せをくれるわけじゃない。
 世界はいつだって、不条理だ。

(……こんな最期は、やだかも)

 ははっと、薄い(わら)いがもれた。
 かん高い悲鳴とブレーキ音で、頭がかち割れそうだ。
 いっそのこと、ハンマーでぶん殴ってほしいくらい。
 それでも、あたしに死ねと突きつける世界をあおぎ、空をにらむ。
 そのときだった。

 ひらり、ひらり……

 錆びついたねずみ色の空を、純白の花びらが舞う。

「……ゆ、き……?」

 なんだこれ。
 イヴにすらお目にかかれないあたしへの皮肉なのか。

「きれい、だな……」

 乾いたわらいの一方で、雫が頬を潤す。
 どうしてかはわからない。
 静かにまぶたを閉じれば、もうなにも聞こえなくて。

 ――心配なんです。

 なにも聞こえないはずなのに、声が届いたんだ。
 少女のような、少年のような、澄んだ声が。

 ――あの子を(ひと)りにはできません。

 聞き慣れないそれは、やわらかいひびきで、不思議と鼓膜にとけ込む。

 ――おねがいします。

 その心地よさにひどく安堵した直後。
 鈍い衝撃がからだを襲った……気がした。
 なのに。

 ちらちら――……

 なぜいまも変わらず、あたしの世界に粉雪は降り注いでいるのか。

「お疲れさま」

 そしてなぜ、そこにいるきみは、あたしにほほ笑みかけているの……?

「だけどね、まだダメ。もうちょっとの辛抱です」

 五感すべてが曖昧なまま、世界に粉雪だけが舞う。

「帰ろっか」

 さし出されたクリスマスカラーの傘。
 艷やかな黒髪、チョコレート色の瞳。
 それはどんなイルミネーションよりも鮮やかに、脳裏へ焼きついた。

「さぁ、起きる時間だ――ユキちゃん」