『ちょっとキてる? レッツ・エレキテル!』
──経済産業省は、【激情汲み取り方式による人力発電】を推進しています──
「朝っぱらから最悪……」
新調したワイヤレスイヤホンが反抗期だ。
ただでさえまぶたの重い時間帯に、余計気の抜けるAM電波をかっさらってきたんだから。
物心がついてから少なくとも十数年。
天気予報よりも耳にしてきたキャッチコピーは、隕石でも落ちない限り変わることはないだろう。
あかりはCM途中だったラジオアプリのアイコンを爪弾く。
きっかり10秒後に消灯したスマートフォンは、ブレザーの右ポケットへ突っ込んでやった。
すると通信相手を見失った黒光りの耳栓が、
《Power off》
と、あっさり仕事を放棄した。
「くぁ……」
あくびをかみ殺したあかりは、赤いタータンチェックのマフラーへ鼻先を埋める。
12月の朝は寒い。
鬱陶しがって夏の間に髪を切らなかったのは、英断だった。
漆黒の艶髪は幾重にも巻いたウールへ滑り込ませて、武装は完了。
あとは背中に貼りつけたカイロが、洒落が寒い担任のホームルームが終わるまでもってくれれば──
「おはよう碓氷! 絶好の勝負日和だな!」
──前言撤回。
これ以上の防寒対策は、蛇足のようだ。
見飽きたT字路の突き当たり。
そこで仁王立ちしている男子高校生を視界へ入れた瞬間、あかりは無言で右折した。
「無視はやめないか、碓氷あかり! おいっ!」
白い肌。
清潔感のある黒髪。
すっと通った鼻筋。
黙っていれば、文学作品で病に伏していそうな薄幸の美青年だ。
黙っていれば。
「おはよ。今日も発電日和だね、暑っ苦しいあつきちゃん」
「俺のファーストネームを馴れ馴れしく呼ぶなぁっ! しかもちゃん付けでっ!」
「幼なじみ歴14年の相手に、今さら何言ってんの」
「外では節度を持てと言っている!」
「彼女に節度を求める彼氏って何?」
「ぐっ……!」
あつきが詰まった。
ちょろい。
付き合い始めて3か月。
いまだに『彼氏』という単語を真正面から投げると弱い。
「か、彼氏とか、道ばたでさらっとそういうことを言うな!」
「事実じゃん」
「事実でもだ!」
耳まで赤い。
あかりはちいさく鼻を鳴らした。
「熱気やば……脱いでいい?」
「んなぁあっ!? 曲がりなりにも年頃の女子が、異性の前でみだりなことを言うんじゃなぁいっ!」
あかりはセーターの裾を少し持ち上げ、背中へ手を回す。
そして。
べり。
カイロをあつきの目前にかかげてみせた。
「これ剥がしたくてさ」
「……」
「何だと思ったの?」
「…………」
「おうい、あつきちゃーん」
「うるさい!」
顔を真っ赤にしたあつきがそっぽを向く。
ちょっと面白い。
だから、つい。
「あつきちゃんのえっち」
「誰のせいだと思ってんだぁ!」
朝の住宅街に、青年の怒声が響き渡った。
──トゥーン。
ほぼ同時に、軽快な電子音。
あつきのこめかみ近くが、一瞬だけ青白く光る。
「……また来た」
あつきがちいさくつぶやく。
あかりには何も聞こえない。
『マイクロチップ』からの意思確認は、その持ち主の脳内にしか流れないからだ。
ほんの一拍置いて。
「送る」
あつきが答えた。
通り沿いの電信柱に取りつけられたLEDパネルが明滅する。
パネルには青白いドット文字で、こう表示されている。
『送電完了 0.32Wh』
──と。
「朝から元気ね」
「誰が発電させてんだ!」
「地球に貢献できてよかったじゃない」
「君なぁ!」
──トゥーン。
再び、あつきが顔をしかめる。
「送る!」
『送電完了 0.18Wh』
「ぷっ」
「笑うな!」
「だって、ほんと燃費いいんだもん」
「Aだからな!」
あつきが自分のタイプをあかりに明かしたのは、ずいぶん昔のことだ。
タイプ情報は原則非公開。
それでも家族や恋人、親しい友人同士で自発的に教え合うことまで禁じられているわけではない。
だから、あかりは知っている。
あつきが『Type-A』であることを。
そして、あつきも知っている。
あかりが『Type-C』であることを。
「はいはい。優秀優秀」
さらりと返しながら、あかりは前を向いた。
けれど。
ほんの少しだけ。
胸の奥に、冷たいものが落ちた。
うっすらと粉砂糖をまぶしたようなアスファルトを進む。
30メートルごとに、『トゥーン』と独特な電子音が、電信柱から鳴り響く。
世界的に有名な配管工が軽快なジャンプを決めたときの音に似ているそれが、送電の合図だ。
あかりはそれを、他人事のように聞き流していた。
17年間。
自分の中からは、一度も鳴ったことのない合図を。
* * *
「目が死んでるぞ!」
「午前7時台の学生の目に、何を求めてんの?」
電車にひと駅分揺られ、人が行き交う交差点を通り過ぎ。
それでもとなりを歩くあつきの説教は、まだ続いていた。
「まぁ、寝不足ではあるかも。2時過ぎまで動画観てたし」
「何をしとるんだ君は!」
「勉強動画観てた」
「……それなら、まぁ」
「嘘。猫が洗濯機に入ろうとして失敗する動画」
「碓氷ぃ!」
ガミガミとうるさい。
母親よりうるさい。
恋人なら、もう少しこう。
『頑張ったな』
とか。
『無理するなよ』
とか。
そういう甘い言葉のひとつくらいあってもいいのではなかろうか。
なのに。
「君は油断するとすぐ夜更かしするからな! 試験期間中くらい──」
「……うるさ」
あかりはマフラーへ鼻を埋める。
彼のこういうところが嫌いだ。
……好きだけど。
嫌い。
いや。
やっぱり好き。
でもムカつく。
恋愛感情というものは難解だ。
「わかってるのか? 今日は期末考査の最終日だぞ!」
「はいはい」
「最も重要な環境学が残っているというのに、なんだその体たらくは!」
「ウン、ウン、ソウダネー」
「ライバルである君がそんな様子では、俺が勝ったところで──」
「勝つ前提なの腹立つな」
「ようやく乗ってきたか」
にやり。
あつきが笑う。
そこで初めて、あかりは気づいた。
しまった、乗せられた。
「今回こそ学年1位の座は俺がもらう」
「寝言は寝て言って」
「環境学は俺の得意分野だぞ」
「知ってる。だから?」
「98点以下だったら俺の負けでいい」
「2点しか失点できないじゃん」
「君相手なら当然だ」
「……ふーん」
不意討ちだった。
こういうところがずるい。
本人にその気があるのかないのか知らない。
だがあつきは時々、心臓へ直球をぶち込んでくる。
君だから本気になる。
君だから負けたくない。
そんな意味に聞こえてしまうのは、自意識過剰だろうか。
「100点取ったら?」
「何がだ」
「ご褒美」
「なぜ俺が用意するんだ!?」
「彼氏でしょ」
「またそれを……!」
「じゃ、日曜1日付き合って」
「……デートか?」
「嫌ならいいけど」
「行く」
即答だった。
こういうところは、素直なんだよね。
あつきには、絶対言わないけれど。
あかりは思わずほころんだ口もとを、マフラーへ隠す。
カイロなんてなくても、あったかい気持ちになれるのだ。
──経済産業省は、【激情汲み取り方式による人力発電】を推進しています──
「朝っぱらから最悪……」
新調したワイヤレスイヤホンが反抗期だ。
ただでさえまぶたの重い時間帯に、余計気の抜けるAM電波をかっさらってきたんだから。
物心がついてから少なくとも十数年。
天気予報よりも耳にしてきたキャッチコピーは、隕石でも落ちない限り変わることはないだろう。
あかりはCM途中だったラジオアプリのアイコンを爪弾く。
きっかり10秒後に消灯したスマートフォンは、ブレザーの右ポケットへ突っ込んでやった。
すると通信相手を見失った黒光りの耳栓が、
《Power off》
と、あっさり仕事を放棄した。
「くぁ……」
あくびをかみ殺したあかりは、赤いタータンチェックのマフラーへ鼻先を埋める。
12月の朝は寒い。
鬱陶しがって夏の間に髪を切らなかったのは、英断だった。
漆黒の艶髪は幾重にも巻いたウールへ滑り込ませて、武装は完了。
あとは背中に貼りつけたカイロが、洒落が寒い担任のホームルームが終わるまでもってくれれば──
「おはよう碓氷! 絶好の勝負日和だな!」
──前言撤回。
これ以上の防寒対策は、蛇足のようだ。
見飽きたT字路の突き当たり。
そこで仁王立ちしている男子高校生を視界へ入れた瞬間、あかりは無言で右折した。
「無視はやめないか、碓氷あかり! おいっ!」
白い肌。
清潔感のある黒髪。
すっと通った鼻筋。
黙っていれば、文学作品で病に伏していそうな薄幸の美青年だ。
黙っていれば。
「おはよ。今日も発電日和だね、暑っ苦しいあつきちゃん」
「俺のファーストネームを馴れ馴れしく呼ぶなぁっ! しかもちゃん付けでっ!」
「幼なじみ歴14年の相手に、今さら何言ってんの」
「外では節度を持てと言っている!」
「彼女に節度を求める彼氏って何?」
「ぐっ……!」
あつきが詰まった。
ちょろい。
付き合い始めて3か月。
いまだに『彼氏』という単語を真正面から投げると弱い。
「か、彼氏とか、道ばたでさらっとそういうことを言うな!」
「事実じゃん」
「事実でもだ!」
耳まで赤い。
あかりはちいさく鼻を鳴らした。
「熱気やば……脱いでいい?」
「んなぁあっ!? 曲がりなりにも年頃の女子が、異性の前でみだりなことを言うんじゃなぁいっ!」
あかりはセーターの裾を少し持ち上げ、背中へ手を回す。
そして。
べり。
カイロをあつきの目前にかかげてみせた。
「これ剥がしたくてさ」
「……」
「何だと思ったの?」
「…………」
「おうい、あつきちゃーん」
「うるさい!」
顔を真っ赤にしたあつきがそっぽを向く。
ちょっと面白い。
だから、つい。
「あつきちゃんのえっち」
「誰のせいだと思ってんだぁ!」
朝の住宅街に、青年の怒声が響き渡った。
──トゥーン。
ほぼ同時に、軽快な電子音。
あつきのこめかみ近くが、一瞬だけ青白く光る。
「……また来た」
あつきがちいさくつぶやく。
あかりには何も聞こえない。
『マイクロチップ』からの意思確認は、その持ち主の脳内にしか流れないからだ。
ほんの一拍置いて。
「送る」
あつきが答えた。
通り沿いの電信柱に取りつけられたLEDパネルが明滅する。
パネルには青白いドット文字で、こう表示されている。
『送電完了 0.32Wh』
──と。
「朝から元気ね」
「誰が発電させてんだ!」
「地球に貢献できてよかったじゃない」
「君なぁ!」
──トゥーン。
再び、あつきが顔をしかめる。
「送る!」
『送電完了 0.18Wh』
「ぷっ」
「笑うな!」
「だって、ほんと燃費いいんだもん」
「Aだからな!」
あつきが自分のタイプをあかりに明かしたのは、ずいぶん昔のことだ。
タイプ情報は原則非公開。
それでも家族や恋人、親しい友人同士で自発的に教え合うことまで禁じられているわけではない。
だから、あかりは知っている。
あつきが『Type-A』であることを。
そして、あつきも知っている。
あかりが『Type-C』であることを。
「はいはい。優秀優秀」
さらりと返しながら、あかりは前を向いた。
けれど。
ほんの少しだけ。
胸の奥に、冷たいものが落ちた。
うっすらと粉砂糖をまぶしたようなアスファルトを進む。
30メートルごとに、『トゥーン』と独特な電子音が、電信柱から鳴り響く。
世界的に有名な配管工が軽快なジャンプを決めたときの音に似ているそれが、送電の合図だ。
あかりはそれを、他人事のように聞き流していた。
17年間。
自分の中からは、一度も鳴ったことのない合図を。
* * *
「目が死んでるぞ!」
「午前7時台の学生の目に、何を求めてんの?」
電車にひと駅分揺られ、人が行き交う交差点を通り過ぎ。
それでもとなりを歩くあつきの説教は、まだ続いていた。
「まぁ、寝不足ではあるかも。2時過ぎまで動画観てたし」
「何をしとるんだ君は!」
「勉強動画観てた」
「……それなら、まぁ」
「嘘。猫が洗濯機に入ろうとして失敗する動画」
「碓氷ぃ!」
ガミガミとうるさい。
母親よりうるさい。
恋人なら、もう少しこう。
『頑張ったな』
とか。
『無理するなよ』
とか。
そういう甘い言葉のひとつくらいあってもいいのではなかろうか。
なのに。
「君は油断するとすぐ夜更かしするからな! 試験期間中くらい──」
「……うるさ」
あかりはマフラーへ鼻を埋める。
彼のこういうところが嫌いだ。
……好きだけど。
嫌い。
いや。
やっぱり好き。
でもムカつく。
恋愛感情というものは難解だ。
「わかってるのか? 今日は期末考査の最終日だぞ!」
「はいはい」
「最も重要な環境学が残っているというのに、なんだその体たらくは!」
「ウン、ウン、ソウダネー」
「ライバルである君がそんな様子では、俺が勝ったところで──」
「勝つ前提なの腹立つな」
「ようやく乗ってきたか」
にやり。
あつきが笑う。
そこで初めて、あかりは気づいた。
しまった、乗せられた。
「今回こそ学年1位の座は俺がもらう」
「寝言は寝て言って」
「環境学は俺の得意分野だぞ」
「知ってる。だから?」
「98点以下だったら俺の負けでいい」
「2点しか失点できないじゃん」
「君相手なら当然だ」
「……ふーん」
不意討ちだった。
こういうところがずるい。
本人にその気があるのかないのか知らない。
だがあつきは時々、心臓へ直球をぶち込んでくる。
君だから本気になる。
君だから負けたくない。
そんな意味に聞こえてしまうのは、自意識過剰だろうか。
「100点取ったら?」
「何がだ」
「ご褒美」
「なぜ俺が用意するんだ!?」
「彼氏でしょ」
「またそれを……!」
「じゃ、日曜1日付き合って」
「……デートか?」
「嫌ならいいけど」
「行く」
即答だった。
こういうところは、素直なんだよね。
あつきには、絶対言わないけれど。
あかりは思わずほころんだ口もとを、マフラーへ隠す。
カイロなんてなくても、あったかい気持ちになれるのだ。



