ユキイロノセカイ

 遠くで、小鳥がさえずっている。
 寒い。いや、熱い?
 わからない……なにもわからない。
 この上ない倦怠感が、全身を襲っていること以外。

「う……」

 息苦しい。酸素を求めて首をのばす。
 冴えた外気にふれた瞬間、ぷるりとふるえがひとつ。
 そりゃあ、肩むき出しなんだから凍えるわ。
 あれ。そういやあたし、なんで服着てないんだっけ……?

「――ッ!」

 声にならない悲鳴が出た。
 当然だ。見知らぬ部屋のベッドに横たわってたんだから。
 目前には、あたしを抱き込むようにして寝息を立てている(かえで)
 おたがい衣服らしい衣服を身につけていない素肌を、ピタリとくっつけていて。

「……ん……ゆき、さん」

 とっさに毛布をたぐり寄せた。
 その拍子に楓が目を覚ます。

 なんでなんでなんで。

 絶句したままベッド端へ後ずさるあたしに、焦げ茶色の瞳が細まる。

「からだは、もういいの?」
「……から、だ……?」
「熱、あっただろ?」

 全身がダルい……けど、楓が言うように悪寒を伴う熱はないような。

「ユキさん倒れちゃったから。家までは行ったことなかったし、連れて来た。ここ、俺んち」
「楓の……」
「……そんな警戒しなくても、なにもしないって。はい、ひとまず着て。寒いでしょ」

 あたしに服を渡し、楓はベッドを抜け出す。
 まざまざと見せつけられることになった裸体は、細身なのに筋肉質で。
 ゆで上がった頭の熱は、さらけ出された胸もとを目にしたとたん、急降下した。

(なに、あれ……)

 冷や汗がにじみ出てきて、ふり払うようにきれいに畳まれたキャミソールを引っつかむ。
 ニットソーを頭から被るころには、ゆるゆるクローゼットを漁っていた楓もスウェットに着替えていた。
 もういい? とひとつ断ってからふり向いた楓は、ミノムシよろしく毛布にくるまったあたしに苦笑。

「すごい汗だったし、上だけだよ」
「あんたも脱ぐ意味が激しくわかんない」
「あっためなきゃって思って。ほら俺、子供体温だからさ」
「……なにも、してないよね」
「した、かも」
「っ……」
「……ユキさんが、苦しそうにうなされてなかったら」

 遠慮がちにベッドへ腰かけた楓は、ふだん通りのようで、ちがう。

「弱ってる子に好き勝手したら、終わりだと思ったんだ。俺ヘタレだしさ。ユキさんに嫌われるのが怖い、腰抜け野郎。強引にキスしたやつが、いまさら紳士ぶるなよって感じだけど」

 そうだよ。キスされたことは、ホントなんだ。
 近すぎる息づかいも、熱い唇の感触も……全部、夢じゃない。
 無意識だったんだろう、いつの間にか自分の唇を噛んでいた。
 そんなあたしを前に、楓が長いまつげを伏せ、ととのった顔に影が落ちる。

「はじめて……だったよな。ごめん。気づいたのに俺、途中で止めらんなくて」
「謝って、どうするの。なかったことになんてできない」

 ならばどうしてほしい?
 逆に問われて返せるのか。
 答えは否だ。
 解決できないもどかしさが、楓を咎めてしまう。

「……あたしはね、心底嫌いなやつと、帰ったりしないよ」

 やっとしぼり出した言葉に、うなだれた楓の肩が跳ねる。
 そうして顔を上げては、くしゃっと笑って――

「でもそれは、俺の『好き』とはちがう」

 ふわりと、悲しげなほほ笑みを浮かべた。

「愛してるんだ……じゃなきゃ、こんな苦しい気持ち、説明つかない」

 きっと『好き』にも色んなレベルがあって、あたしのそれは、楓が欲しているものには到底満たない。
 返って傷つけるだけだ。
 そう思い知らされた。
 心臓が突き刺されたみたいに、痛む。

「いままで通りには……なれない?」
「半端な気持ちじゃないから、戻れない」

 トン、と壁についた左手。
 あたしの腕をつかんだ、ふるえる右手。
 肩にもたれた楓の、悲痛な想い。
 知ってしまったあたしに、もう知らぬ存ぜぬは許されない。

「ごめん……ホントに好き。だから俺……このままだと、気が狂いそうだ……ごめん……っ」

 爪が手のひらに食い込むほど、押し殺した慟哭(どうこく)
 返す感情も、言葉すら持たない空っぽなあたしは、楓の嗚咽(おえつ)を、ただただ、目の当たりにすることしかできずにいた。