幻覚なら、どんなによかっただろう。
吐き出した息が白く凍る。
冷気が肌を刺す玄関先。
その向こうに、青年が立っていた。
今もっとも会いたくて、会いたくなかった彼が。
「何しに来たの」
「俺の話を聞かずに帰っただろ」
あつきは、いつになく不機嫌な顔をしていた。
「あんただっていつも人の話聞かないじゃない」
「そういうとこだって」
「だから何」
「らしくないぞ、おまえ」
どくん。
あかりの胸が脈打つ。
碓氷。
人前ではそれが当たり前。
けれどふたりきりになると。
あつきは、こうなる。
「……らしくないって、何が」
「変に意地張って、ひとりで勝手に傷ついてるとこ」
「知ったようなこと言わないで」
「知ってるよ。幼稚園から何年一緒にいると思ってんだ」
「幼稚園の頃なんか覚えてない」
「俺は覚えてる。おまえが、おやつの時間に俺のプリンを食ったこと」
「知らない」
「泣いた俺に半分やるって言って、空のカップ渡してきた」
「記憶にございません」
「極悪人め」
「帰って」
「帰らない」
「いつまでもこんな寒いとこにいさせないで」
「俺も寒い」
「発電して温まれば?」
「おまえなぁ……!」
まただ。
胸の奥がチクリとする。
「ほら怒った。Aはいいよね。ちょっと腹立てるだけで社会貢献できるもん」
「またそれか。なんでおまえ、そんなにCってことにこだわるんだよ」
あつきの声が、一段と低くなる。
「……は?」
あかりはぽかんとした。
自分にとっての『当たり前』を、突然崩された気がして。
「おまえがCで、俺がAなのは知ってる。だから何だよ。それで俺がおまえより偉いって、1回でも言ったか?」
「言ってないけど」
「じゃあ勝手に俺を嫌なやつにすんな」
「嫌なやつでしょ」
「そこは否定できねぇけど!」
「できないんじゃん!」
「話の腰折んな!」
「うるさい!」
冷えきった夜の静けさに、叫びが響く。
あかりは驚いた。
「ほら」
ふいに、あつきが口をひらいた。
あかりを指さしながら。
「怒ってんじゃん」
「……」
「めちゃくちゃ怒ってんじゃん、おまえ」
その言葉に。
あかりの胸の奥で、何かが揺れた。
「だからCとか関係ねぇだろって言ってんだよ」
「関係あるよ!」
「ない!」
「あるったらあるの!」
わかってもらえない。
少し怒っただけで。
《送電しますか?》
と毎日のように尋ねられる、こいつには。
「17年間、1回もないんだよ!」
あかりは叫んだ。
「聞いたことないの!」
涙が出た。
悔しい。
こんなこと、言いたくなかった。
「怒ったときも、泣いたときも、悔しかったときも! 1回も!」
「あかり」
「《送電しますか?》って! 1回も訊かれたことなんてない! 私は怒ってるつもりでも! 悲しいつもりでも! こいつは何にも言わない!」
あかりは夢中で、自分のこめかみを指さした。
「だったら思うじゃん! 私の感情なんて、全然大したことないのかなって!」
「……あかり」
「私はこんなに腹立ってるのに! こんなに嫌なのに! こいつはずっと、何も──!」
「俺にはわかる! あかり!」
今度はあつきが叫んだ。
「機械が何も言わなくても、俺はわかる!」
あつきは怒っていた。
こめかみを青白く光らせながら。
けれど。
あつきは、脳内で流れているであろう自動音声に答えようとしない。
今このとき。
あかりだけを、見ている。
「おまえが怒ってることくらいわかる! 傷ついてんのも! 泣いてんのも!」
「……あつき」
「おまえのこと、何年見てきたと思ってんだよ!」
そんなの。
ずるい。
「Cだから何だよ! 今のおまえ見て感情薄いなんて言えるやつがいたら連れてこい! 俺が説教してやる!」
「何それ……」
「事実だろ!」
その瞬間。
あかりの胸の奥で、ずっと張りつめていた糸が──
ぷつりと、切れた。
「そうだよ! 私だって、腹立つことくらいあるの!」
──ピピ。
聞き慣れない電子音。
こめかみ近くが青白く光る。
《激情反応を検知しました》
声が聞こえた。
17年間、一度も聞いたことがなかった……
どこかでずっと、待っていた声。
それは脳内へ直接響くような、無機質な音声だった。
『Type-C』には、あまり知られていない特徴がある。
穏やかな人間。
激情指数の低い人間。
一見、発電には向いていない人間。
そんな彼らまで人力発電の対象とした理由。
それは、単純なものだった。
──穏やかな人ほど、怒ると怖い。
普段ほとんど激情を示さない『Type-C』が、一度閾値を突破した場合。
短時間ではあるが、『Type-A』を大きく上回る出力を記録することがある。
いわば。
超低頻度。
超高出力。
それが『Type-C』。
けれど。
「私は、こんなこと望んでなかった!」
だから何だというのだ。
「3歳で手術したんだよ!? 覚えてもないうちに! 気づいたときには頭の中に機械があって、怒ったら電気になります、社会の役に立ちますって!」
ふつふつと腹の底から沸き上がるものが、自分でも止められない。
「怒らなかったらC! 発電できなかったら役立たず! 怒ったら怒ったで、はい電気にしましょうって!」
──ピピ。
自動音声が響く。
《高出力反応を確認》
《予測変換電力量を算出中──》
《【ERROR!】》
《【ERROR!】》
《【ERROR!】》
《極めて高い激情出力です》
《ただちに送電を推奨します》
《送電しますか?》
「……なんで」
その瞬間。
あかりの胸の奥でくぶっていたものが、はじけた。
「なんでそんなこと訊かれなくちゃいけないの?」
私のことなのに。
これは、私の。
「私の激情を、他人にどうこうされたくないわよッ!!」
ずっと冷静だった少女が、叫んだ。
みんなと同じように前へならえと命じてくる世界へ。
生まれて初めて。
腹の底から、『No』を叩きつけた瞬間だった。
吐き出した息が白く凍る。
冷気が肌を刺す玄関先。
その向こうに、青年が立っていた。
今もっとも会いたくて、会いたくなかった彼が。
「何しに来たの」
「俺の話を聞かずに帰っただろ」
あつきは、いつになく不機嫌な顔をしていた。
「あんただっていつも人の話聞かないじゃない」
「そういうとこだって」
「だから何」
「らしくないぞ、おまえ」
どくん。
あかりの胸が脈打つ。
碓氷。
人前ではそれが当たり前。
けれどふたりきりになると。
あつきは、こうなる。
「……らしくないって、何が」
「変に意地張って、ひとりで勝手に傷ついてるとこ」
「知ったようなこと言わないで」
「知ってるよ。幼稚園から何年一緒にいると思ってんだ」
「幼稚園の頃なんか覚えてない」
「俺は覚えてる。おまえが、おやつの時間に俺のプリンを食ったこと」
「知らない」
「泣いた俺に半分やるって言って、空のカップ渡してきた」
「記憶にございません」
「極悪人め」
「帰って」
「帰らない」
「いつまでもこんな寒いとこにいさせないで」
「俺も寒い」
「発電して温まれば?」
「おまえなぁ……!」
まただ。
胸の奥がチクリとする。
「ほら怒った。Aはいいよね。ちょっと腹立てるだけで社会貢献できるもん」
「またそれか。なんでおまえ、そんなにCってことにこだわるんだよ」
あつきの声が、一段と低くなる。
「……は?」
あかりはぽかんとした。
自分にとっての『当たり前』を、突然崩された気がして。
「おまえがCで、俺がAなのは知ってる。だから何だよ。それで俺がおまえより偉いって、1回でも言ったか?」
「言ってないけど」
「じゃあ勝手に俺を嫌なやつにすんな」
「嫌なやつでしょ」
「そこは否定できねぇけど!」
「できないんじゃん!」
「話の腰折んな!」
「うるさい!」
冷えきった夜の静けさに、叫びが響く。
あかりは驚いた。
「ほら」
ふいに、あつきが口をひらいた。
あかりを指さしながら。
「怒ってんじゃん」
「……」
「めちゃくちゃ怒ってんじゃん、おまえ」
その言葉に。
あかりの胸の奥で、何かが揺れた。
「だからCとか関係ねぇだろって言ってんだよ」
「関係あるよ!」
「ない!」
「あるったらあるの!」
わかってもらえない。
少し怒っただけで。
《送電しますか?》
と毎日のように尋ねられる、こいつには。
「17年間、1回もないんだよ!」
あかりは叫んだ。
「聞いたことないの!」
涙が出た。
悔しい。
こんなこと、言いたくなかった。
「怒ったときも、泣いたときも、悔しかったときも! 1回も!」
「あかり」
「《送電しますか?》って! 1回も訊かれたことなんてない! 私は怒ってるつもりでも! 悲しいつもりでも! こいつは何にも言わない!」
あかりは夢中で、自分のこめかみを指さした。
「だったら思うじゃん! 私の感情なんて、全然大したことないのかなって!」
「……あかり」
「私はこんなに腹立ってるのに! こんなに嫌なのに! こいつはずっと、何も──!」
「俺にはわかる! あかり!」
今度はあつきが叫んだ。
「機械が何も言わなくても、俺はわかる!」
あつきは怒っていた。
こめかみを青白く光らせながら。
けれど。
あつきは、脳内で流れているであろう自動音声に答えようとしない。
今このとき。
あかりだけを、見ている。
「おまえが怒ってることくらいわかる! 傷ついてんのも! 泣いてんのも!」
「……あつき」
「おまえのこと、何年見てきたと思ってんだよ!」
そんなの。
ずるい。
「Cだから何だよ! 今のおまえ見て感情薄いなんて言えるやつがいたら連れてこい! 俺が説教してやる!」
「何それ……」
「事実だろ!」
その瞬間。
あかりの胸の奥で、ずっと張りつめていた糸が──
ぷつりと、切れた。
「そうだよ! 私だって、腹立つことくらいあるの!」
──ピピ。
聞き慣れない電子音。
こめかみ近くが青白く光る。
《激情反応を検知しました》
声が聞こえた。
17年間、一度も聞いたことがなかった……
どこかでずっと、待っていた声。
それは脳内へ直接響くような、無機質な音声だった。
『Type-C』には、あまり知られていない特徴がある。
穏やかな人間。
激情指数の低い人間。
一見、発電には向いていない人間。
そんな彼らまで人力発電の対象とした理由。
それは、単純なものだった。
──穏やかな人ほど、怒ると怖い。
普段ほとんど激情を示さない『Type-C』が、一度閾値を突破した場合。
短時間ではあるが、『Type-A』を大きく上回る出力を記録することがある。
いわば。
超低頻度。
超高出力。
それが『Type-C』。
けれど。
「私は、こんなこと望んでなかった!」
だから何だというのだ。
「3歳で手術したんだよ!? 覚えてもないうちに! 気づいたときには頭の中に機械があって、怒ったら電気になります、社会の役に立ちますって!」
ふつふつと腹の底から沸き上がるものが、自分でも止められない。
「怒らなかったらC! 発電できなかったら役立たず! 怒ったら怒ったで、はい電気にしましょうって!」
──ピピ。
自動音声が響く。
《高出力反応を確認》
《予測変換電力量を算出中──》
《【ERROR!】》
《【ERROR!】》
《【ERROR!】》
《極めて高い激情出力です》
《ただちに送電を推奨します》
《送電しますか?》
「……なんで」
その瞬間。
あかりの胸の奥でくぶっていたものが、はじけた。
「なんでそんなこと訊かれなくちゃいけないの?」
私のことなのに。
これは、私の。
「私の激情を、他人にどうこうされたくないわよッ!!」
ずっと冷静だった少女が、叫んだ。
みんなと同じように前へならえと命じてくる世界へ。
生まれて初めて。
腹の底から、『No』を叩きつけた瞬間だった。



