ユキイロノセカイ

「あんの野郎、呪う呪う呪う……」

 圧死寸前、命からがら脱出したあたし。
 これから講義だという野郎を蹴っ飛ばし、いつもの噴水広場へと走ってきた。

 あ、ユキちゃーん、遅いよー!

 いち早くあたしを見つけてふわりと浮かぶ笑顔は、なくて。

「……セツ?」

 巨大オブジェの後ろにまわり込んでみたりもしたけど、ダメで。
 クリスマスカラーのタータンチェック。
 ふわふわな黒髪。
 くりっとしたチョコレート色……
 ちがう、あの人もちがう。

「セツ……っ」

 すれちがう人々の中であたしを気にかける者は、誰ひとりとしていない。
 胸に、形容しがたい不安がはびこる。

「はーい、お呼びですかー?」

 数拍遅れで耳に届いた声。
 ふり返る。セツは、そこにいた。
 ジーンズの膝についた雪を払って、のんきに笑って。
 なんだ、しゃがみ込んでたの。
 それで見えないとか、どんだけ……

「このバカ!」
「えっ? どうしたの、ぼくなにかした?」
「探させんな! いつもみたいに座ってヘラヘラしてろ、バカッ!」

 ……バカなのはあたしだ。
 銅像じゃあるまいし、セツだって歩くだろう。
 それをとやかく言う権利なんてないって、わかってる……のに。

「ユキちゃ……わ、顔が真っ赤! 熱でもあるんじゃないの!」
「そういや……朝から妙にテンション上がんなくて、ダルかった気が」
「それ絶対風邪だよー! お家帰ろ、ねっ?」
「……やだ。ダルいし」

 気にしなきゃよかったものを。
 セツが言うから、歩くのが億劫になってきたじゃないか。

「じゃあせめて、休も? 寄りかかっていいから」

 促され、噴水のレンガに腰を下ろす。
 ダルいことこの上ないし、お言葉に甘えて、隣に座ったセツの右肩へもたれることにする。
 目前にはダッフルコートのミルクティー色。
 甘くて、あったかくて、なんて。
 一方でセツは、どこかそわそわとライトグレーの寒空を見上げていたけどね。

「雪、積もってるね」
「降ったからな」
「コート貸そっか?」
「慢性冷え症患者は着てろ」
「のど渇いたとかない?」
「バッグに水筒入ってる」
「えっと……」
「このままがいい。すごく、楽……」

 ちいさく呼吸をして、瞳を閉じる。
 セツが息を呑んだ気がした。

「たとえばだけど。これがものすごい病気の前兆で、ぽっくり逝ったりしないかなぁ……」
「こーら、めったなこと言わないでよ」
「可能性はあるよ……? あたしの母さん、遺伝性のガンで死んだもん」

 あたしのからだでは、いまも次々とガン細胞が作られてる。
 それでも生きてるのは、やっつけてくれる細胞のほうがたまたま多いから。
 そう……たまたまなんだ。

「ユキちゃんは、亡くなったお母さんに会いたい?」
「星になりたいかって? どうだろ。代わってあげたかったって気持ちはあるけど」
「……代わってあげたかった?」
「毎日意味もわからず生きてるあたしより、母さんのほうがずっと、生きたかったに決まってんじゃん……」

 少なくとも、記憶の中の母さんは笑ってた。
 交換がきくなら、あたしの命、さし出したいよ。

「死んじゃうことが、怖くないんだ」
「取り残されること以外に、なにが怖いって言うの。有名な話だけどね、『好き』の反対は『無関心』なんだよ」

 だれから愛情を注がれるわけでもなく、存在意義も知らないまま、群衆の外でひっそり息をするだけ。
 そんなの、生きた屍に等しい。
 あたしみたいな、ね。

「幸せなんて、いくら探しても見つからない……あたしには無縁のものなんでしょうよ」

 みっともない愚痴は、全部熱に浮かされた女のざれ言。
 ごめんねセツ、聞き流していいから……
 そんなとき、不意討ちがあって。